鈴なり星

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小夜衣20・東雲の宮、噂の対の御方の素性を知る

 


こうして、可憐な対の御方見たさに、毎日毎日せっせと梅壺に通いつめる今上。
とうとうある日ガマンできなくなって、梅壺女御に訊ねました。
「ところで、奥に控えている女房…そう、あの竜胆襲(りんどうがさね)の女房ですよ。いつも目立たぬようにふるまって、控えめな人ですね。どういう素性の人ですか?」
他の女房たちのことを色々話した後なので、こう聞かれても女御は何も気づきません。
「さあ…何でも我が家に直接ゆかりのある御方だとしか伺っておりませんが」
女御の返答に、
(直接なゆかりが…そうか。とても並みの女房には見えないから、多分按察使大納言の妾腹の娘か親族の者か、そういった縁故なのかもしれない。しかしそれならそれで、こちらの娘を入内させればよいものを。私はそれでもぜんぜん構わないぞ。いやむしろそっちのほうが…うーん、きっと大納言の北の方が、実の娘を入内させたかったんだろう)
今上は、対の御方が何も恥じることのない素性の者だと推測すると、積極的に側に召し出させ、何かにつけてお相手させようとします。けれど対の御方にとって、そんな晴れの役はただただ恥ずかしいだけ。ひと目にも気をつかい窮屈でたまらない後宮暮らしに、山里住まいだった頃が恋しくてなりません。
(田舎者同然の私が宮中で過ごしていることを、東雲の宮さまはいずれお知りになるに違いないわ。宮さまは毎日内裏に出仕なさっているのだもの)
ついこの前まで山里の古びた家に住んでいたのに、今は大きな御殿と大勢の人に囲まれて…もともと控えめな人なだけに、生活が一変して、生きてゆくのも憂鬱に感じる対の御方です。ひっそりした山里が恋しくて、心の中では毎日泣きたいくらいなのに、あいだも置かないほどの今上の執拗なお召し。お召し、と言っても、話し相手や遊び相手なのですが、清涼殿へ参上する回数があまりに頻繁だと、他の女房たちにおかしな目で見られてしまいそうです。
こんなに参上を命じられてばかりだと、今北の方がなんておっしゃるだろう…と本当に人目を気にしてばかりの毎日です。うっかり人に相談する事もできません。
そんな対の御方の困惑も知らず、今上は次第に恋心を募らせはじめたようです。時おりもらす胸のうちを、まわりの女房たちは一体どんな好奇心で聞いているのかと思うと、対の御方は恥ずかしくて不気味で、心の晴れる日もありません。相手はなにしろ時の帝なのですから。
誰にも相談できず、ただただ何も気づかぬフリで過ごしてゆくしかないのでした。





