鈴なり星

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振り返れば奴がいる? その2 心配のあまり斉信を尾行する行成

 

 

(しかし、聞いたその晩に実行するとは思いもしなかったぞ)
今、行成は暗闇を歩く斉信のかなり後ろを歩いている。要するに、あとをつけているのだ。あのあと、行成は屋敷に戻るなり舎人(とねり)に言いつけて、斉信の屋敷を見張らせていた。亥の刻(午後十時)近くになって、見張っていた舎人が「頭中将さまが、外出の支度をし始めました」と知らせにきた。それを聞いて行成も手早く身支度を済ませて、用意させておいた馬であとをつけた。牛車は音がするので使わず、極力目立たないように供も一人、馬の横を灯火もつけずに歩かせている。
このまま斉信が、どこぞのお屋敷にでも行くなら良し。胸をなでおろし、きびすを返して自邸に戻れるが、違うなら…そう考えながら後をつけていたのだが。


キィ…キィと車輪をきしませて、斉信を乗せた牛車は、高級住宅街からどんどん離れて行く。
欠けた月が雲から顔を覗かせる深夜、とうとう西の京近くに来てしまった。人家のまれな、荒れ果てた場所に何の用事があるのかといえば、やはり昼間の一件しかないだろう。予感が的中したことを告げるかのように、まもなく行く手の先に、闇より黒い廃寺が、不気味な姿をさらすのが見えた。崩れかかった門は扉も無く、茫々に伸びた草やぼろぼろに朽ちかかった屋根らしきものが、月の光に照らされている。
やがて門の近くで車は止まり、中から斉信が降りてきた。入り口でしばらく廃寺を眺めているようだったが、牛車のそばで、お互い手を合わせて震えている従者たちに何事か申しつけ、ザクザクと門の向こうの暗闇に消えていった。それを見た行成も馬から降りて、ゆっくりと牛車に近づく。ふいに現れた行成に驚く斉信の従者たち。行成は唇に人差し指を寄せて「静かに」と従者たちを制し、やはり同じく暗がりの向こうに消えた。



普通の感覚の持ち主なら、恐ろしくて足もすくんでしまう暗闇。おまけにここは廃寺で、物怪(もののけ)の類がひそんでいてもおかしくないような場所なのに、今の斉信にはそんな常識など何の意味も無かった。
行成が話してくれた、あの不気味なまじないが頭の中をぐるぐると回る。その表情はとてもうれしそうで、かつ輝いていた。物怪も目を逸らして逃げていきそうなほど、にやけて締まりのない口元だった。
本気の片恋を、それはもう慎重に温めている斉信は、もう片方の蔵人頭の幻が現われてくれたら、いやきっと現れるに違いない、と信じていた。
アサの実をぐるっと一周まいて叫ぶだけで、恋人になる予定の人が浮かび上がる(夫のはずでは)。鋭い鎌で、伸びた幻のアサの茎をザクザク切り倒しながら迫ってくるのなら、最後はしっかりと抱きしめればいいだけではないか。
昼に行成からこの話を聞いた時、そんな都合のいい妖言が巷で流行っているのかと小躍りしたい気分になった。
行成の手前、自制に努めてひきつった表情と物言いになってしまったようだが、行成はそれを「斉信が動揺している」と受け取ったらしい。責任を感じている口ぶりの行成が、悪いとは思うが少々可笑しかった。
斉信は、自分の背後に棺が現われる可能性など少しも考えていない。
自分はきっと行成の幻を見るに決まっている!少なくとも自分の背後は、そして未来は、バラ色に輝いてるに違いない!
あまりにも自信に満ちあふれたその考え方は、一体どこから湧いてくるのかと胸ぐらをつかんで問いただしたい気分にさせられるが、ともかく斉信は、暗く陰気な廃寺には不釣合いなほど顔を緩ませて、懐からアサの実のつまった袋を取り出した。


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