鈴なり星

平安古典文学の現代語訳&枕草子二次創作小説のサイト

2023-02-01から1ヶ月間の記事一覧

第一回直撃レポートin大学寮

私は頭の中将藤原斉信。私は今、朱雀門を出て南にすぐの、大学寮という所の門前に立っている。ここへ来たのは近衛府の仕事でもなければ蔵人としての仕事でもない。とある筋からの依頼で、大学寮の職員にインタビューにやってきたのだ。え?誰の以来かって?…

狭衣物語18・狭衣、飛鳥井女君の消息を知る

それからしばらくして、筑紫に下っていた狭衣の乳母子である道成が、国司に任ぜられるとのことで、正月に京に上ってきた。道成は狭衣に対面して、大宰府からの道中の興味深いことなどを、おもしろく物語る。そのうち、入水した道成の女君の話になったが、ど…

狭衣物語17・逢いたい男、拒否する女

すさまじきものは師走の月とはよく言われるが、見る人見る時間が違えば、また格別なものとなる。狭衣は、明け方の寒気に澄み渡る師走の月を見ているうちに、どうにもこうにもたまらなく心細くなり、居ても立ってもいられず、乳母子の道季(飛鳥井女君をさら…

古今著聞集・興言利口12 555~558段

555段 能筆で知られたぐうたら智了房の事 少し前の話。『無沙汰の智了房』という者がいた。無沙汰とは怠け者の意味で、つまりこの智了房はぐうたらで、約束を守らないことが度々あったのだった。だがこの智了房はたいへん字が上手く、よく書写を頼まれていた…

小夜衣23・小夜衣、宮中で東雲の宮を見かけ…

さて五節の当夜です。宮廷内の行事の中で、もっともきらびやかな催しものの一つである五節の舞の奉納には、公卿・殿上人が残らず参集し、舞が披露される豊明殿はとてもにぎやかです。ほとんどの殿上人が集まっているわけですから、東雲の宮はもちろん出席し…

小夜衣22・今上、可憐な小夜衣にご執心

さてこちらは、対の御方(小夜衣の姫)にすっかり心惹かれてしまった今上です。ずいぶん長い間ひと目を気にして、ふるまいに気を使っていた今上でしたが、最近はその気持ちも持て余し気味、抑えきれない恋心にイライラする毎日です。あの人にもう一歩踏み込…

古今著聞集・飲食3 622~625段

622段 奈良法師の句に連歌した式部大輔敦光の事 式部大輔・藤原敦光のところに、奈良から僧が、飛鳥味噌(あすかみそ)なる食べ物をたずさえてやって来た。この飛鳥味噌、南都の僧が法論(仏教義の討論)を行う際、眠気防止に食した味噌で、焼き味噌に麻の実…

古今著聞集・変化5 606~611段

606段 大納言泰通の夢枕に老狐が立った事 大納言泰通卿の邸宅は、父親の侍従大納言成通卿から譲られた古い屋敷である。屋敷の広い庭にはたくさんの狐が棲みついていたが、特に困った悪さをするでもなかったので、そのまま放置していた。ところが年月が経つに…

狭衣物語16・女二の宮、苦悩の果ての落飾

お産の終わった女二の宮はだんだん快方に向かっていた。しかし心の内は、口惜しさと恥ずかしさで命も絶えそうな心地だった。そんな女二の宮を世話する母大宮の容態は、産養いの頃はごく普通に見えたのに、ある夕暮れ、突然はかなくお亡くなりになってしまっ…

小夜衣21・東雲の宮、山里の尼君に現状を愚痴る

それ以来東雲の宮は、前にも増して小夜衣の姫のことばかりを考えています。自分が今いる宮中で、同じ空気を吸って暮らしている、と思うと、それだけで心は千々に乱れます。この複雑な想いを、山里にいる尼君に訴えてみようか…ある日東雲の宮はそう決心して、…

小夜衣20・東雲の宮、噂の対の御方の素性を知る

こうして、可憐な対の御方見たさに、毎日毎日せっせと梅壺に通いつめる今上。とうとうある日ガマンできなくなって、梅壺女御に訊ねました。「ところで、奥に控えている女房…そう、あの竜胆襲(りんどうがさね)の女房ですよ。いつも目立たぬようにふるまって…

小夜衣19・暮らしの激変に戸惑う小夜衣の姫

こうして忙しく日々は過ぎ、とうとう按察使大納言の姫の入内当日になりました。たいへん豪華なお仕度です。数日前に今北の方が小夜衣の姫のもとへやってきて、「このお屋敷ですることもなく退屈に過ごされるよりは、思い切って宮中に出仕なさっては?気分も…

古今著聞集・変化4 602~605段

602段 若狭前司庄田頼度、八条院の変化を捕らえる事 後鳥羽院の御世、八条殿に障子内親王がお渡りになられることになったのだが、そこには夜な夜な化け物が出現するという噂があった。困った帝は、前若狭守の庄田頼度という者を召し、「内親王が怯えておられ…

古今著聞集・興言利口11 551~554段

551段 美貌の尼に仕え雌伏三年、思いを遂げた僧の事 少し前の話だが、あるところに純潔を慎ましく守り続け、一度も男と交わったことのない清らかな尼さんがいた。女盛りで顔立ちは美しく、立ち居振る舞いも好ましく、暮らしむきもまずまずのこの尼さんに、と…

古今著聞集・興言利口10 547~550段

547段 蔵人某の珍妙な喪服の事 ある若い蔵人が妻のことで困っていた。妻はとても嫉妬深く、男もほとほと愛想が尽きるほどで、毎日喧嘩が絶えなかった。男はいつもいつも「もう嫌だ、今日こそ別れたい、今日こそ」と思い続けていた。前世からのなにがしかの縁…

