鈴なり星

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狭衣物語16・女二の宮、苦悩の果ての落飾

 

 

お産の終わった女二の宮はだんだん快方に向かっていた。
しかし心の内は、口惜しさと恥ずかしさで命も絶えそうな心地だった。
そんな女二の宮を世話する母大宮の容態は、産養いの頃はごく普通に見えたのに、ある夕暮れ、突然亡くなってしまった。
娘の二の宮のお産の無事を見届けようと、そればかりを念じて執念で生きておられたようなものだから、その願いがかなった今、ぷっつりと糸が切れるように命の火も消えてしまわれたのだ、と乳母たちは嘆き悲しむ。
娘の二の宮は「自分も遅れず死にたい」と念じたが、叶わぬことだった。
悲しみの知らせが内裏に伝えられる。
他の后や女御より早く入内なさった大宮の訃報に、帝の嘆き悲しみようは並みひと通りではなかった。女二の宮をなぐさめるために、帝自らの御乳母である三位を使者として差し向けた。
後を追いたいほどの嘆きようだった女二の宮であったが、やがて大宮の四十九日である追善供養の日になった。



ある日、中納言典侍のもとに狭衣大将がやってきた。
大宮崩御の前後の事など語りつつ、中納言典侍は皇子の真相をほのめかした。
すると狭衣は顔色を変え、
「女二の宮が私との子を生んだとは何と言う事だ。どうして今まで懐妊のことを私に話してくださらなかったのか。あなたは知っていたのだろう」
と言う。
「薄情なあなたさまのお心のせいで、どなたさまにとっても非常に残念な事になってしまいました。大宮さまは極度の御心労から亡くなられたのでございます。女二の宮さまも後を追いたがっておられます。こうした全ての原因をつくったあなたさまをお恨みいたします」
と、中納言典侍は泣きながら言った。
「あなたは味方だと思ってたのに。
確かに、私は身の程をわきまえない不心得ものだったかもしれない。内親王に近づいた恐れ多い行為は私の罪だろう。
しかし、大宮が私のことを軽んじておられたとしても、私が大宮を空しく死なせようとしただなんて思わないでくれ。女二の宮降嫁の正式な勅許がない間は、私の焦燥を隠しておこうと思っただけなんだ。
その間も、女二の宮に逢わせて欲しいとあなたに何度もお願いしたのに。あなたが私の願いを無視せず聞いてくれていたら、懐妊のことにも気がつくことができたのに。あなたのよそよそしさが情ないよ」
責任を他人に押し付ける狭衣の言い方。
それが今の中納言典侍はとても腹立たしい。
「ご自分だけがうまいことを仰って責任逃れでございますか。他人のことはおかまいなしなのですね。
でも今日の対面で、あなたさまが女二の宮さまのことをおろそかに思っていないことがわかりました。ご降嫁に反対していた大宮さまもお亡くなりになられたので、今上はご降嫁の件にさらに積極的になられることと思います」
そんなふうに言う中納言典侍の様子を見ながら、内心、
『降嫁の話が具体化すればするほど、源氏の宮への想いが絶望的になっていってしまう』
と、かえって物思いが加わる狭衣であった。





故大宮の四十九日も終えてしばらくたつと、内裏の帝より「一日もはやく宮中へ戻られるように」と女二の宮のもとへお使いがくるようになった。しかし女二の宮は亡き母宮を思っていまだ起き上がることすらできない。
帝は、母宮の死という不幸な出来事があったが、娘の二の宮と狭衣の婚儀をなるべく早く年明けにでも、と思っているので準備を急がせている。
女二の宮の乳母たちは、あの若宮の父親が狭衣ではないかと大宮の存命中から疑っていたが、女二の宮自身は、故母宮や乳母たちに知られていたとはまったく気づいていない。
女二の宮は、このような親不孝をしでかした自分、おのれの不始末から極度の心労を起こしてて亡くなった母宮へのつぐないばかりを考えており、どうかして婚儀前に死んでしまいたいものだ、でなければ出家して母宮へのつぐないを生涯続けたい、と思っていた。
だが宮ひとりだけでは何もできない。宮にできるたったひとつの抵抗は、湯も飲まず食べ物にも見向きもせず…そんなことだけだった。
父帝からは心配のあまり、ひっきりなしにお使いがくるが、女二の宮は父に会うことはもう考えていないのだった。
帝や乳母たちの心配をよそに、女二の宮は日に日に弱っていく。
もう今日が最期ではないか、というくらい弱々しくなったある日の夕方、内裏より少将内侍という使者がやってきた。もうほんとうに明日までは生きてはいられないだろうという具合だったので、女二の宮は少将内侍を近くに召し寄せ、
「もうこのようになっては明日まで生きてはいられそうにありませんので、仏におすがりしとうございます。
帝に出家のお許しを、どうか…」
とつぶやいた。少将内侍はたいそう驚いたが、内裏に戻り帝にその旨を伝えると、帝も驚きのあまりものも言えないくらいであったがやがて、
「頭も上げられないくらいの重態ではあっても、あれほどお美しいご様子をどうしてむざむざ出家姿に変えることができようか。私の亡き後ならばどのように自由になさるのもよい。だが、私の命のある間は在俗の姿でいておくれ。どうか、気をしっかり持つように」
との言葉を女二の宮方に使わした。
父帝のお言葉はもっともなことではあるけれど、母宮に苦悩をもたらした罪深いこの身、生きる甲斐など何もないのにどうしたらいいのか、と気を落とした女二の宮は、さらに一層弱まっていった。弱々しい息の下で、
「…私を少しでも哀れに思うなら…
どうか出家のお許しを…」
と繰り返している。この様子を聞いた帝は、
「なるほど。最期のご遺志にそむいて出家を妨げたとしたら、宮の来世のためにどうであろうか。私としては、させかねる思いだが」
とついに帝は出家の許しを与えた。
しかるべき筋の高僧に作法どおりの出家の手続きをさせる。
剃髪、その後の読経の鐘の音を聞く女房たちは現実のこととも思えない気持ちでいた。
横川の僧都が女二の宮の髪を自分の手元にかき出して削ぎ申すのも、乳母たちはわが身が削がれていく思いで見ている。剃髪は、お亡くなりになるのを見届けるよりも悲しく、心を押し静めることもできずに乳母や女房たちは、声をあげて泣くのだった。


受戒の儀が終わり、内裏にその様子が伝えられた。
帝は、大宮が薨去した時にも劣らないほどの落胆ぶりであった。
しかし仏の功徳があったのか、受戒の儀式を終えてからの女二の宮の容態は持ち直し、少しずつ快方に向かっていった。
尼となられてからは気持も安定し、なんとかして生き長らえて生涯仏道勤行したいと、このうえなくさっぱりとした心持で過ごせるようになった。





狭衣大将は、女二の宮の一連の話を聞き、ひどく残念で悲しく思うのだった。
思いのほか気に入るようなところはなかったが、女二の宮のご身分や事情を考えればどうしておろそかにできようか。たわいもない心癖で、大勢の人を破局にいたらせてしまった事について、狭衣はたいそう自分自身を責めたが、それでも、もう一度女二の宮に逢ってみたいというけしからぬ気持を捨てられないのだった。
以前狭衣が忍び込んだ時の、女二の宮のご容貌、髪のつや、肌触りを今も目の前にみる心地がして、出家なさったとはいえ心が妖しく騒ぐ。出家して、もう二度と逢う事はできないのだと思えば思うほど、女二の宮のことがしみじみと思い出され、口惜しくてたまらない。
恋しい女人と別れた後朝の朝のような気持に惑わされる狭衣だった。