鈴なり星

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狭衣物語28・飛鳥井女君の真実を告げられて

 



飛鳥井女君が仮に生きていたとしても、無理に探し出してあれこれ詮索するのはいかにも未練がましい行為だろう…そうは思えども、二人の間にできた子がわびしい身の上で世間を漂うのは、いかにも哀れで仕方がない。狭衣は従者の道季を呼び、今姫君のところで聞いたことをすっかり打ち明けた。
狭衣は、道季を供にして、常磐の尼のもとをたずねようと決心した。
場所はだいたいわかっている。黄昏時に京を出発し、一条西京極のさらに西にある、母代の言っていた、ならびの岡あたりを馬で目指す。


探し求めていた人がこんな近い場所に隠れていたとは、と狭衣は感慨深かったが、生きているのか死んでいるのかさえわからないことを考えるとたまらなく悲しかった。
遅い月がようやく顔を出したようだが、夜空一面ぼんやりと霞みがかった中では雲さえよくわからない。そんな夜空の景色が狭衣の心をいっそう不安にさせる。
景色が次第に山深くなり、やがて常磐の里に着いた。
どこからともなく風に混じって念仏を唱える声が聞こえてくる。その声を頼って歩いていくと、粗末な小家にたどり着いた。門らしい門もなく、ただ木の柵が並んでいるような簡素な家である。
「ひょっとしたら、粉川寺で会った山伏がいるかもしれない」
狭衣はそう言って、道季に中を探らせようとすると、家の中からあの時の山伏の声で、
「開いてますのでどうぞ」
と聞こえる。二人が声のするほうに歩いてゆくと、少し離れた僧庵のようなところからあの山伏が顔をのぞかせていた。



「あなたが粉川寺から急に姿を消して以来、ずいぶん長い間探し続けて参りました。本日ようやくお会いする事ができました。
実は、今朝思いがけないところから、あなたをこの辺りで見た、ということを聞きましたので、その言葉を頼りにやって参りました」
「お話しておりました妹が危篤になったと、あの夜連絡がありましたものですから」
狭衣の、多少恨みがましく聞こえる言葉に山伏は淡々と返答する。
「そんな事情でしたので、どうかご勘弁ください。
妹はずっと出家したいと申しておりましたので、危篤状態になった折に、本意を遂げずに死なせてしまうというのも哀れに思い、大急ぎで出立してしまいました。
結局、妹は亡くなってしまいましたが、妹の追善供養だけはしようと思いまして、このように仮の供養堂にこもっている次第です。
明日が四十九日になります」

