2023-01-01から1年間の記事一覧
今上は、亡くなられた御父君の一条院を忘れられないでいた。発病後、あまりにも早く崩御され、子としてお見舞いも満足に出来なかったことをいつまでも後悔していた。そのせいもあって、残された母后(女院)と妹の姫宮をことのほか大切にしていた。この妹宮…
さて、洞院上が入内を画策している今姫君である。二月に入内の予定ではあるが、世間の人から、「なんてお幸せなのでしょう。大きな声じゃ言えないけど、もとはといえば一介の女房の産んだ物の数にも入らない方なのに、洞院のお方に引き取られて後宮入りとは…
二十日過ぎの細い月影が霞みがかって見える。四方の山々に暁を告げる寺の鐘の声が寂しく響き渡る。ひなびた山里のこんな風景を、飛鳥井女君も毎日見て暮らしたのだろうか…そんなふうに狭衣が女君のことを思いやっていると、隣の部屋で若い女房たちの声が聞こ…
飛鳥井女君が仮に生きていたとしても、無理に探し出してあれこれ詮索するのはいかにも未練がましい行為だろう…そうは思えども、二人の間にできた子がわびしい身の上で世間を漂うのは、いかにも哀れで仕方がない。狭衣は従者の道季を呼び、今姫君のところで聞…
ムカ男は、東五条のお屋敷に住んでいる女のもとに、人目を避けて通っていました。その女は、ムカ男にとって政敵とも言える一族の総領姫で、ムカ男も逢瀬ひとつに命がけです。女の乳母の手助けがなかったら、とても逢瀬を続けられなかったでしょう。ムカ男は…
ムカ男は、東の五条の皇太后宮のお屋敷に住むお姫さまのもとに通っていました。西の対の屋に住んでいるそのお姫さまのことを「しょせんは叶わぬ恋だから」程度に思っていたのですが、忍び逢いが重なるにつれ、ムカ男も、そして女の方も、次第に愛情が深くな…
ムカ男が、恋しい女のもとに、ひじきを添えて歌を贈りました。 思ひあらば葎(むぐら)の宿に寝もしなんひじきものには袖をしつつも(もしもあなたも私のことを思ってくれるなら、たとえそれがあばら家でもいい、互いの袖を夜具の代わりに共に過ごしてくれな…
俺さまの名前は黄泉の国三途の守。先ほど特別貸切で、たった一名を渡し終えたばかりだ。その名は藤原道長。生前、最高権力者だった御仁らしいが、貸切になったのは、他の亡者たちが同船するのをメチャクチャ渋ったためだ。最高権力者だったとはいえ、船は別…
さて、対の御方たちが捕らわれている民部少輔の家では、御方の可憐さにすっかりのぼせ上った主人の民部少輔が、無い知恵をしぼり出そうとしていました。「よくもあんなみすぼらしい妻と長年つれ添ったものだ。あの美しい姫さまを拝み奉り、毎日お世話できた…
月明かりに照らされながら、斉信が何かに耐えるようにじっと立ち尽くしている…そんなふうに行成には見えた。気付かれないように、かなり離れたところで見守っているのだが、心配で心配でたまらない。流言飛語やまじないなど信じるつもりも無いが、斉信は深刻…
(しかし、聞いたその晩に実行するとは思いもしなかったぞ)今、行成は暗闇を歩く斉信のかなり後ろを歩いている。要するに、あとをつけているのだ。あのあと、行成は屋敷に戻るなり舎人(とねり)に言いつけて、斉信の屋敷を見張らせていた。亥の刻(午後十…
『…未来の夫が知りたいならば、夜中に麻(アサ)の実をまきながら廃寺の周囲を回ればよい。”私はアサの種をまいた、アサの種を私はまいた、私をもっとも愛する人は、私を追いかけてきて刈り取れ!”と叫び、おそるおそる背後を振り向くと、幻の夫が現われ、足…
対の屋の御簾のもとで、「大将が参りました」と狭衣自身が告げると、蚊の鳴くような声で女房が何か言い、バタバタと逃げる音がした。こうして逃げ隠れするのが洞院上の流儀なのだろうかと思い、御簾を引き上げてのぞくと、たくさんの女房たちが重なり合うよ…
ある日の昼下がり、狭衣は洞院上に呼ばれた。「狭衣さまは常日頃から、中宮さまの御母君の坊門上と親しくしておいでですが、私どもの方にはちっともお顔を見せては下さらないので、お越しをお願いした次第です。私も年をとるにつけ、だんだんと心細くなって…
奈良から遷都したばかりのまだまだ人家まばらな京での話。ムカ男は西の京の女のもとに通っていました。この女、容姿もさることながら気立てがとても良いいわゆる性格美人。女のもとに通う夫がいるらしいにもかかわらず、真面目なムカ男は熱心に通って口説い…
