鈴なり星

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狭衣物語25・秘密の我が子若宮を親心で見守る狭衣

 

 

雪の降りしきるある日の夕暮れ。
狭衣大将は内裏より退出する際、「このような心細い夕暮れ、若宮はどのようにお過ごしであろうか」と気になり、若宮の住まいに立ち寄ってみた。
鄙びた山里の山荘のように人少なで、幼い若宮のそばにいるのは乳母たちだけ。しばらくすると若宮の目が覚めて、ぐずぐずと泣き始めた。その声を聞いていると、狭衣は胸がいっぱいになって、ああ来てよかったと心から安堵する。乳母たちも、「いかに高貴な皇子とはいえ、狭衣さまのような高名な公達がお世話してくださるからこそ、私たちも気をしっかりともっていられるのだわ」とうれしく思う。
「狭衣さまのお越しにならないときは、若君はご機嫌がお悪いのですよ」
「御父君の嵯峨院を、時々こわがったりもなさいます」
など、乳母たちは狭衣のいないときの若宮の近況を知らせてくれる。それはそうだ、私は誰よりも若宮に優しくしているのだから。若宮だって私の気持を誰よりもわかってくれる、そう考えながら端近に座ると、若宮が寄ってきて狭衣の白い衣装の懐に入り込もうとする。こんな何でもない若宮の可愛らしいしぐさに、父としての幸せをひそかに感じる狭衣だった。
急にあられが降り出して、空が荒れ模様になり始めた。
若宮はこわがって、狭衣の衣装を頭から引き被って震えている。狭衣はそんな若宮をたまらなくいじらしいものに思われ、
「私の家にいらっしゃいませんか。風の音も雨の音も響かない、大きく立派な家ですよ。大臣や人もたくさんいるので、ちっとも恐くなんかないですよ」
と尋ねてみると、
「大臣は好きよ。嵯峨の院はね、頭に髪がなくてつるつるしてちょっと恐いんだ」
と返事をする。
「入道の宮も髪が短いですよ。恐いと思っておられるのですか?」
「ううん。だって入道の宮は、とってもおきれいだから平気なの」
若宮の言葉に、出家後もその美しさが少しも損なわれていないのだな、と狭衣は心がときめいたが、動揺を若宮にさとられてはいけないと思い、そばに置いてあった笛を手にして、
「宮さま、早く大きくおなりあそばしませ。私が笛をお教えしましょう。大きくなられた宮さまはどんなにお上手にお吹きになることでしょうね」
とつぶやくと、若宮は狭衣の懐からもぞもぞと起きだして、狭衣の手にしていた笛を逆さまに持って、「ぼくの吹き方は大将に似ているかなあ」と吹くまねをする。こんなに可愛らしい若宮なのに、無常にも見捨てて仏道に身をゆだねた入道の宮のことを考えると、自分のせいとはいえ、あまりの冷淡さに涙がこぼれるのだった。


このようにして、狭衣は若宮を女二の宮の形見のように慈しみ、若宮の美しい顔立ちの向こうに入道の宮の面影を重ねていた。若宮の無邪気なしぐさを見ていると自然と笑みがこぼれる。そんなふうに若宮と遊びながら、いつしか御殿の燈火を灯す夕刻になった。ふと思い立った狭衣は、紙と筆を用意させて、燈火をそばに引き寄せ、この部屋そっくりの絵を描き始めた。調度品も装飾も、まったくこの部屋と同じ絵の中に、自分が物思いにふけっている姿と、笛を吹いている若宮の姿を入れ、そのそばに、

『うき節はさこそもあらめ音に立つるこの笛竹は悲しからずや
(わたしを恨むのはもっともなことだが、音高く笛吹く若宮を愛しいとは思わないのだろうか)』

と書き付けた。
できあがった絵は、嵯峨院へと贈る。嵯峨院のもとには、ちょうど中納言内侍典侍が伺候していた。狭衣が若宮の後見をしているということで、女一の宮や女三の宮などは、親しく手紙など交わしてはいたが、やはり入道の宮は見向きもしない。嵯峨院は、
「若宮だけでなく、あなたがたの後見も狭衣大将にお願いしているのだから、手紙くらいは差し上げるように」
と心配していた。
入道の宮が勤行をしていると、中納言内侍典侍が狭衣の描いた絵を持ってきて、宮の前に広げた。入道の宮は、
「まあ、一体どなたが描かれたのですか」
と美しさに目を見張ったが、狭衣の描いたものだとわかった途端に顔色を変え、無視するように勤行の続きを始めた。内侍はそんな宮のかたくなな様子を眺めながら、何がお二人をここまでこじれた関係にさせているのだろうかと不思議に思う。こうまで宮を恋しがる狭衣の心のうちを、入道の宮はまったく知らない。いままで狭衣が差し出した手紙すべてに背を向けてきたのだから。


