鈴なり星

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狭衣物語20・源氏の宮の入内の行方は

 

 

大嘗会の女御代に選定された後そのまま入内…そんな話を聞くにつけ、狭衣はいよいよ絶望的な気持になり、ああもう本当に今度こそ出家の志を遂げてこの世の憂さから解放されたいものだ、だが積年のくすぶり続けた想いをどうしてくれよう、いっそのこと契りを結んでめちゃめちゃにしてしまおうか、などけしからぬ心を持て余していた。狭衣がこのような想いでいることを少しも知らない邸の者たちは、皆この慶事の準備に浮かれている。


九月の終わりになる頃には、狭衣はいよいよ「今日明日にでも出家してしまおう」とまで思いつめるありさまとなった。
自室の片隅で呆然と、木枯らしの吹く外を眺めていると、遠くから源氏の宮のつまびく琴の音が、風にまぎれてほのかに聞こえてくる。抑え切れない心に狭衣は立ち上がり、琴に笛の音をあわせつつ、源氏の宮のいる対の屋を訪ねると、部屋の中は女御代の準備で騒がしかったが、源氏の宮自身はゆったりとのどかにかまえ、数人の女房と共に廂の間に集まって、池の舟で遊ぶ女童たちをながめていた。
狭衣も勾欄に寄りかかり、笛を吹きながら琴との合奏に誘うが、源氏の宮は弾くのをやめ、琴をそばにいる女房の中納言に渡す。中納言の君はその琴を狭衣に差し出すと、狭衣は、

『忍ぶ恋を琴の音に表せとおっしゃるならば、今宵はありったけの想いをこめて奏でましょうか』

と和歌をそれとなく口ずさむ。夜空を見上げれば霧が流れて月を隠している。あのまま天人御子とともに月の都に昇天していればこんな思いもしなかったのに、と口惜しい。
「琴はあなたのほうがすぐれていますよ源氏の宮。わたしは琵琶を」
と狭衣は琵琶を取り寄せて、催馬楽の「衣がえ」を一段調子を低くして、穏やかに弾き始めた。心をこめて弾くその撥音があまりに愛敬があってすばらしく響き渡るので、邸中の者たちが、また天人が降臨してくるのではないか、と上を下への騒ぎになり、異様な雰囲気にのまれた源氏の宮も気味が悪くなり、「格子を降ろしなさい」と奥へ引っ込んでしまった。





新帝の御父君である一条院が崩御された。
この一条院は、先帝および堀川大殿と同腹の兄弟である。
一条院は少し前から体調を崩していたが、新帝の即位の儀式続きの中で、病気を発表する時期も悪いと、人目に知られないように静養されていたので、突然の臨終の知らせに皆一様に驚いた。父君の最期を見届けられなかった、と新帝の嘆きぶりは並みひととおりではなく、大嘗会後の諸儀も延期され、世間は諒闇に包まれた。
問題は賀茂の斎院と伊勢の斎宮である。
斎院は先帝の娘の女一の宮だったが、御世が代わるに合わせて一条院の姫宮が新斎院になるはずなのが、父院が亡くなられ、斎院の役を降ろさねばならなくなったのだ。「急なお話でいったいどなたがなられるのでしょうね」「源氏の宮の入内どころではなくなりましたわね」など、世間の人々は暗に源氏の宮が斎院になればよい、と言わんばかりのうわさぶりである。
堀川大殿などは、こんなうわさに対して「なんとつまらぬ噂が立っているのだ。源氏の宮が内親王であったのは、まだほんのお小さいころだ。ただびとになられて十年以上経つではないか。いまさら斎院など、どうこうできないであろう」と強いて気にかけていないふうを装っている。
源氏の宮にお仕えする女房たちは、「このお話が現実のものにならないうちに、早く華やかな後宮に入りたいこと」と顔を合わせてささやいている。この頃の源氏の宮の容貌はますます美しさに磨きがかかり、これほど清らかな美しさの方は今の世どこを探してもいないのではないか、ともてはやされるほどだ。



その源氏の宮の夢に最近、不思議で妖しいものがたびたび現われるようになった。
だが「不必要に騒ぎ立てても」と黙って過ごしているうちに、今度は屋敷内に不思議な出来事が起こりだした。屋敷の木に季節外れの花が咲いたり、聞いた事もないような鳥の声がきこえたりと、まるで何かを予兆しているかのようである。思い余って陰陽師などに占わせたところ、今年は源氏の宮にとって大変な年に当たるので厳重に謹慎しなければならないという結果が出た。それを聞いた源氏の宮は、夢のこともあってことさら恐ろしく感じ、念入りな祈祷など始めだした。同じ頃大殿も、賀茂の神官らしき者が現われて手紙を結んだ榊の枝を渡していく夢を見た。恐ろしくなった大殿は、その夢を堀川上や狭衣に話して聞かせると、上はたいそう驚いていたが、狭衣などは内心「源氏の宮はひょっとしたら入内せずに済むかもしれない」と気が楽になる思いである。
幼い頃からこの胸ひとつに秘めてきた源氏の宮への想い、焦がれる恋心のままに宮を奪いとって、ひっそりと山里に二人きりで暮らせたならと思ったこともあったが…もし今、父母に黙って強引に契りを結べば事態はどうなるだろうか。後悔することになるだろうか。親たちはもちろんびっくりするだろうが、「そうなったらそうなったで仕方のない事」と冷静でいてくれるだろうか。
それにしてもいったいどうしてここまで源氏の宮に執着し思い嘆くのか。得ようと思いつめれば思いつめるほど宮は遠のいてゆく。ついには斎院の話まで…。
このように、いつまでも鬱々と心の晴れない狭衣であった。


新帝の夢にも、源氏の宮を斎院にせよとの暗示をただよわせる、あやしの者が現われて、水面下でささやかれていた斎院の話はいよいよ現実味を帯びてきた。入内の話もあったので、堀川大殿などは心の中で口惜しく思っていたが、夢占でも、源氏の宮が賀茂の斎院にたてばこの御世が安泰であるとの結果がでたため、異を唱えることもできない。いざ源氏の宮が斎院に決まると、それまで噂していた人たちが「まあ意外なこと」と白々しく驚くそぶりをするのもくやしい。


伊勢の斎宮には、先帝であった嵯峨院と共に住んでいる女三の宮がたつこととなった。
斎宮決定の話を聞くと、狭衣はいつもの優柔不断さから、急に女三の宮が惜しくなる。まことにけしからぬ物思いなのであった。