鈴なり星

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狭衣物語44・源氏の宮、斎院としての新たな出発

 

 

本院に到着した斎院は、自分がこれから後ずっと住むことになる本院を改めて見渡してみた。広かった堀川邸とは違う、ひっそりとした住まい。幼いころから馴染んだ堀川邸の広大な庭の木々や池はもう見られないのだと思うと、たまらなくさみしい気持におそわれる。
母屋の前を流れる遣水は有栖川(ありすがわ)というらしい。その名前を聞いて、斎院は、

『おのれのみ流れやはせん有栖川岩守るあるじ我と知らずや
(有栖川よ、ここを守っているのはおまえだけではないのよ。これからは、この私がここの守り人になるのだから)』

としょんぼりつぶやく。
本院到着後、堀川上にあてがわれた部屋の方から、狭衣が斎院のもとへやってきた。絵にも描き留めておきたいほどの美しい斎院姿に、狭衣は、

『榊葉(さかきば)にかかる心をいかにせんおよばぬ枝と思ひ絶ゆれど
(たしかに手の届かない所へ行ってしまったかもしれませんが、心の中ではどうやってあなたをあきらめればいいのでしょうか)』

うらめしい口調の狭衣のつぶやきに、斎院はうつむいたままだった。


斎院のもとへ、帝からの勅使がやってきた。
御使者は、一品宮と狭衣とのありもしない噂を吹聴した、あの権大納言の息子の近衛少将だ。帝の御文を堀川上がご覧になる。

『我身こそあふひはよそになりにけれ神のしるしに人はかざせど
(神のしるしの葵を皆が髪にかざしていますが、私にとっての葵であるあなたは、もう私とは無関係になってしまったんですね)』

御文は葵がさねの美しい薄様に包んであった。


今日の晴れ舞台のために、堀川家では特別に十二ヶ月の色をつくり、その色で染めた衣装を女房たちに着させた。衣の袖口や裾には白金・蒔絵・螺鈿(らでん)を押し、輿(こし)をかつぐ者の着ている服装にも趣向を凝らし、世の例にもさせようとの意気込みで行った一大行事は大成功に終わった。
広大な一条大路は見物する人々であふれ返り、えもいわれぬ香りに包まれた。
その夜、堀川大殿が御社にとどまれば上達部たちもそこにとどまって、土の上に円座などを敷き、牛車の中の若い女房たちと楽しく物語りなどして、にぎやかに華やかに夜は更けていくのだった。京の都ではまだ聞けないホトトギスの声もここでは聞くことができる。垣根を吹き渡る風もしみじみと風情があり、狭衣はますます源氏の宮への恋しさが募ってゆく。
斎院の御殿はなにごとも先例重視である。御前には頼りなさそうな屏風があるだけで、あまりにもむきだしなのが心配だ。少し強い風が吹けばいとも簡単に倒れてしまい、斎院が外から丸見えな状態になってしまう。心配した狭衣は、
「せめて斎院の御座所だけでも厳重にしてはいかがですか。これでは丸見えといってもいいくらいですよ」
と見苦しく思われる所を半ば強引に修理し始めた。
「まあまあ助かりますわ、大将さま。わたくしどものように年を取った者たちは、ここのあけっぴろげさには困っておりました。顔も姿も何もかもが見通されているようで」
など、女房たちはうれしそうに応えている。
晴れの儀式の主人公である斎院は、その格別美しくしつらえた室内の調度もかすんで見えてしまうほどのあでやかさで几帳の向こうに座っていた。
小さな葵を髪に飾っている斎院。まことに、千年たっても見飽きることのない美しさだと、いつまでもそばにいて見続けたい狭衣だったが、これ以上身近にいては自分を抑える自信がない。ああやはり斎院決定の勅が下された時にさっさと出家していれば、このような物思いの苦しみも味わうことはなかったのに、どうして私はいつまでもぐずぐずと俗世に居続けるのだ…と情けない思いでいた。

大騒ぎの賀茂祭りも無事に終わり、都はようやく落ち着きを取り戻した。