狭衣さまが若宮の後見を進んでなさるなんて…女房の誰かが狭衣さまに若宮の本当の出自を告げたのだろうか、事情を知る女房など、信頼のおけるごくごくわずかの者しかいないはずだけど。もしそうだとしたら、きっと父院もすでにご存知かもしれない―――
今は亡き母君を懐妊させるというような強引なウソを知られてしまったかもしれない、と考えただけで、入道の宮は恐ろしさと恥ずかしさで心が震えた。極度の心労で死なせてしまった母君があの世から自分を見ているかと思うと、恥ずかしさで早く死んでしまいたい…その事ばかりを願う入道の宮であった。それだからこそ、いくら狭衣が言葉を尽くして宮に訴えても、若宮出生当時の事情を許す事はできないのだった。むしろ現世のうっとうしい縁をさっさと切って、誰にも知られない場所に隠棲したい気持であったが、どこにも安住の地がないこともまた事実だった。

そんなふうに苦しんでいる入道の宮の様子を見ている中納言内侍典侍は、ありのままを狭衣に伝える事もできず、
「いつにもまして熱心にご覧になっておられました」
とウソをつくことしかできなかった。
返事がないのは今に始まったことではないが、どうしてもあきらめきれない。
幼い若宮の美しい顔と入道の宮の面影が重なる。後悔先に立たずとはいえ、悔やんでも悔やんでも悔やみきれない狭衣であった。





そういえば以前話題にのぼっていた、堀川大殿の洞院上のもとに身を寄せている今姫君は、今どのような暮らしぶりであろうか。
二十歳をとうに過ぎた今姫君はなかなか美しい容貌をしているが、何事にも派手なことを好む洞院上は、
「今姫君をこのようにお世話しているからには、わたくしも狭衣大将の御母君や中宮の御母君の仲間入りをしたいというもの」
と、ひたすら堀川上や坊門上に負けまいとして、こともあろうに今姫君の入内を考えついた。さっそく堀川大殿に、
「このように考えておりますの」
と伝えたが、大殿は、
「私の子とも思えないが、まあ養女だと思えば、入内させる事は悪いことではあるまい、源氏の宮の一件も流れた事だしなあ。しかし今姫君の生母は内裏の女房だったから、すこし気がとがめるな。身分の低すぎる養女を入内させるのも見苦しいことになりはしないか」
と積極的になれない。折にふれて今姫君の様子を聞いても、入内して宮中でうまく交際してゆけるような才覚を持ち合わせているとはとても思えないような生活ぶりだ。
「入内したはいいが、恥をかくような事態にでもなったらたまらない。とりあえず入内は見合わせることにしなさい。今姫君のことは、狭衣に後見させることにしよう。万事、狭衣を頼りにしていれば心配ない」
と大殿が言うと、洞院上は、
「そんなことをおっしゃって、本当は、堀川上のお世話している源氏の宮以外は後見なさるおつもりがないのでございましょう?どうか入内させてやってくださいませ。あなたさまの御子ではございませんか。あちこちの御方(堀川上や坊門上)をうらやましいと思いながら日々を過ごすよりは、この姫を入内させて無聊をなぐさめたいと思います」
とうらめしげに言う。
そのことが洞院上の御姉君に当たる女院(故一条院皇太后宮で今上の母君)に伝わり、そのまま帝の耳に入ったが、
「なるほど。源氏の宮の一件が取り止めになったことでもあるし、太政大臣にしてみれば、源氏の宮の縁つづきの姫君を入内させることなぞすぐにでも思いつきそうだが、何も言ってこないのは何か理由があるからだろうね」
と噂に聞く今姫君の風変わりな生い立ちを気にしている様子である。
女院はそれを察して洞院上に、
「父君であられる故一条院の崩御以来、今上は物思いにふけりがちで、入内のことはまだ。太政大臣が正式に奏上されてからお考えになられるのがよろしいかと思いますよ」
やんわりと、それとなくお断りの意志を告げた。
だが洞院上は、
「わざわざ大殿を通してではなくて、女院から直接今上に申し上げていただきたいのでございます」
とかなり強気である。女院も再三、帝に申し上げてみたが、
「その話は太政大臣が奏上してからですよ。何も言ってこないのにこちらで早合点してもね。それに大臣から申し出がないのは、案外、大臣の腹の内は違うのかもしれませんし。それならば、こちらから積極的に動いても、かえって気まずくなるのではありませんか」
と、明らかに今姫君のことはお気に召さない様子である。
洞院上は、女院からこれらのことを聞いて、
「今上は今姫君のことをあまりよくは思ってはいらっしゃらないご様子ではあるけど、私がこんなに大切にお世話しているんだから、姫をご覧になれば必ず気に入ってくださるはず。大殿は入内に反対しておられるようだけど、入内させてしまえばこっちのもの。まさか中宮や源氏の宮以下のお扱いはしないはずだわ」
と我がままを通し、今姫君の入内を独断で三月に決めた。