鈴なり星

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狭衣物語31・狭衣、忘れ形見の子見たさに

 



今上は、亡くなられた御父君の故一条院を忘れられないでいた。
発病後、あまりにも早く崩御され、子としてお見舞いも満足に出来なかったことをいつまでも後悔していた。そのせいもあって、残された母后(女院)と妹の姫宮をことのほか大切にしていた。この妹宮は、新帝即位の際に斎院に立たれたが、直後に一条院が崩御されて呼び戻された宮である。その代わりの斎院として、源氏の宮に白羽の矢が当てられた経緯がある。


今上は妹宮の里邸である一条院の他にも、藤壺の御殿を母女院と妹宮の二人が住めるように整え、さみしい思いをしないよう温かな配慮をしていた。
この妹宮に一品の位階が与えられ、一品宮と呼ばれるようになった。
この一品宮こそが、飛鳥井女君と狭衣の間にできた子を引き取った宮なのである。


もしや、藤壺に忘れ形見の女の子が来ているのでは…常磐の里から戻って以来、そんな思いで狭衣は一品宮が参内するたびに藤壺のまわりを気にかけ、子の気配でも感じられないものかと様子を見ていた。
狭衣はさっそく手引き用の女房にと、一品宮付きの女房で少将の命婦という中﨟女房を味方につけた。暇さえあれば狭衣は、少将の命婦の局をたずね、忘れ形見の子のことを探ろうとしている。
一方、常磐の尼君も自分の娘を女房として一品宮のもとに上がらせ、小宰相の君という名前で宮に仕えさせていた。
飛鳥井女君のことを小宰相の君と少しでも語り合えたら…と狭衣は考えるが、いかんせん小宰相とは身分が違いすぎる、小宰相自身もまわりの女房たちも不審に思うだろう、そう気にして、なかなか小宰相に話しかけられない狭衣だった。


ある夜、忍び歩きからの帰り道、狭衣は一品宮が里居している一条院の横を通りがかった。すると、見なれない牛車が門の近くに泊まっていて、いかにもわけありである。
きっとこの屋敷の女房のもとに通っている男の車だろう。母后(女院)も一品宮も昨夜のうちに参内しているはず。ひょっとしたら忘れ形見の女の子のまわりは人少かもしれない…
そう考えた狭衣はサッと庭に入り、開いている戸口を難なく探し当てて屋敷の中に入ってしまった。


もしかしたら忘れ形見の女の子を連れ戻す事ができるかもしれないと、どきどきしながら探してみたが、女房たちがあちこちに寝ている姿はあっても、幼い子がいるような気配はない。あまりに長く探して、女房の誰かが目でも覚ましたら面倒な事になる…狭衣は何とも残念だったが屋敷を出ることにした。すると、先ほどのわけありげな牛車の中に、直衣姿の男がいるのにいきなり出くわしてしまった。
これはまずいところから出てきたのを見られてしまったかもしれない、私だとわからなければいいが、と袖で顔を隠しながら狭衣は通り過ぎたが、普通の殿上人とは明らかに違う所作とまぎれもない薫りに、牛車の男は、目の前を通り過ぎようとしているのが「狭衣」だとはっきりとわかったようだ。
牛車の男の正体は洞院上と姉弟の権大納言であった。
彼は以前、狭衣のもとへ天人が舞い降りた雨夜の宴の際、帝の御前でともに楽を奏でたかつての権中納言である。以前から一品宮に懸想していて、宮の乳姉妹の中納言の君に近づきつつ、すきあらば宮の寝所に入り込めないかと画策していたのだった。
先日洞院上の今姫君の寝所へ忍び込み、醜態をさらした宰相中将とも兄弟関係で、どうもこの洞院上のご兄弟たちは気質にやや難ありのようだ。
その中納言の君も、権大納言の押しの強さにはいいかげんうんざりしていた。
昨夜は予定が変わり、母后である女院だけが参内し、宮は一条院に残ったことを権大納言が聞きつけ、大喜びでやってきたのだった。そして一晩中、中納言の君を「宮の寝所に案内せよ」と責め続けていたのだ。元来この権大納言は、何でも思い通りにふるまわないと気がすまない性質で、不遜なものの言い方をしたがる人物だった。
狭衣は、これはまた油断ならないイヤな人物に見られてしまったものよ、と舌打ちする思いで男の前を通り過ぎて行った。