鈴なり星

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狭衣物語32・権大納言、狭衣と一品宮の噂を言いふらす

 



それから数日後、その権大納言は一品宮の中納言の君のもとをたずねた。
「あの夜、この屋敷から出て行く狭衣の君を見かけましたよ。そういうわけだったんですねえ。たしかに一品宮と狭衣の君が親密なご関係なら、私は邪魔以外の何者でもないですから。
しかし、このことが帝や女院のお耳に入ったら、決して愉快な気持にはなられないでしょう。畏れ多くも、今上の妹宮に対する真面目な行為とは言えませんから。狭衣に金品でも握らされたお付きの女房が手引きしたのであろうよと、問いつめられるに決まっています」
と、彼は中納言の君を下衆な物言いで責めた。
「めっそうもない。確かに以前は、ちらりとほのめかしたりもなさった事はあるかも知れませんが、宮さまがきっぱりとお断りなさいました。狭衣さまもそれ以来、何も仰りません。ましてや宮さまは、今上のお許しさえあれば、今日にでも髪をおろして仏道に進みたいお気持でおられるほどなのです。
私たち女房が必死でお止めしているくらいですのに。そのような中傷はおやめくださいませ」
「ははは。そなたが知らないだけなのではないのかね。私は見たのだよ。この目でとても興味深い現場をね」
自信たっぷりな物言いで帰っていった権大納言に、中納言の君は不安な気持で母親の内侍乳母のもとに行って、かくかくしかじかだと相談した。
「まあそんなことが。少将命婦が、狭衣さまが最近また宮さまにお手紙をさし上げ始め出したとか申しておりましたが。
嵯峨院さまが女一の宮・二の宮・三の宮と次々お引き合わせしようとしたのに、狭衣さまは興味を示そうとはなさらない。そんな狭衣さまが、失礼ながら女盛りをとうに過ぎたここの宮さまにどうして心を動かされたのかしら。
きっと少将命婦の局へ立ち寄った狭衣さまのお帰りを、権大納言さまがお見かけしただけなのですよ。
お側に仕える女房ひとつでどんなまちがいが起きるとも限りません。このことは絶対に口外してはなりませんよ。
少将命婦にもきつく言っておかなければ」
一品宮の御乳母である母親にそのように厳しく注意を受けた中納言の君だが、事態は心配していた方向に進んでしまった。権大納言は、かの夜に目撃した話を宮中のいろいろな人たちに言いふらしたのだ。一品宮と今上の母君である女院に、その噂が伝わるのに時間はかからなかった。
一品宮に仕える女房たちは、
「困った噂が立ってしまいましたわ」
「そしらぬふりをするしかないですわね」
と言い合っていたが、一度立った噂は尾ひれ背びれが付き、
「いついつの夜明けに、狭衣さまのお車がどこそこにありましたのよ」
「何度目の逢引きでバレたのかしらね」
「女院さまがご不在の時に、こっそりとお会いなさったんですって」
など、もっともらしく皆が言い合っている。
ある日、内侍乳母が女院に呼びつけられた。
「こんなに世間の噂になってしまって。おまえは一体何をしていたのですか。
根も葉もない噂ならすぐに消えようが、いずれにせよ、我が一品宮にこんな良くない噂が立つ理由をおまえが知らぬわけがないでしょう」
厳しく問いただす女院に、内侍乳母は、
「このたびの不始末、お許しくださいませ。実は」
と先日の権大納言の話を女院に打ち明けた。
「まあ、そういうことだったの。狭衣さまが屋敷から出てきたのを、あの権大納言に見られてしまったというわけですね。少将命婦の手引きでもあったのかしら」
と女院はあきれてしまった。
「しかし忍び込んだのはともかく、それ以降、狭衣さまのほうから何の音沙汰もないのは一体どういうことなの。一品宮はそのように軽々しく扱ってよい身分の者ではありません。今上の御妹宮なのですよ。仰ぎ見るべき立場の女人なのです。まったくけしからぬこと」
狭衣の冷淡さに、女院はすっかり腹を立ててしまった。
少将命婦はこのことを聞いて、まったく自分には身に覚えのないことではあるが、たしかに狭衣から一品宮あてへの手紙は何度か取り次ぎしたことはあるし、それが原因で、このようなことを言われるのではないかと、あまりの申しわけなさに一品宮への出仕も滞りがちになってしまった。
この噂はついには帝の知れることとなり、
「お側仕えの少将命婦が手引きしたそうではないか」
と名指しされる始末。
少将命婦は身の置き所のない恥ずかしさで、宿下がりをしたまま実家にこもりがちになってしまった。
一品宮自身も、自分の身に覚えのない醜聞が世間に取りざたされているかと思うとたまらなくつらく、母君である女院にまともに顔を合わせることもできない。そのことがまた女院に誤解を与えることとなり、「ああやはり、やましいことをされていたのだ」と失望されてしまうのだった。
肝心の狭衣大将は、これらの女院の怒りや今上の失望・少将の命婦や一品宮の嘆きを聞いて、
「やはり私のとっさの行為から、皆に迷惑をかけてしまったなあ。どうしていつもこう、望みもしない結果になってしまうのか」
と思い、特につらいめに遭われているだろう一品宮に手紙を書いて、少将命婦に託した。
『女院さま方は、今回の事件を引き起こした私を、どれほど冷淡ではしたない者と蔑まれておられるでしょう。
いかに非難されようとも私は我慢だけを通します』
この手紙を見た少将命婦は、今までの狭衣からの手紙と一緒にし、内侍乳母に見せ、身の潔白を訴えた。
事実無根であることを、内侍乳母は女院の御前で説得しようとしたが、
「今回の醜聞が事実かどうかは、この際問題ではないのです。こうした軽薄な浮名が世間で言いふらされていること自体が問題だと言っているのです。
重々しく扱われるべき今上の御妹宮が、全く…」
と不機嫌極まりなく、相手にもされなかった。