鈴なり星

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狭衣物語30・洞院方の今姫君のドタバタ事件

 



さて、洞院上が入内を画策している今姫君である。
二月に入内の予定ではあるが、世間の人から、
「なんてお幸せなのでしょう。大きな声じゃ言えないけど、もとはといえば一介の女房の産んだ物の数にも入らない方なのに、洞院のお方に引き取られて後宮入りとはねえ」
「結構なご身分になられましたのねえ、大きな声じゃ言えないけど」
と聞きにくいほどにささやかれている。
そのせいなのか、あるいはもともと気に入らない話だったからなのか、堀川大殿は今姫君の入内の世話をまるでするつもりはないらしい。
狭衣も先日今姫君を訪問して以来、
「このような不出来な者を、我が一族の者として今上にお見せしなければならないのか」
と非常に決まりの悪い思いを持ち始めていた。
何とかして洞院上に入内を思いとどまっていただく方法はないものか…そのように悩んでいると、ある時、洞院上の姉弟で宰相中将と呼ばれる人が、どうした機会を見つけたものか、今姫君に懸想して、熱心に口説き始めた。姫君が入内予定であるということも中将の恋心に火を注いだようで、
「堀川大殿もこの入内にはたいそう不満なご様子。なあにかまやしないさ」
と入内を明後日に控えたある夜、宰相中将は今姫君の寝所にこっそり忍び込んでしまったのだ。
今姫君の、あまりに子供子供しく呆けたように眠っている様子を、中将は世間ズレしていない可愛らしい方と思い込み、このまま契ってしまいたい衝動にかられたが、姫のすぐ近くで寝ている母代に勘付かれ、
「んまあ!誰か来て!ここに男が忍んでいるわ!何て恥知らずな男でしょう。ここにおられる姫君は、おそれおおくも帝さまのもとへ御輿入れなさる高貴なお方。お前はどこの痴れ者か!」
と、あたりは大騒ぎになった。
「女房たち早く灯りを!盗っ人がここにいますよ!」
そう叫ぶ母代の声に、女房たちが次々に起きだして飛んでくる。母代は、
「男を外に出してはいけません。私はすぐに洞院上の御前に行き御相談申し上げるから、お前たちは私が戻ってくるまでこの男を見張っているように!」
そう言い放って、ドスドスと足音も荒らかに行ってしまった。西の対の屋から洞院上の母屋へと続く渡殿あたりまで、もう大きな声で、
「申し上げます!姫の寝所に男が忍び込みました、忍び込みました!」
と聞き苦しいほど叫びながらやってきた。
その下品な様子に、目を覚ました洞院上はあきれてものが言えない。
「ああうるさいこと。とにかく静かにしなさい。一体なにごとですか」
そう言いながら、上が姫君のいる西の対の屋に出向くと、姫付きの女房たちが御帳台のとばりを高くさし上げ、その中で衣を頭から被って座っている男をさらし者にした。
「まあ、なんて不躾な女房たちでしょう。こういう時は、忍んできた殿方をこっそりと逃がしてさしあげるものなのですよ。こんなに女房が集まって、どうして誰もそのことに気がつかないのですか」
と洞院上は、女房たちの気の利かなさにあきれてしまった。
上のあきれ顔にもかまわず、母代は男が引き被っている衣をはがそうとする。そのあまりのみっともない様子に、上は女房たちの持っている紙燭をひとまず消させ、闇の中、男を外に出してやろうとした。ところが母代が男にすがりつき、
「名を名のれ!さもなくばここから出しませぬ。そしてひどい目に会わせましょうぞ!」
と叱り飛ばしている。さらに、
「さてはどこの馬の骨ともしれない受領か!たかが受領ふぜいが姫さまを妻にしようだなどとは笑止。こいつめをどうしてくれようか」
と、くやしそうに地団太を踏んだ。その隙に男は転がるように逃げてしまった。
あまりの見苦しさに洞院上は、
