鈴なり星

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小夜衣36・監禁された家の主民部少輔の画策

 


さて、対の御方たちが捕らわれている民部少輔の家では、御方の可憐さにすっかりのぼせ上った主人の民部少輔が、無い知恵をしぼり出そうとしていました。
「よくもあんなみすぼらしい妻と長年つれ添ったものだ。あの美しい姫さまを拝み奉り、毎日お世話できたら、なんとも張りのある人生になるだろうなあ。同じ生活するなら、そんな生きがいを持ちたいものだ」
どうにかして妻を追い出し、清楚で可憐な姫と暮らしたい民部少輔です。
「(按察使大納言の)今北の方も、『そなたの好きにしてもかまいませんよ』と仰ってたしなあ。あれはきっと、『逃がしさえしなければ、何をしようがかまわない』という意味なんだろう。とにかく、あの姫さまを我がものとしてお世話するためには、姫さまに同情している我が妻がなんとしても邪魔だ。こじつけでも何でもよいから難クセをつけて、さっさとこの家から追い出してしまおう」
と考えました。
それからというもの、重箱のスミをつつくような小言やイヤミを言ったり激しく叱責したりして、妻につらく当たり始めました。
妻の方では、そんな夫の浅はかな考えを見抜いていましたが、表面上は何も知らないふりをしています。
「ここで逆らっては、姫さまにどんなことが降りかかるか…今は私しか味方がいないというのに。私がこの家を追い出されたら、誰が姫さまの部屋に出入りできるというの。身の程知らずの夫が我がもの顔でお世話しようと張り切るに決まっているわ。それに私がこの家から居なくなったら、姫さまたちが私を恨むかもしれない。”夫の邪(よこしま)な想いを叶えようとした”って。
困ったことになったわ。母を亡くして伯母のもとで育てられた頼りのない私を妻と呼んでくれた優しい夫だったのに。あまりに美しい人を見ると、男って人柄までも変わるのね。今の夫は私の知らない別人のようだわ。なんて情けない」
対の御方の様子を見に行くと、相変わらず袖を泣き濡らして突っ伏しています。妻は自分が悩んでいることもあり、絶望的な立場の御方に同情しつつ、
「あなたさまの苦しいお立場、物の数にも入らぬ私も本当にお気の毒だと思っております。何とかお逃がしする方法でもあれば…と毎日仏様にお祈りしているのですが、なかなか良い案が浮かびません。この部屋に来れるのは私だけですので、姫さまが消えてしまったとなると、あの恐ろしい夫に私が責められてしまいます。仮に姫さまをお逃がし出来たとしても、女人が二、三人で動けば、小さな我が屋敷とはいえ、門で宿直している門番に必ず見つかって連れ戻されてしまうでしょう。
そうなりますと、今よりもっとひどい扱いをされてしまいます。この身に代えてでも姫さまをお救いしたいとは思っておりますが、見つかって連れ戻された時のことを思うと…なかなか良い知恵を思いつけない私をお許しくださいませ」
泣きながら語る妻に真心を感じた女房たちは、
「今の今まで、神や仏にしかおすがりできないと嘆いていましたので、あなたの言葉が本当に頼もしく思えますわ。何とか脱出方法を考えて、一日も早くここから逃がしてくださいな。あなたさまの誠意、姫さまの御心にもしみているはずですわ」
と、とてもうれしく思い、密かに脱出の案を相談し始めました。





同じ頃、内裏では今上もたいそうお悩みでした。
「遅い。遅すぎる。実家にどんな事情があるにせよ、この時期まで戻らないのはおかしいではないか」
何かの事情があって、宮仕えを辞めたのだろうか…それではもう会うことすら叶わぬではないか…と、今上は落胆の色を隠せません。対の御方がいつも寄りかかっていた梅壺の真木柱をこっそり眺めては、
「この柱だけが愛しい人の形見だというのも情けない。


つれなさを 恨みしだにも かなしきに おもひ絶えぬる おもひをぞする
(愛しい人のつれなさを悲しんだ上に、さらに諦める痛みを味わわねばならぬとは)


真木の柱よ、君にいつももたれていた美しい人を、とうとう諦めなければならなくなったよ」
とつぶやいて帰ってしまいます。その一部始終を見る梅壺女御付きの女房たちは、
「やっぱり今上さまのお目当ては、うちの女御さまではなく対の御方だったのね」
「あーあ、今さらだけど、なんで今北の方さまに告げ口なんかしちゃったのかしら。これじゃあ人目も取り繕えないじゃない」
「そうよね。今までは一日中梅壺にお渡り下さってたのに、今じゃまるっきり音沙汰なしだもの。恥ずかしいったらありゃしない」
とがっかりするのでした。





月日の経つのは早いもので、関白邸でも二の姫の四十九日を迎えました。
喪中の間供養を続けていた僧たちも、各々の寺へと戻って行きます。関白家の人々は、
「朝夕の念仏の声に慰められていたのに…さびしくなるのう」
と嘆いています。東雲の宮も、喪が明ければこの家から自邸へ戻らねばなりません。関白大殿や母上に、
「あなたさまが居てくださったからこそ心の慰めにもなりましたのに、明日から何を姫の形見として生きてゆけばよいのでしょう」
と引き止められ、宮も涙があふれて止まらないのでした。
二の姫にお仕えしていた女房たちも、姫の生前は宮に気後れしてなかなか近づけませんでしたが、喪中の間は夜も昼も共に念仏を唱える毎日でしたので、今ではすっかり宮をお慕いしていました。その美しい貴公子がこの屋敷から去ってしまうのですから、皆声を震わせ泣きあっています。
「どこに居ようとも、この私の心が変わるなど決してありませんよ。いつまでもそなたたちと気持ちは同じなのだから。それを忘れないで下さい」
そう言って女房たちを慰め、夕暮れ時に関白邸を出発することとなりました。
屋敷のあちこちで泣きあっている人々の様子を見ると、宮は後ろ髪を引かれる心地がして、とても出てゆけそうにありません。
涙に濡れる袖を顔に押し当て出発なされたとの報告を受けた大殿たちの心境も、察するに余りあるのでした。
無事自邸に戻った宮に関白大殿から手紙が届き、その痛ましくも悄然とした内容に、お返事も出来かねる宮なのでした。
その一方で、自慢の愛息子の久しぶりの帰邸に大喜びの父院と母大宮です。
「あなたの帰りを本当に待ちわびていました。まるで千年も経った気分ですよ」
息子が面やつれしているのを気遣う母大宮。関白大殿と母上の様子を聞いた父院と母宮は、
「子に先立たれるとは本当においたわしい限りだ。我が子を思う親のつらさは、私たちにもよく理解できるだけになあ…」
と涙を流してうなずき合うのでした。


一時は二の姫の死で涙に沈んだ東雲の宮でしたが、ひととおりの供養が終わりますと、やはり思い出されてならないのが山里の家の事と対の御方の事です。ほんのわずかな手がかりでもいい、何か進展はないだろうかと姉の中宮の女房の宰相の君に会いに行きましたが、
「まだ何も伺っておりません」
との返事。
何とつれない返事だ、私と姫の仲を取り持ったきっかけの女房なのに、行方知れずの姫が心配じゃないのか…と半分八つ当たり気味の宮です。
「どうにかして私と同じ気持ちで姫を心配している人と語り合いたい。それには山里の尼君しか…」との一心で、ある日の夕暮れ時、山里の家を訪ねることにしました。