鈴なり星

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狭衣物語26・洞院上の願い

 


ある日の昼下がり、狭衣は洞院上に呼ばれた。
「狭衣さまは常日頃から、中宮さまの御母君の坊門上と親しくしておいでですが、私どもの方にはちっともお顔を見せては下さらないので、お越しをお願いした次第です。私も年をとるにつけ、だんだんと心細くなってまいりまして、あなたさまだけをお頼み申し上げているばかりです。
そのあなたさまにお願いしたいことがあるのですが、今姫君を入内させたいのです。実は、女院を通じて今上からひそかに申し出がございました。
あまりにももったいない仰せでございます。その事をご相談したくて、お越しいただいたのです」
との洞院上の申し出に、狭衣は、
「私はどなたをも分け隔てなくお付き合いしてきたつもりですが、心細いと思っておられるとは、大変失礼致しました。中宮のことは、参内のついでに立ち寄る程度ですので、そのようにお心を煩わすことではありませんよ。
今姫君が本当に入内なされるのでしたら、私もよろこんで中宮と同じ気持でお世話いたしたいと思います」
そう当りさわりのない返事をした。
「今姫君は現代風のしつけをしていますので、たしなみ深くしっかりしています。ですが後宮ともなれば話は別。心配しておりましたところ、この今姫君の直接のお世話をしている母代わりの者が、どこからか琵琶のたいそう上手な者を連れて参りまして、ただ今琵琶の手ほどきを受けさせております。しかし同じ習うならやはり、どこに出しても恥ずかしくないような腕前にしてやりとうございます。狭衣さまは琵琶の極めたる上手、どうか姫が間違えて覚えている箇所を直してやってはもらえませんか」
「私は人の師匠になれるほどの腕は持っておりませんよ。きちんとした方から手ほどきをお受けになっているのなら、間違いはないでしょう」
「まあご謙遜を。あなたさまのように何事もすぐれたお方はめったにいらっしゃいませんものを。
普通の子でいいから、自分の子が欲しかったですわ…本当にねえ、我が子のいないことが、これほど情けなく、他の御方が羨ましく思えるなんてねえ。だからこそ、今姫君の入内などという、無茶でわがままな夢を見たくなったのです」
そんなふうに洞院上はしんみりと話す。
明るく青いのどかな春の空が部屋の向こうに広がって、洞院の上は、霞の合間からこぼれる満開の桜の美しさにみとれていた。
「美しい景色ですこと。きっと楽の音も聞き映えがするでしょう。狭衣さま、どうか姫のいる西の対の屋で琵琶を聞いてやってはくれませんか」
狭衣は、こんなに洞院上が熱心に頼む今姫君なら、入内してもきっと見苦しくない程度には成長したのだろう、いや、お目にかかったあと、今までの自分の物思いも消えてしまうくらいの美しい様子になっていたら…と半分期待しながら西の対の屋に出向いた。