「静かにしなさいと言うのに。こういうことは、人目をはばかってこっそりと分からなくするのが一番なのですよ。この事件が世間の人の口にのぼらないようにね。世間の物笑いのたねになる事だけは避けねばなりません」
そのように母代に言い聞かせた。母代は今姫君のもとに駆け寄って、
「姫さま、あなたは、あんなに心を尽くして入内の準備を進められてきた上さまを裏切ったのでございますよ。あんな受領ふぜいを通わせるなど。入内は目の前だったのですよ。このザマは何事ですか。もう、どこへなりと出て行きなさい!」
ものすごい剣幕で姫を非難する。一体なにごとが起きたのかさっぱり理解できずに、ただ泣いている今姫君が哀れで、洞院上は、
「もうおよしなさい。姫は受領ふぜいと結ばれる前世からの約束がおそらくあったのでしょう。入内するはずのない運命だった姫君を、無理に入内させようとした私は、きっといい笑い者ですわ。大殿が全く乗り気でない話をこんな形で失敗してしまって、この事を大殿がお聞きになられたら、いったい私の浅はかな考えをどのようにお笑いになられることか」
とため息をついた。
そう考えるのも仕方がなかった。母代が、忍んだ男を「受領ふぜい」とすっかり決めつけていたため、まさか上自身の姉弟である宰相中将だとは夢にも思っていないのだった。
だから上は、事件をしでかした姫のことがだんだん不愉快になって、黙り込んだまま、不機嫌に母屋の方へ帰ってしまった。
女主人のそんな様子を見た母代は姫に向かって、
「あんたは一刻も早く尼法師になっておしまい!誰が受領の妻の後見なぞするものか!わたしはまっぴらごめんだよ。こうなってはもう、この屋敷には居られないね。どうして男が忍びこんだ時すぐに大声で叫ばなかったの。そうしたらあんたの体面だって保てたんだ。あんたが馴れ馴れしくあの男に寄り添っていたからだよ。ああ恥ずかしい」
と言いながら、姫の髪をつかみ上げて「さあさあ」と髪を切るマネをして詰め寄る。
これだけ悪態をついても母代はまだ腹の虫が収まらず、女房たちの集まっている北面の部屋へ走って行き、
「どこのどいつが手引きしたんだい!?中をよく知る女房の手引きなしには誰だって部屋へは入れるはずがないんだ。犯人をお言い、お言いったら!」
と女房たちを責める。女房たちは母代の剣幕に恐れをなして、神仏に誓って手引きなぞしてはいませんと泣きながら母代に訴えた。その様子の一部始終を見ていた今姫君は生きた心地がしない。身に覚えのないことでここまで言われ気が遠くなりそうなほどの恥ずかしさの中、姫は櫛の箱の中からはさみを取り出し、夢を見ているようなぼうっとした顔つきで、泣きながら髪にはさみを入れ、ここかしこと乱雑に髪を削ぎ落としてしまった。
腹立ち紛れに悪口雑言を吐き続けていた母代がハッと気がついた時にはもう遅かった。
そして、ことの次第を聞きつけた洞院上は、
「母代が、『尼になれ』と脅しつけるからこんなことになってしまったのです。今となっては一番恥ずかしいのはこの私なのですよ!」
とひきこもってしまった。



この事件を聞いた堀川大殿は、
「まあ、今姫君の入内の準備はそう上手くは進まないだろうと思っていたが、まさかこんな事態になってしまうとは。世間の人たちが喜んで飛びつきそうな恥ずかしい話だ。
堀川家に泥を塗るようなものだな」
と複雑そうな顔で苦笑している。
狭衣は狭衣で、不安に思っていた入内話が取り消しになってほっとしていた。しかし、入内を目前に控えた姫のお相手が受領だったなどというのは世間の物笑いになりそうで恥ずかしい。こんな醜聞が露見してしまい、狭衣は、姫の愛敬ある顔を思い浮かべると、多少かわいそうな気もした。

帝も今回の入内の件はもとから全く乗り気でなかったので、今姫君の入内、すなわち洞院上の夢と希望は今度こそ完全に消えたのだった。