「今上は熱心に梅壺にお通いだそうな」
「さぞかし美しい女御なのでしょうな」
「日がな一日梅壺でお過ごしらしい。按察使大納言殿も大喜びだとか」
「昼に女御をお放しにならぬのなら、夜はいかほど」
「さあ、そこはそれ、言わずもがな、というではありませぬか」
世間は、今上が新女御をたいそうお気に召されて、昼も夜も手放さない、とうわさしています。それを耳にした東雲の宮は、
「そうか。按察使大納言の姫はそれほど魅力的なのか。しかしあの小夜衣の姫にはとてもかなうまいよ。まてよ、ひょっとして大納言の気が変わって、小夜衣の姫を入内させたのなら、このうわさにも納得がゆく。いや、それとも、今北の方が女御の付き添い人にでもさせているのかな。それなら今上が昼に梅壺に通いづめというのもわかるが…
ああ、いったいどれなんだ。どれにしても、あの姫をひと目見たなら今上の目は釘付けになるに違いないんだ」
もし小夜衣の姫が今上の御目に触れていたら、と想像するだけで、胸がせきあげられそうになる東雲の宮です。
どうしても事情をはっきりさせたくて、ある昼下がり、姉君の中宮のもとへ参上しました。東雲の宮の姉君は、今上の中宮なのです。
対面した中宮はいつもながら若く美しく、とても今上の一の皇子(東宮)をお生み申し上げたようには見えません。
(新しい女御は、この中宮よりも美しいのかな。いやそんなはずはあるまい。しかし、もし小夜衣の姫の美貌に今上が目をとめられたとしたら)
対面したまま、すっかりしょげている弟宮に向かって、中宮は、
「久しぶりにお話ができると思って、とっても喜んでおりましたのに、どうなさいましたの?少しお痩せになられました?お顔の色も少し…」
とおっしゃいます。
「特にこれといった理由もないのですが、最近すっかり世間にまじって生きてゆくのがつらくなりまして。俗世を離れたいという思いを持て余しています。ほんの少し家を離れても心配する両親が気の毒で、その気持ちだけで踏みとどまっているようなものです。しかし、その気力もいつまでもつことやら」
「まあ…心細いことを仰らないでくださいまし。たとえ大勢子供がいたとしても、絶えず心配するのが親心というもの。ましてや、私が家を離れた後、あなたは一人息子のようなものでしょう?孤独を感じず生きる希望がわくようにと、一番立派な後見を持つ姫君との結婚を取り決められましたのに、それでもあなたの御心にかないませんの?
もし、ひそかに想う姫がおありになって、その姫が忘れられなくてつらいとおっしゃるなら、こちらでこっそりかくまう事も考えますが…あれこれ考えすぎて、あとで取り返しのつかないことになったら、どれだけ後悔しても遅いですわ。早めにご相談くださいませね」
「ありがとうございます。それはそうと中宮、このたび今上のもとに上がられた新女御のお話はお耳に届いていますか?なんでも、夜はおろか、昼さえ片時も離さないほどのご寵愛ぶりだとか。よほど教養に長けた美しい女御なのでしょうね」
東雲の宮の質問には、そばに控えていた女房が答えます。
「そのことについては面白いお話がございますよ。
確かに今上は、昼間は一日中梅壺でお過ごしですが、夜に梅壺女御を清涼殿にお召しになることは、そんなに頻繁でもありません。
実は、今上のお目当ては女御ではなく別の御方にあると、女房たちの間ではもっぱらの噂なのでございます。女御の母君が自分の代わりにと、付き添いに残してゆかれた『対の御方』という女房に、どうやら今上がご執心なさっておられるようです。この対の御方という女房、いまどき珍しいほどの引っ込み思案な方で、めったなことでは人前に出たがらない恥ずかしがり屋さんのようですのに、琴や琵琶は天にも昇る妙音を奏で、今上に『これほど見事な音は、今まで聞いたことがない』とため息をつかせるほどの腕前だそうですわ。
いかがでございます?宮さまにもお心当たりのあるお話ではございませんか?」
「なるほど…そうか、そういうことでしたか。ええ、そうです。たしかに私のよく知る人は、雲に届くような爪音の持ち主です」
中宮の側近女房の話では、どうやら梅壺女御の付添い女房が、探し求めていた小夜衣の姫らしい、との事。女御の母君代わりにあてがわれ、後宮では対の御方と呼ばれているようなのでした。
(ああ、こんな近くにいたなんて。だが、梅壺には何の縁故もなし、近づいて確かめるすべがない。おまけに、今上がご執心なのは梅壺女御ではなく、付き添いとしてそばにいる小夜衣の姫だったとは。あれほど可憐な容貌を目の当たりにしたら、男なら誰だって夢中にならずにはいられない。
それに姫のほうだって、あれほど御立派な今上の御姿を拝んだら、私の存在などかすんでどこかへ飛んで行ってしまうだろう。もはや、忘れられたに決まっている)


袖の上の 涙のかずは つもるとも ひるよもあらじ 逢瀬絶えなば
(袖の上の涙は積もりこそすれ、乾くことなどないだろう。愛しい人との逢瀬が絶えてしまったのだから)


と袖に顔を押し当てて、絶望の涙を流す東雲の宮でした。
あんな寂しい山の中の家で、ただひたすら自分の訪れを待ち続けていてくれた姫。
空しく過ぎる夜の繰り返しにも、耐えるしかなかった姫。
間遠な自分の態度が、愛の誓いの言葉を忘れさせたのか。
申し訳が立たぬほどの薄情さに、失望した姫が去って行ったとしても、どうして文句が言えようか。


おもふには 人のつらさも なかりけり 我が心より かはる心を
(よく考えてみると、愛しい人に薄情さなどないのだった。私の薄情さが原因で、それであの人も変わってしまったのだから)


晴れ曇る空をつくづく眺めながら、つらい事実に打ちひしがれる東雲の宮。なんと思いどおりにゆかぬ世の中よ、と涙はとどまることを知らず、策を立てようにも、もはや手遅れなのではないかと思っただけで恐ろしくてなりません。
「今上があの姫に興味を持っておられる、その程度ならまだよいが、これが寵愛に変わってしまったら」
そう考えただけで、嫉妬で気が狂ってしまいそうな東雲の宮なのでした。