鈴なり星

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小夜衣17・山里の我が家とのお別れ

 

 

さて、按察使大納言のお屋敷では、来月入内予定の姫の準備に追われていましたが、父君の大納言は、山里の小夜衣の姫をちゃんとお迎えすることも忘れていませんでした。姫たちが、屋敷のどたばたに遠慮してしまうのではないかと心配していましたが、わびしい山里から出ることを決心してくれて、大納言はホッとしています。山里へのお迎えには、大納言の子息である弁少将と侍従が使者として立たれました。この二人の息子は、今北の方と直接血のつながりはなく、先妻(小夜衣の姫の実母ではない)との間の息子たちです。
山里の家では、心の準備はとうにしていましたが、いよいよ小夜衣の姫がこの家から離れるとなると、やはり悲しいのは当然のこと。尼上も、
「世間を捨てた尼でも、あなたと共に過ごした年月、どれほど慰められた事でしょう。娘(小夜衣の姫の実母)の形見とも思い暮らしてきましたのに…離れ離れになるというのはこんなに悲しいものなのですね。あなたと離れて、これからどうやって生きていきましょうか」
と泣きます。小夜衣の姫も、これが永遠の別れであるかのような気持がしてさめざめと泣き、泣き濡らした袖から顔も上げられません。


住みなれし 古巣をすてて 鶴の子の 立ちわかるべき 心地こそせね
(住みなれた古巣を捨てるなど、とてもそんな気になれません)


尼上の返しは、


もろともに 住みし古巣に ひとりゐて なれにし友を 恋ひやわたらん
(古巣に一人残った私は、いつまでもあなたを恋い続けるでしょう)


袖の雫が川になるほど涙を浮かべ、歌を交わす二人の姿。しかしいつまでもこうしてはいられません。悲しみをこらえて、尼上は姫の髪に別れの櫛(くし)をさしてあげました。こぼれる涙をそっと拭きながら、小夜衣の姫はお迎えの牛車に乗ったのでした。
姫君付きの女房として、山里の家から乳母の少納言・その娘の小侍従・右近の君・少数の女の童などが付き添います。普段から東雲の宮が山里の家の修理だけでなく、女房たちの衣裳やこまごまとした生活用品などに気を配っていたので、女房たちの装束も目劣りするものもなく、立派な都入りとなりました。
小夜衣の姫は気丈にも別れに耐えていましたが、いざ牛車が門を出ますともうだめです。家の中では尼上や女房たちの、
「ああ、これからどうやって暮らしていけばいいの」
「肩を寄せ合って慰めてきたのにねえ」
という泣き声が、いつまでもやみませんでした。



小夜衣の姫が大納言邸に到着しました。
車を寄せて今北の方がさっそく対面しましたが、小夜衣の姫のあまりの美しさに、北の方はもちろんのこと、控えている女房たち一同もびっくり、皆目を丸くしています。
今北の方は対面する前、
「しょせん山住みの猿同然の娘。我が姫が一番よ」
と思っていたのですが、朝露を含んだ女郎花のごとき姫の風情に、
「これは儲けもの。我が姫の女御参りに使えるわ」
と内心大喜びです。
幼いときから山里の小さな家で暮らしてきた身にとって、この大納言家はすばらしく豪華で眩しいほどです。大勢の女房たちの控える姿に、慣れない小夜衣の姫はどうしていいかわかりません。まるで別世界にいるような戸惑いを感じるのでした。
お祖母さまはどうしているかしら、東雲の宮さまからの手紙も来ているに違いないわ…と考えるにつけ、悲しさが胸に込み上げてたまりません。
夕暮れのもの悲しい空を眺め、晴ればれとしたお屋敷にふさわしい明るい表情など、とてもできない小夜衣の姫なのでした。
父君の大納言は、なにかと気づかってくれます。対面するたび、ムリに笑顔をつくろうとしている姫を、
「慣れない屋敷で…祖母の尼上が恋しかろうに」
と気の毒に思い、父親らしくこまやかな配慮で世話するのでした。その一方で、今北の方は、
「入内する我が姫の付き添い人としてぜひ」
と心の中で決め込んでいるのでした。
「ご覧のように、入内する姫を任せられる女房が見あたらないのですわ。この私も、内裏に居着いて姫をお世話するわけにもゆきませんし。小夜衣のお方も、この邸で慣れない生活をするよりは、いっそ後宮で宮仕えをなさったほうがよろしいではありませんか。我が娘にとっても小夜衣のお方は異母姉妹。ですから、腹心の上﨟女房として、女御にお付けしてもよろしいでしょう?」
という今北の方の申し出に、大納言は言いました。
「尼君は悲しまれるだろうなあ。あの姫にしても、ついこの前まで山深い里で静かな暮らしを送ってきたのだ。宮中で大勢の人たちとつきあえ、と急に言われても途惑うだけだろうに」
「まあ。小夜衣のお方は意外にも、普通の都育ちの人より器量よしですわ。見た目や風情が申し分ないのに、それを利用、もとい、生かさない手はありませんわ。せっかくもって生まれた美しさを邸の片隅で埋もれさせるなんて、もったいないとは思いませんの?とにかく、我が姫のためにもよくお考えくださいませ」
今北の方の真意がようやくわかりました。大納言は悩みます。
「我が姫の付き添い女房としてか…。それで山里から引き取るのにあんなに賛同したのだな。だが北の方の言い分も正しい。山里やこの屋敷の片隅に閉じ込めておくには、もったいなさすぎる姫の美しさであることだ」
大納言の考えが変わるのは、あっという間でした。
ことの次第を、小夜衣の姫の乳母に伝えました。
「こうしてみてはどうか、と今北の方が提案しています。宮中の様子を見てみるのもいい経験ではないかと。この屋敷に引きこもってつれづれをもの思いで暮らすのも気の毒。もし、母が存命であれば、きっと宮仕えさせたいと願ったでありましょう。気が進まないのは承知していますが、思い通りにならぬのが世の常。これも前世からの因縁なのですよ」
小夜衣の姫は、父君の言う事に小ざかしく返事するなんて…と黙ったまま。乳母の少納言が、
「山里に長く生活しておりますと、そのような華やかな場所で暮らしていくことなど想像もつきませんが、ほかならぬ父君さまの仰せならば、どうして反対いたしましょうか」
と代わりに返事をします。
後宮で暮らすことなど想像すらしなかっただろうに、なんともお気の毒な提案をしてしまったなあ…と、大納言は胸が痛むのでした。