源氏物語・宇治十帖の主人公薫君&浮舟の後日談を源氏オタク女房が書いたスピンオフ物語。
山路の露 物語の成り立ち
作者・成立時期不明。
建礼門院(平清盛の娘徳子)女房・右京大夫との説があるが、その説に従うと成立は鎌倉時代?
『建礼門院右京大夫集』と物語の表現の共通性、物語に見られる火事の状況・小野里の秋景色・手紙をすき返し経供養にする場面などは、右京大夫自身が実際に体験していることであり、だからこそ情景豊かに描けたのではないかと思われます。
また、平重盛の子・資盛と恋仲だったこともあり、資盛の死後、彼の菩提を弔っていた時期に本物語を書いたとすると、鎌倉時代前期成立が考えられます。浮舟と薫の関係を創作することにより、資盛との懐かしい恋愛の記憶を物語に重ね、自分自身の心の中で昇華させようと試みたのではないでしょうか。
題名は、浮舟と再会した薫が別れ際に詠んだ、
『思ひやれ山路の露のそぼちきてまたわけかへるあかつきの袖』
に基づいています。
山路の露についての超個人的私見
源氏物語を書写する際、単なる写し間違い(誤字)や意図的な書き換え(私ならこう表現したい)など、さまざまな原因から異本となって分かれて行くのですが、この物語は意図的な書き換えなんかじゃ物足りず、宇治十帖のさらにその後を二次創作したという、平安末期の源氏オタク才女の書いたお話です。源氏が好きで好きでたまらなくて、何度も書写すれば、
「これは美しく装丁したから保存用、こっちは酷使用。アイデア浮かべば私も何かつくれるかも」
みたいにエスカレートしていくのはごく自然な流れ。
こういった二次創作チャレンジャーが当時は少なからず居たと思われます。ぜひ居て欲しいです。二次創作の腕ばかりを競った『朧月夜スピンオフ決定戦』や『頭中将×夕顔を幸せにしてあげよう五番勝負』みたいな物語合わせがあって、そんなミニ創作集がどっかの蔵に残っていたらなあ、と切に思います。
夢浮橋巻ではいろいろな問題を含んだまま話が終わりますが、この『山路の露』でも、特に何が解決したとか進展したとかいうこともなく終了してしまいます。それは作者が物語をうまく回せなかったのではなく、
「誰の、どんな還俗の勧めにも首を縦にふらない浮舟の姿だけは描きたい。それが私(=作者)なりの夢浮橋巻の答え」
ということを言いたかったんじゃないかと思います。
哀愁漂わせ穏やかに進行するストーリーは、作者の落ち着いた人柄を想像させます。
原文はとても優美で柔らかな文体です。本当に切なくて美しい文体です。
ぜひ原文も堪能してください。
山路の露 登場人物紹介
山路の露 現代語訳 目次
現代語訳はこちらです。
その1.事の始まり
その2.浮舟、母を思う気持ち
その3.小君、「必ずお返事を」と薫に厳命され
その4.姉弟の再会と浮舟の願い
その5.真夜中の火事騒ぎと小君の困惑
その6. 心中複雑な小君が選択したのは…