鈴なり星

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狭衣物語43・神の妻となる源氏の宮、狭衣の慟哭

 

 

明けた今年。斎院が宮中にある初斎院から紫野本院に渡御する。
堀川大殿がたいそう気を配って斎院の住居となる本院を磨いているので、今年の賀茂祭りは今から何となく様子が違い、例年に増して華やかなものが期待できそうだ。祭り当日の飾りは、それこそ馬や雑色にいたるまで「後の世の例(ためし)になる」のではないかというほどの念の入れようだ。
上流貴族は、物見車の葵の飾りつけや随身など気をぬかずに準備し、中流貴族なども車を置けるような場所を今から探しているありさま。庶民たちは田植えで汚れた着物をせっせと洗って当日に備えている。
斎院としての身分上の制限から、華やかな衣装・生活ができない源氏の宮ではあるが、祭り当日は思う存分美麗にできる。大殿と堀川上は、当日の斎院の衣装を決めるのにどれほど迷ったことか。なにせ唐わたりの綾錦も金銀の装飾も、源氏の宮にはまばゆいほどに似合うのだから。
女房たち数十人の乗る車や童たちの乗る透き車なども準備される。女房の姿を外に見せるため車の簾は上げられると聞いて、狭衣は、
「はっはっは。透き車に乗らなければならない女房たちは、なんとも照れくさいだろうよ。他の車も簾が上がると聞いている。れっきとした身分の上﨟女房たちが、扇も許してもらえずに真昼間の大路を姿を見せて渡り歩くとは、泣きたいくらいの気持だろうね」
と笑っている。


いよいよ賀茂の祭り当日になった。
朝早くから堀川大殿は立ったり座ったりと落ち着かない。
「他人の時だって、行列が遅れて日が暮れてしまうのは気が気でないものなのに、ましてや今回は身内。ああ、気のせくことよ」
意外にも準備は滞りなく進み、女房たちがたいそう困惑した様子で透き車や簾の上がった車に乗り込む。
「仏の三十二相(注1)が備わっている者ばかりだ。皆輝いているぞ」
と軽口が言えるくらい大殿もようやく余裕が出てきた。後世の例になるように、と意識して用意された上﨟女房たちの衣装や車の飾りなど、言葉で書き尽くせないほどである。
その中で少し小ぶりな美しい唐車が源氏の宮に用意される。狭衣と大殿は、源氏の宮がいる几帳の左右に待機していた。堀川上が、忘れ物はないかしらと気をもんでいる。
几帳のすき間から狭衣がこっそりと見たものは、撫子の衣装に身を包み、きらびやかな釵子(さいし)を髪にさした、美しい斎院姿の源氏の宮だった。
「これほど美しい女人を神に差し出すとになるとは」と後悔してもし足りないくらいの狭衣だ。
やがて斎院を乗せた唐車が動き出した。大路には、一目見ようと重なり合った物見たちが延々に続いている。庶民はいうに及ばず、身分ある牛車などもびっしりと連なっていた。
賀茂の川原に到着した源氏の宮は、作法どおりに禊(みそぎ)の儀式を行う。列席者も楽人も、堀川家の勢いの強さを改めて世間に知らしめるような多さであった。
賀茂の宮司が御祓いを行っているあいだ、狭衣は心の中で、

『禊する八百万の神も聞け我こそさきに思い初めしか
(やおよろずの神々よお聞きください!私の方が先に源氏の宮を思いつめていたのです!)』

と叫んでいたが、神々に聞き届けられるはずもなく…。




注1:三十二面相について
平安時代の貴族たちは幸せに死ねるための観想、つまり極楽浄土を思い浮かべる訓練を熱心に行っていました。その中に、仏の身体の32のおおまかな特徴をイメージするというものがあり、
1.青く澄んだ瞳
2.歯が40本
3.美しい声
4.繊細な肌
5.膝に届くくらい長い手
6.なめらかで節くれだっていない指
など、非常に具体的に規定されていました。その内いくつ備えているか、で人の美醜ランクをつけていたのでしょう。
そこから発展して、美人を讃美する表現として「三十二面備わっている」という形容が、平安時代後期にポピュラーになっていたようです。