鈴なり星

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狭衣物語42・飛鳥井の女君の供養の夜に…

 

 

その年の終わりには、常磐の里にて故・飛鳥井の女君のための供養を行った。
かの女君への真心を、どれほど尽くしても尽くし足りないくらいの想いで盛大に執り行う。経巻や仏像の装飾はもちろんのこと、講師には比叡山延暦寺の首座の僧を招き、当日の法会に招かれた僧は六十数人におよぶ。堂々たる供養を見る人々は、
「このような立派な供養をされる女君とは、さぞかしすばらしいお方だったに違いない」
「若くしてお亡くなりになられたそうな。あれほどご立派な公達が人目もはばからずお泣きになるなんて」
「惜しいお命でございましたのね」
などささやきあっていた。
法会も無事に終わり、居合わせた人々が退出してしまった後も狭衣はこの常磐にとどまり、尼君と女君のこと、遺された姫のことなど尽きることなく話す。次第に夕暮れが近づき、入相(いりあい)の鐘の音がほのかに響く。
簾を巻き上げ風情のある西の空を見ると、尊い浄土へと続いているかのような美しい雲がたなびいていた。
今宵はこのままこの里で亡き人を偲びながら過ごそう…そう決めた狭衣が、端近でうとうととまどろんでいると、夢か現か、眼前に飛鳥井の女君そっくりの女人が現われ、狭衣に寄り添うようにして歌をくちずさんだ。

『暗きより暗きにまどふ死出の山とふにぞかかる光をも見る
(悟りが得られないまま冥府をさまよっていましたが、あなたさまのお弔いのおかげで仏の光を見出すことができました)』

詠う女君は生前と変わらぬ可愛らしさ。絶えて久しく会っていなかっただけに狭衣はうれしくて、何か言おうとした瞬間ふっと目が覚めてしまう。あたりを見渡すと澄み切った月が自分を照らしているだけだった。
夢だったのか。ああでも、今この時でもかの君がそばに寄り添っているような気がする…狭衣はそう感じた。
女君の、越えてゆかねばならない死出の旅路を思いやって、狭衣は和歌を詠んだ。

『おくれじと契りしものを死出の山三瀬川にや待ち渡るらん
(お互い死ぬ時は一緒にと誓ったのに、先に死んでしまったあなたは三途の川で私を待ち続けているのだろうか)』

なんとなく気味が悪くなり、狭衣は気を取り直して法華経を詠み始めた。その声に、遠くで寝ていた人たちが驚いて起き出す。夜明け前、狭衣は引き続き誦経などを申しつけて、帰り支度を始めた。法会のため家具など片付けられ、がらんとした家の中を見渡す。ふと、かつて女君がいつももたれかかっていたという柱に、歌が書き付けてあるのを見つけた。

『頼めこしいづら常磐の森やこれ人たのめなる名にこそありけれ
(頼みにならない常磐の森よ、「気持ちは決して変わらない」と言ってくれたのに)

言の葉をなほや頼まむはし鷹のとかえる山も紅葉しぬとも
(決して忘れないと誓った言葉を信じていいですか)』

柱の下の方にもまだあった。どうやら女君が気分の悪いときに寝ながら書いたらしく、弱々しく判りにくいものだ。

『なお頼む常盤の森の真木柱忘れな果てそ朽ちはしぬとも
(変わらないとおっしゃった言葉を頼みにならないと思いつつも、やっぱり信じてしまう)』

狭衣は胸がはりさけそうだった。かの君が、これほどまで自分のことを信じていてくれたとは。そしてつぶやく。

『寄り居けん跡も悲しき真木柱涙浮き木になりぞしぬべき
(女君がいつもよりかかっていた真木柱よ、悲しみの涙でその木も浮いてしまいそうだ)』

たまらなく悲しく、そのままひざまづいて泣き崩れた。
どれだけ悲しい想いで歌を書き付けたことだろう。
「同じ世にありながら何も知らなかったよ…どれほど私のことを恨めしいと思ったろうね。愛しい人」
女君の絶望を思うと、すまないと何千回わびても足りなかった。
しばらくすると、悲しみに打ちひしがれている狭衣のもとへ、都からお使いの人々がやってきた。
「おしのびでこのような所にお出でとは」「大殿がお探しです。早くご帰京を」「だまって行方知れずになられて、殿も上もたいそう心配しておられます」と騒いでいる。
毎度毎度うるさいことだ、せっかくゆっくり懐かしい思い出に浸っていたのに…と狭衣は重い腰を上げた。
真木柱を何度も振り返りながら、女君のいた部屋をあとにして、狭衣は京に向けて出発した。


年が改まると、いよいよ源氏の宮は宮中・初斎院での潔斎を終えて、賀茂の野宮(ののみや。本院)に入ることになる。