鈴なり星

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振り返れば奴がいる? その1 怪しげなまじないの噂を聞いた斉信

 

 

『…未来の夫が知りたいならば、夜中に麻(アサ)の実をまきながら廃寺の周囲を回ればよい。
”私はアサの種をまいた、アサの種を私はまいた、私をもっとも愛する人は、私を追いかけてきて刈り取れ!”
と叫び、おそるおそる背後を振り向くと、幻の夫が現われ、足元に伸びた幻のアサを大きなカマで刈りながら追いかけてくるだろう。もし背後に何も現われなかったならば、その女は結婚できないであろう。そして幻の夫の代わりに怪奇な棺が現われたなら、その女は早死にするだろう…』


「なんて不気味な妖歌だ。気分が悪くなったぞ」
「この手の妖言は流行り病とともに自然発生するものだ」
はしかはピークを過ぎたとはいえ、未だ悪疫去らず、病死者が往来に打ち捨てられ、京の都はすっかり荒廃していた。こうなると、さまざまな流言飛語が飛び交う。妖歌妖言のたぐいは、庶民の声なき声だ。本能的な不安が人心の動揺を増幅させる。
涼しげな風が殿上の間を通り抜ける昼下がり、斉信と行成は最近洛中で流行っているこの歌について話していた。
「恋のおまじないにしては、ずいぶんと怖ろしげじゃないか。幻のアサを刈りながら追いかけてくるなんて、まるで妖怪にでも襲われている気になりそうだ。ああいやだいやだ、いやなうわさを聞いてしまったものだよ」
「流行り病が下火になれば、勝手に消えていくだろう、そんなに気にするものではないと思うが」
行成はそう言いながら、腕を組んでじっと考え込んでしまった斉信を見つめていた。
今日の斉信はなんだかおかしい、と行成は感じていた。いつもなら、こんなたわいもない戯れ歌、「くだらない歌がまた流行っているんだなあ」の一言で片付けてしまうのに、今回は妙に引っかかっている様子だ。思いのほか真剣な表情の斉信は、黙り込んで眉を寄せてしまっている。
「斉信、どうしたんだ。何か思い当たるふしでもあるのか?」
だいたい斉信はこの時代にしてはリアリストだと行成は思っていた。病気の際の加持祈祷に付け加えて薬湯や鍼灸も非常に重んじ、あやかしの裏には生身の人間の醜い思惑が潜んでいる、と常々信じて疑わない斉信のどこに、こんな子供だましの歌が気にさわるというのだろう。
「伸びた幻のアサを刈りまくって追いつかれたら、最後には一体何を刈り取られるのかと思ってね…それに、もし未来の夫ではないものが見えたらと思うと、なんだか背筋が寒くなりそうだよ」
斉信は、心ここにあらずといった様子で目をつむった。
「そうまでして、未来を見る価値ってあるのかな。
いや…あるのかも知れない」
「斉信?」
いったい何を気にかけているのか、言葉の裏が今回はどうにも読めない行成だった。いつも饒舌な斉信の唇がやけに重々しい。
馬鹿なことと一笑に附して終わりの話題だったはずなのに。
「気にかかることがあるのなら、遠慮なく言ってくれ」
「何もない…何もないよ」
出た言葉とは裏腹に、おびえた目で行成を見つめていた。
「まさかとは思うが、こんな子供だましの妖言を信じているのか?
いやそれとも、したことがあるのか?」
あきらかに様子がおかしい。何かを思いつめているかのようだ。
ため息をひとつついた後、「してないよ」と弱々しくつぶやいて、斉信は立ち上がった。
「将来の伴侶云々は置いておくとして、自分の未来の何かが見えるというのは、実に誘惑的なまじないだ。鏡に映る自分の背中越しを覗き込むように、一体私の背後には何が浮かび上がるのだろうか。想像するだけで震えがきそうだよ。試してみる価値はありそうだとは思わないかい?
では、私はこれで帰る。今日の仕事は終わったからな」
「斉信…君はこんな…まじないだぞ、信じるのか?」
中腰のまま、雷に打たれたかのように固まった形で、斉信の後姿を見送る行成は、その姿がすっかり見えなくなった後、いやな予感でいっぱいになった。ひまつぶしにでもと、何気なく振った噂話だったが、すっかり取り憑かれたような顔つきで帰っていった斉信。話題を振ったのが自分自身である以上、責任を持って最後までつきあうのがスジではないか。行成には確信があった。彼は必ずまじないを実行すると。それがいつなのかはわからないが、あれほど思いつめた様子なら早々にでも…生来真面目な行成は、後ろめたさも手伝って、ただならぬ思いに取り憑かれた頭中将を元に戻そうと心に誓ったのだった。


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