古今著聞集・魚虫禽獣1 672~679段

672段 禽獣魚虫、皆思ふ有るに似たる事 空飛ぶ鳥、地を歩くけものや虫けら、水泳ぐ魚の数は途方もない。人と話すことはできないが、その一つ一つには心があり、それぞれが皆思いを持っているように見える。 673段 右近少将広継、大宰府にて龍馬を得た事 奈良…

古今著聞集・宿執4 497~500段

497段 わずか七つにして芸道に執心する子の事 法深房藤原孝時は20歳の頃より熊野詣を始めた。「私の芸が父に及ばないのでしたら、今すぐこの命を取り上げて下さってかまいません」参詣のたびにそう祈り続けた甲斐があってか、その後彼は琵琶楽の第一人者にな…

古今著聞集・宿執2 486~492段

486段 楽人時資、院の勅に反し、寵童に奥義を授けぬ事 白河院が御在位だった頃の話である。ある時時資(ときすけ)という楽人が帝に召され、当時帝のご寵愛だった二郎丸という名の稚児に、貴徳と納蘇利の楽の秘儀を授けよという勅定がおりた。が、時資は固辞…

古今著聞集・宿執3 493~496段

493段 重病をおして神楽行事を行った人の事 故高倉院の笛の師匠だった藤大納言実国は、寿永元年(1182年)頃病気で寝込んでいたのだが、闘病中にも関わらず、豊楽院清暑堂の御神楽の本拍子役に選ばれた。清暑堂での神楽は大変重要な行事なので、実国は息子二…

古今著聞集・変化3 598~601段

598段 二条院の御時、南殿に変化の出る事 二条院が御在位だった頃の出来事。ある年の新嘗祭、五節の舞が行われた卯日の深夜、南殿(紫宸殿)の東北の片隅を、主殿司が歩いていたところ、背後から誰かに頸(くび)の辺りを押される気配を感じた途端、主殿司は…

狭衣物語15・しでかした現実から逃げる男

女二の宮の宮中退出の話を聞いた狭衣大将は、いてもたってもいられず、中納言内侍典侍のもとへ出向いた。「とにかく一度でいいからお会いしたいんだ」という狭衣の真剣な様子に内侍典侍は、「いまにも消えてしまわれそうな弱りようですので、母大宮さまが夜…

狭衣物語14・女二の宮、婚儀前の懐妊発覚

「お待たせいたしました。少々風邪を引きまして、今まで休んでおりました」「昨日の晩も、君に会いに行ったんだけどね。見放されたかと思ったよ」「申し訳ございません。でも狭衣さま、御降嫁の件もだんだんと具体的になってきておりますのに、いつになった…

小夜衣18・東雲の宮と小夜衣の姫、それぞれの後悔

かわってこちらは東雲の宮。宮は、小夜衣の姫をこっそりかくまう場所を準備したので、いつものとおりお手紙を山里の家に送ったところ、お使いの者が「大納言邸へ引っ越されたそうです」と手ぶらで戻ってきましたのでびっくり。「なんだって!?そんな話は聞…

小夜衣17・山里の我が家とのお別れ

さて、按察使大納言のお屋敷では、来月入内予定の姫の準備に追われていましたが、父君の大納言は、山里の小夜衣の姫をちゃんとお迎えすることも忘れていませんでした。姫たちが、屋敷のどたばたに遠慮してしまうのではないかと心配していましたが、わびしい…

小夜衣16・悲しみを打ち明けられない姫、気づかぬ宮

逢えなくなって、どのくらい経つのかな…と、東雲の宮は今夜も独りもの思いにふけっています。「今宵こそ」「今宵こそは」と毎日思っているのですが、両親に知られてやっかいなことになるのも鬱陶しい、だからと言って、心から愛する女を打ち捨てておくのは男…

狭衣物語13・予期せぬ出来事

数日後、狭衣は女二の宮付きの上臈女房である中納言内侍典侍のもとを訪れた。この中納言内侍典侍の姉は、女二の宮の母大宮と縁続きの者で大弐の乳母と言う。しかもこの大弐の乳母は狭衣の乳母でもあった。大弐の乳母は夫とともに遠国に下向してしまったが、…

古今著聞集・興言利口9 543~546段

543段 聖覚法師の力者法師が築地修理の工人をののしる事 持明院の棗堂(なつめどう)の前を聖覚法印が通った時の話。堂の築地を工人たちが修理しながら世間話をしていたのだが、聖覚法印の説法の雑談をした時、たまたま法印ご本人が輿(こし)にゆられて通り…

古今著聞集・興言利口8 540~542段

540段 七条院の女房権大夫、孝道と歌の贈答をする事 高倉院妃だった七条院に仕えた女房・権大夫の話。彼女は歌人建礼門院右京大夫の姪にあたり、その歌才を受け継いだ宮廷女流歌人・七条権大夫として評判だった。『秋きぬと松吹く風もしらせけりかならず荻の…

古今著聞集・興言利口7 537~539段

537段 下野種武、大仮名にて散状を書く事 後鳥羽院の治世の頃、某所で行われた競馬(くらべうま)で、下野種武という随身が敗者になった。勝負事の敗者は負けわざを披露するのがルール。とはいえ、一介の随身で豪華な宴会などができるはずもないので、せいぜ…

古今著聞集・興言利口6 530~536段

530段 下野武景、別名「善知識の府生」の事 後鳥羽帝の御時のこと。右少将藤原親平の息子性親が気性の荒い馬を持っていた。葦毛のたいそう癇の強い馬で、フェラーリのエンブレムくらい跳ね上がるクセがある。これに耐えて乗りこなせる者などめったにいないと…