鈴なり星

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小夜衣35・東雲の宮、妻への遅すぎた真心

 

 

どこがどうとはっきりしないまま、二の姫の病状はどんどん重くなっていきます。
意識不明になることもたびたびあり、ご両親の関白大殿と母君は心配で心配でなりません。
「非常に強い物の怪の仕業かも知れぬ」
と高僧を大勢召しだして祈祷を行わせても、出てくる物の怪はいません。どんどん弱っていく二の姫に、さすがの東雲の宮も心落ち着かず、名の知れた山の寺や神仏などに、手を尽くして求めた由緒あるものを奉納しました。
心痛のあまり人目を忘れて嘆く両親の祈りもむなしく、花がしおれてゆくように、とうとう二の姫は亡くなってしまいました。静かなご臨終でしたがご両親は胸も破れる思いです。母上は、
「あなたと共に死出の旅を」
と声の限りに泣き叫んでいましたがどうしようもありません。
姫の亡骸が一すじのはかない煙となり、鳥辺野の空の彼方へ消えてしまったあと、遺されたご両親は魂が抜けてしまったようになってしまいました。
老いた者を遺して若い者が先に死んでしまうのは、最大の親不孝ともいいます。大殿と母君は、もしや我が娘が地獄で責めに遭ってやしないかと、娘の魂を救済するために誦経を始めるのでした。
東雲の宮の嘆きも大殿たちと同様です。
「姫は何の欠点もない、どこまでも晴れわたるようなご身分とお人柄だったのに。
私の心の奥底に染み付いた人(山里の姫)がもとで、今生の別れの瞬間まで互いの心を隔ててしまった。何とお気の毒なことをしてしまったのか。男女の仲はこんなにも疎ましいものと思い込んだまま、姫はお亡くなりになった。こうも短い命ならば、冷淡な態度も隠し、幸せな思いのままで過ごしてもらうこともできたはずなのに」
どう後悔しても今さら遅いのですが、手遅れとわかっていても、やはり悔いが残って仕方ありません。
亡くなった妻を想って宮が嘆くさまを見て、関白家の女房たちは、
「宮さまは、姫さまのことがお嫌いかと思ってたのにねえ」
「自分が未熟者だから宮さまに相手にされないのだ、って姫さまは思いこまれてらしたけど、カン違いなされていただけだったのかしらね」
そうささやき合うのでした。


権勢家の関白家にふさわしい法要をしめやかに執り行う大殿ですが、本来ならば若い人が老いた者を弔うのが自然な姿。本当なら自分の娘が老いた自分たちを弔ってくれるはずなのに…愛しい娘の七日七日の法事を行いながら、ご両親は涙が止まりません。
人の世とは無常なもの。愛しい我が子を失う痛みに比べれば、この世の栄光など何の意味があろうか…現世の栄華を満喫してきた関白大殿とその妻は、娘を失った悲しみで一気に百年も千年も老けたようになり、床についたっきりになってしまいました。
春の嵐に花は散り、秋の月が雲に隠れてしまうように、生きる者もいつかは必ず死ぬことは頭ではわかっていても、よもや我が子に先立たれるとは何たる不幸。こんな仕打ちに遭うのは自分たち夫婦だけだ、とてもこれ以上生きてゆけそうにない…と母上は生きる気力を完全になくしてしまいました。
床に伏せたきりの母を案じて、娘の弘徽殿女御やご子息たちがいくら慰めも、母上は、
「たとえ苔むした冷たい土の下でもよい、姫と共にいられるなら」
と思いつめるばかりなのでした。





二の姫の死後、東雲の宮は今さら取り返しのつかない後悔を味わっていました。
短く味気ない夫婦仲ではありましたが、東雲の宮にも何かしらの愛着があったのでしょうか、二の姫と共に過ごした枕や衾(ふすま)を見、染み付いた姫の残り香が日に日に薄れてゆくのを惜しむ日々を送っていました。
かの玄宗皇帝は、寵妃楊貴妃が亡くなったときに身につけていた簪(かんざし)が地面に散らばっていたのを形見として拾い集めたというが、そんなことをしても亡き人に再び逢えるわけでもなし、人の世は何と無常なものよ…と、涙が止まらない宮。
夕暮れ時の雲に紛れるように、夕餉の煙が立ち昇ってゆくのを眺めては、

なき人の かたみの雲は かつ消えて むなしき空を ながむばかりぞ
(姫の煙はすっかり消え果てたというのに、いまだに私は呆けたように空を見上げていることよ)
袖の上に たえぬ涙の 露けさを 消えにしたまと おもはましかば
(袖の上に降り続く私の涙が、姫の魂だったなら)

とひどく気落ちしてつぶやくのでした。
格子も下ろさせずに外をぼんやりと見つめていると、宵闇に包まれた東の山から月が美しくさしのぼりました。ですが、今の宮にとっては、その晴れやかな月の美しささえつらく悲しいのでした。
追悼の思いを込めてお経を唱えていると、高く低くゆるやかに広がってゆく声の美しさに、そばに控えている女房たちも涙をこらえることができません。喪が明けると、もうこの当代一の貴公子とも縁が切れてしまう、ああせめて姫との間に形見の御子のひとりでもいらしたなら、どんなにか慰められるのに…と、屋敷中の者すべてが涙に袖を濡らすのでした。