鈴なり星

平安古典文学の現代語訳&枕草子二次創作小説のサイト

小夜衣19・暮らしの激変に戸惑う小夜衣の姫

 

 

こうして忙しく日々は過ぎ、とうとう按察使大納言の姫の入内当日になりました。たいへん豪華なお仕度です。数日前に今北の方が小夜衣の姫のもとへやってきて、
「このお屋敷ですることもなく退屈に過ごされるよりは、思い切って宮中に出仕なさっては?気分も華やぎますよ。もしあなたさえよければ、このたび入内する我が家の姫の母代(ははしろ)として姫のお世話をしてくださったら、私たちも安心できるのですが。琴などもお教えくだされば、今上も喜ばれることでしょうし。
と言う事で付き添いのほう、よろしくお願いしますわ」
などと言って、強引に決めてしまったのでした。小夜衣の姫の装束はもちろんのこと、ともに従う女房たちの衣裳その他まで、抜かりなく用意してしまったので、小夜衣の姫に、否やを言う隙(すき)はないのでした。
「いつのまにこんなことに…思いどおりにならないのが世の常とはいえ、華やかな宮中での生活なんて気が重いわ。でも、父君もそれがお望みなのかもしれない。ここに居ても、私はやっかい者なんだもの。逆らうことなんてできないわ」
とすっかりあきらめ、今北の方のされるがままになっているのでした。


大納言夫妻は、何年も前からこの入内に我が家の命運をかけてこられましたので、どうしておろそかにするでしょう。世の中に、こんな豪華なおしたくがあろうかと皆が感嘆するほどで、女御付きの女房たちも、信頼のおける選りすぐりの美女たちばかりを三十人ほども用意し、またそれら女房付きの女の童・下仕えにも気を配り、衣裳の色目から薫物まで、少しでも今上の関心を惹くようにと、何から何まで最上品をそろえたのでした。
それらはみな高麗・唐土の由緒あるものから今様の斬新なものまで趣味のよいものばかり。それはそれは華やかな女御参りとなったのです。
さて、入内当日の夜になりました。たいそう華やかで品格のある参内でしたので、今上は、このたびの新女御にとても期待をかけていました。
「どんな人であろう。とびきり美人との評判だが」
今上は、さっそく新女御のいる御殿にお渡りになりました。
なるほど、相当心配りをしたと見え、控える女房たちは粒ぞろいの美女ばかり。その中に、ひときわ美しい容貌をした人がいました。扇で顔を隠してはいますが、華奢な体つき、可憐な風情が夜目にもはっきりわかり、髪のかかり具合も上品で、目立たぬよう部屋の隅に控えていても、目を見張るような美人だとひと目でわかります。今上は、
「いったいどういう素性の女房だろう」
と不思議な気持になりました。その後、新女御にも対面しました。噂に聞いていたほどの美貌の持ち主ではありませんでしたが、不思議な上﨟女房を見かけたこともあり、そこそこ満足して帰ってゆく今上でした。
清涼殿へ戻られたあと、今度は新女御が今上のもとへ上がります。
「入内の日を本当に心待ちにしていましたよ」
と睦言を交わす今上と新女御。お気に召されたのか、夜明けの時刻が迫っても、なかなか女御を放してくれそうにありません。
新女御をお迎えに上がった大納言の子息の弁少将と侍従は、
「姫をお気に召して下さればよいが…」
と心配していましたが、今上は女御にご執心の様子。大納言の息子たちはホッと安堵したのでした。
女御が下がっていったあと、さっそく今上から後朝のお手紙が届けられます。


『つらしとも まだ知らざりし 鳥の音を このあかつきぞ ならひそめぬる
(一番鶏の明けの声がこんなにつらいものだったとは。あなたと別れた暁に初めて知りました)』


季節にふさわしい紅葉襲の薄様に、流れるような見事な筆跡は、とても口では言い表せないほどめでたいものでした。苦労して入内させた甲斐があったと、付き添っている今北の方は感激しています。
「こんな見事なお手紙がまたとありましょうか」
「あまりにご立派すぎて、何とご返事してよいのやら」
「そうですわ。こういう時こそ対の御方の出番ですわ。対の御方は、それはそれは風情のある手蹟ですもの」
「そうね。今上へのお返事にふさわしい筆跡といえば、対の御方をおいて他にはいませんわね」
対の御方というのは小夜衣の姫のことです。ここ後宮では小夜衣の姫は『対の御方』と呼ばれているのでした。
対の御方は内心、
(こんな晴れがましい手紙なぞ書いたことすらないのに、いったい何をどうすればよいのかしら)
と困惑しましたが、今北の方の強い勧めとあっては断るわけにいきません。
「ぜひお願いしますよ。あなたの手蹟にかなう女房は、誰一人いませんもの」
対の御方は、今上がお喜びになるような言葉が思い浮かばず、気後れしながらも、


『さぞなげに まだしらざりし 鳥の音を ならひそめぬる あかつきの空
(おっしゃるとおりですわ。こんなせつない、一番鶏の夜明けを告げる声を、私も初めて聞きました)』


とだけ書いて、その場に置きました。それを包んで今上へのお返事とし、御使いの者への碌(ろく)として、立派な女装束に小袿を、作法にのっとって授けました。


新女御は梅壺を与えられましたので、これからは、梅壺女御とお呼びします。


御使いの者がたずさえてきた手紙をご覧になった今上は、その文字の墨の濃淡、流麗な筆の運び、当世風の若々しい筆跡にいたく感動しました。予想外に教養深い人なのかもしれない、と新女御を見直す今上。それに、あの華奢な上﨟女房も気になるところだ…と思い、今上はその日の昼下がり、梅壺へお渡りになりました。
対の御方はこんなまぶしくも晴れがましい場所に気後れするばかり。奥にいざって隠れてしまいたいのですが、今北の方が、
「逃げ回ってないで出て来なさいませ!」
と怒るので人前に出ますと、その姿は粒ぞろいの美女たちもかすむような美しい容貌。華奢でたおやか。目がくぎ付けになる今上です。
「ううむ、ただの上﨟の女房とも思えない。どういう素性の人なのだろう」
気になって仕方のない今上は、しばらくじっと見つめていましたが、ほどなくして女御と共に御帳台に入ったのでした。
御帳台の中で女御と睦まじくしても、今上はさきほどの女房がどうも気になって仕方ありません。目の前の女御は紅葉が夕映えに照らされたような、華やかで極上の衣裳を身にまとっています。けれど、先ほどの女房を見た今となっては、紅葉襲の袿も艶々とした衣も萩襲の華やかな小袿も、それほど女御に似合っているとも思えず、あの華奢な女房がしょんぼりと恥ずかしそうに、部屋の隅に控えていた姿の方が忘れられない今上なのでした。



それからというもの、あの謎の上﨟女房の素性知りたさに、まめまめしく梅壺に渡る今上。夜はともかく、昼もその女房見たさに足繁く梅壺に足を運ぶ今上に、按察使大納言夫妻は大喜びです。
「こんなに御寵愛くださるとは、入内させた甲斐があったというものよ」
「願ったりかなったりですわね。この分ですと、おやや(御子)の顔も早々に見られるのではないかしら」
今上の真意は女御にないというのに、手を取り合って喜ぶ親の姿は哀しくも滑稽です。