元服したばかりの頃、ムカ男は春日の里に鷹狩に出かけました。その時、ふと美しい二人の姉妹を見かけました。こんな田舎には不釣合いなほどの美しい二人でしたので、ムカ男の心は悩ましくときめき、思いを伝えるために、しのぶ摺り模様の狩衣の裾を切り、歌…
その昔ならば、常に格式高く上品に、そして重々しくふるまうのが高貴な女人の責務だと言われてまいりました。それなのに、私のお仕えするご主人さまときたら。あ、申し遅れました。私、女三の宮付きの女房で、小侍従と申します。宮さまの乳姉妹でございまし…
朕はここの所みぞおちがシクシク痛んでしかたない。でも誰にも言う事は出来ない。なぜなら、一言でもつぶやくと痛みの原因なる人物たちが必ず飛んでくるからだ。そう、「たち」というからには複数。しかも三人。その中にはわが母君もいらっしゃる。母君たち…
■末摘花女房・侍従の君のつぶやき私、末摘花さまにお仕えしていた女房で、侍従と申します。お仕えしていた、と過去形になっているのは、姫さまの叔母さま一家が筑紫へ赴任する事になり、「お手当てとってもはずむから」とのお誘いをいただきまして。ええ、乳…
私の名前は藤原斉信。私は今、広大な大内裏の西側、典薬寮の門の前にいる。普段の私は、ここにそれほど用事はないのだが、さる高貴な血筋の御方からの命により、典薬頭にインタビューをしにきたのだ。さる高貴な血筋の御方からの拝命も、これで三回目。今回…
先日来、薫君は体調を崩していました。病状はそれほど大したことはないのですが、大げさに心配する母宮(女三の宮)が何かと干渉してきます。薫君は、「自邸にこもっていられる今のうちに、(浮舟のいる)小野と連絡を取りたい」と思っていましたが、あれこ…
どこがどうとはっきりしないまま、二の姫の病状はどんどん重くなっていきます。意識不明になることもたびたびあり、ご両親の関白大殿と母君は心配で心配でなりません。「非常に強い物の怪の仕業かも知れぬ」と高僧を大勢召しだして祈祷を行わせても、出てく…
さらわれた対の御方が東雲の宮を想って重いため息をついている頃、東雲の宮はどのように過ごしていたでしょうか。もちろん、片時も対の御方を考えない時はありません。どうやら按察使大納言の妻である今北の方が、今回の失踪に関わっているらしい…とはいえ、…
「ごり押しにもほどってものがあるだろう」帰る道すがら、斉信は憮然とした面持ちでひとりごちた。『わしの病が回復するまでの間、息子の伊周に文書の内覧をお許しいただきたい。あれももう内大臣として一人前になったと思う。公卿への根回しはまだしておら…
柔らかな早春の日差しが都大路にそそぐ二月の終わり、斉信は関白道隆の住む二条邸へ向かっていた。表向きの用事はまったくたいしたことのないものだ。故父為光が祖父師輔からいただいた銀の薫物筥(たきものばこ)を一揃え、お見舞いがてら関白にお譲りする…
雪の降りしきるある日の夕暮れ。狭衣大将は内裏より退出する際、「このような心細い夕暮れ、若宮はどのようにお過ごしであろうか」と気になり、若宮の住まいに立ち寄ってみた。鄙びた山里の山荘のように人少なで、幼い若宮のそばにいるのは乳母たちだけ。し…
座敷牢まがいの場所に軟禁され、孤立無援の対の御方たちですが、その薄幸の美少女ぶりにすっかり同情してしまった民部少輔の妻は、不自由な生活を強いられている御方たちの気を少しでも慰めようと、心のこもったお世話をするのでした。ところが、御方たちを…
「やあ宮。すっかりご無沙汰だね。結婚した妻の家の居心地があまりに良いものだから、てっきり忘れられているかと思ってたよ」人も少なな穏やかな昼下がり、脇息にもたれていた今上は、御前に参上した東雲の宮にそう声をかけました。「は。鬱々とした気持ち…
さて、最初のうちは、「対の御方は祖母君ご危篤のためご実家に下がられました」との言葉を信じていた今上ですが、それからずいぶん月日も経ってしまい、さすがに不審に思い始めました。「祖母君がお亡くなりになったにしろ回復なされたにしろ、もうそろそろ…
深山に閉ざされた粉河寺の冬は寂しい。夜の間に固く冷たく降りた霜氷は歩み難く、神さびた苔に覆われた木々は魔性の物を宿らせているようで、その奥へと続く森の中へ狭衣を誘っている。誰に見られることなく枝葉を落とし、すっかり枯れ切ってしまった木々が…