―――ああやはり亡くなっていたのか。

その言葉を聞いた狭衣は、気が遠くなるくらいの衝撃を受けた。
覚悟はしていたものの、女君の身内から真実を突きつけられると、悲しいという言葉も足りないくらいだ。
「粉川寺で妹君のことについて、家来たちに余計な話を聞かせたくないとためらい、真実を打ち明けられず、挙句にあなたの行方がわからなくなり…こんなことならむしろお会いしない方がましだ、と思ったものです。
ですがようやく今宵あなたにお会いできた。
聞いたところで、今更どうにかなるものではありませんが…」
あとの言葉が涙で続かない。
山伏は狭衣の様子に、これはただ事ではない、きっと何か深い事情があるに違いないと思い、
「そこまで真剣に探してくださった妹の臨終の際に、立ち会うべき縁(えにし)が何かございましたのでしょうか。
出会った時、妹は入水をはかろうとしておりました。出家したいと口癖のように言っていたのも、よくよく思いつめた事情があったからなのでしょう。しかも妹は身ごもっていた。だからこそ出家を先延ばしにしていたのですが。
その後私は、土佐のほうへ修行に行きました。私が土佐をさすらっている間、妹がどのように過ごしていたのか、詳しくは存じません」
と言った。
「共に暮らしていたという尼君は、どちらに?」
「妹が死んで以来、毎日泣いておりまして呆けたようになっていますが、お聞きになりたいことがありましたらどうぞ」
立ち上がり、尼君のいる仏間に狭衣を案内した。用意された御座に座り、尼君と対面する。かなり年取った様子の尼君ではあるが、なかなか由緒ありげな身のこなしである。
「…姫をたずねておいでくださいますとは、幻のようでございます」
「尼君さまから姫君の消息を聞いて、私の絶望が少しでも紛れることができるでしょうか」
お互いむせび泣きながら語り合う。姫を見初めた頃のこと、何気ない内輪の出来事などを少しずつ、狭衣は涙ながらに尼君に打ち明ける。
悲しみに堪えられず、感極まって嘆く狭衣の様子に尼君は、
「これほどまでに、姫はあなたさまに愛されていたのですね。あまりに短かった寿命が哀れでなりません」
と口惜しそうに嘆く。
「忘れ形見のかわいらしい御子がいると聞きました。どこにいますか」
「せめてもう少し前にこの真実のことをお聞きする事ができていれば…と思いますよ。
大変申し上げにくいことですが、あの子は人にあげてしまいました。もし事情がわかっていれば、人に差し上げるなどしませんでしたものを。
入水しようとした原因を何度かたずねた事はありますが、ほのめかす事さえなさいませんでした。姫に検非違使別当の息子の某少将が通っていたとお聞きしていたものですから、てっきり姫のお腹の子は、その少将の子だと思っていました。
生まれた女の子は世にもめずらしいくらい愛らしく、故一条院皇女であられる一品宮さまがご覧になりたがり、御子の百日の祝いの折に一品宮さまのもとに預けられました。
一品宮さまは赤子をたいそうお気に召されたご様子で、乳母などもたくさん召し寄せ手放そうとなさらないと聞き、姫はこの子をとても恋しがっていましたが、あの子のためを思えばこんな山の中の賤家で育つよりは…と泣く泣く手放したのでございます。
一品宮さまも本当に赤子をお気に召され、この子の素性を知る者が現れる事を心配なさり、世間からこっそりと隠れるように御養育なさっておいでのようです」
二人の子が一品宮のもとに引き取られたと聞いて、狭衣は驚いた。
全く思うように行かない世の中であっても、この子だけは一品宮に任せたままでいるものか。一品宮は、子供があまりに愛らしいから素性などは気にも留めないだろうが、お側仕えの人たちはどう思うだろう。幼い間はともかく、成長して大人になるにつれ、きっと一品宮のまわりに侍る女房どもと同列にされてしまうだろう。そんなことは絶対に許さない。かといって、『その子の父親は私です』とも堂々と言えない。ああどうしたらいいのだ…さまざまに思い悩んだ狭衣は、
「さてもさても、胸がいっぱいで。申し上げる言葉も見つかりません」
と打ちひしがれて言うのがやっとだった。
尼君は、こうなったのも自分の判断が悪かったからのような気がして、
「そのうち自然な親子の形にきっとおなりになられるでしょう。一品宮さまも、御子を並々のお扱いにはなさらず、それはそれは大事にしてらっしゃるようですし、御子の将来も心配ないでしょう。私自身はもう長いこと、一品宮さまのもとへは参上していませんが、これからは時々でも、御子の様子を伺いに参上いたします」
そう語った後、しばらくして尼君は勤行の誦経を始め出した。そのうちに山伏も側にきて、一緒に誦経を始めた。
「もうお帰りになられますか。もしまだお帰りになられないのでしたら、勤行が終わったあと、またこちらに参りますが」
と山伏が尋ねる。狭衣は、
「それでは勤行が終わるのをお待ちしましょう」
と答え、尼君には、
「形見の子が一品宮に引き取られて今更どうしようもありませんが、今はその子以外の誰をなぐさめに生きていけばいいのでしょう。
けれど、どうかお願いします、一品宮やお側仕えの人たちに、その子の父親は狭衣だと、決して決してお話にならないでください。
秘密にした上で、何とか工夫して人目をさけて、私をその子に会わせてください」
と言い聞かせた。