鈴なり星

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小夜衣32・今上と東雲の宮、立場は違えど思いは一緒

 

 

「やあ宮。すっかりご無沙汰だね。結婚した妻の家の居心地があまりに良いものだから、てっきり忘れられているかと思ってたよ」
人も少なな穏やかな昼下がり、脇息にもたれていた今上は、御前に参上した東雲の宮にそう声をかけました。
「は。鬱々とした気持ちに最近拍車がかかりまして…家を出るのもおっくうになってしまった次第でございます。いつ死ぬかわからないようなつたない身に、余計な縁(結婚)なぞ何の意味がありましょうか。ただただ出家することだけを願う、そんな毎日を送っています」
「ふうむ。何が気に入らなくてそんな心境になったのだね。これ以上ないくらい立派な家の妻を娶ったというのに、まだ満足できないと言うのだな」
とりとめもない世間話をしているうちに日も暮れてきたので、宮は御前を退出しました。
東雲の宮が退出したあと、今上は、
「宮が対の御方を隠したんじゃないかと疑っていたが、あの様子ではとてもそうは見えない。対の御方の失踪は、本当に梅壺女御の母君の仕業なのだろうか」
とため息をつきます。なぜなら、もし本当に女御の母親の仕業であるのなら、原因はおそらく自分にあるからです。対の御方への恋心を隠していたつもりだったのが、いつのまにか周知のこととなり、激怒した女御の母親が邪魔者は消せと言わんばかりに行方不明にさせてしまったのですから。
私のせいなのか。
生きているのだろうか。
もう一度逢えるのだろうか。
あれこれ考えるにつけても、今上は口惜しくてなりません。


逢はずして わかるる中の 契りこそ げにいにしへの うさもしるられ
(契ることなく別れることになった彼女なのだ。ああ、前世での縁の浅さも思い知らされることよ)


それ以来、もう梅壺そのものに興味を失ったかのように、今上の足はすっかり遠のいてしまいました。ときおり誰かを探すように梅壺をのぞいては、深いため息と共に立ち去ってゆく今上。
その背中を見送る女御は自分自身がたいそう恥ずかしく、
「なんてみっともない立場なんだろう。女房たちも内心笑っているに違いないわ。ああそれより、お父さまとお母さまがどれだけ困っているかしら」
と悲嘆するばかりなのでした。





対の御方が監禁されて、もうだいぶ日にちが経ってしまいました。
(いつまでこのままなのだろう、あるいは一生をここに閉じ込められたまま過ごさねばならないのかしら…ああ早く死んでしまいたい。仏さま、後生ですから今すぐ私の命を取り上げて下さいませ)
祈ったところでなんの効験もありません。
(おばあさまは無事なのかしら。もしご無事なら、私のことを心配して下さっているかしら。父上も…ああだめだわ、今北の方が嘘の報告をしているに違いないわ。私にけしからぬ落ち度があって行方知れずになった…そう説明している気がするわ。そうして父上に嫌われ、そのうち私の存在すら誰からも忘れられ…ああそんなのイヤ…)
そう考えただけで死んでしまいそうな気持ちです。
一方、対の御方たちがここに閉じ込められて以来ずっと食事の世話をしている女(主の民部少輔の妻)は、毎日御方たちに接するうち、いつしか悲嘆にくれる美しい御方の味方になってしまいました。
(なんておいたわしい。こんな可憐な女郎花みたいな人が、何をどう悪だくみできるっていうの。今北の方さまは本当に恐ろしい方ね。風にも耐えられそうにないくらい儚(はかな)げな人に、なんてひどい仕打ちを考えつくんだろう)
とはいえ、主人筋の命令ですから逆らえるはずありません。
「神さま仏さま、どうかこの方たちをお救い下さいませ」
と祈るしかないのでした。それを聞いた対の御方は、
「私をさらった悪党の一味にまで同情されてしまうなんて…なんて情けない我が身なの。ああ本当にいますぐに死んでしまいたい」
と目の前が絶望で真っ暗になるのでした。