鈴なり星

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狭衣物語7・父の説教

 

 

狭衣の中将は、源氏の宮に今まで抑えていた想いを告げてから、前よりいっそう恋慕に耐え難くなり、うつうつとした日を過ごすようになった。自分を受け入れてはくれなかった源氏の宮の事を考えると、もうこれ以上生きていけそうにない、そんなふうにただぼんやりと無気力に過ごしていたある日、父大殿のお召しがあった。本当は会うのがいやだったが、気分が悪くて引きこもっているなどと知られたら、また騒がれるのも面倒だ、と思いながら父のもとに出向いた。


「おお来たか、狭衣。実は今宵、中宮(狭衣の異腹の姉)が宮中を退出なさる。お前、お迎えに参内しておくれ。お前をあまりに家に閉じ込めるな、と先日の事件来、帝も仰っておられる。源氏の宮の東宮妃入内の件もあるしな。右大臣が『娘がようやく入内できる年になった』と喜んでおったが、八月に東宮のもとに入内するそうだ。いや別に、うちの源氏の宮と競うわけではないがな。そうだな、この冬…いや、新年早々でもよいかな。右大臣の邪魔をするのも気の毒なことだからな。まあ、源氏の宮の入内の話はずっと以前から決まっていたことなので、冗談にも言い寄る男や不埒な手紙がないのが安心だ。多少遅くなったところで心配あるまい。かえって、源氏の宮の美しさが増すであろうよ」
狭衣は父大殿のこの言葉を努めて平気な素振りで聞いてはいたが、内心、胸のつぶれる思いだった。右大臣の娘は態度が尊大で高慢で、容貌もそれほどではないと聞いている。右大臣や北の方は、娘を几帳の外にも出さず人も寄せず、大事に育てているという話だ。
「狭衣。よく聞きなさい。貴公子というものは、若い時から押しも押されぬ立派な北の方が早くから決まっていると、重々しく見えて結構なことなのだ。確かに私も若い頃は、行かないところがないほどたくさんの女人を見てきたものだが、いつまでも独身でいるのは行動が軽率になりがちになるものだよ。帝からご内意のあった女二の宮ご降嫁の話だが、あれ以降、そなた女二の宮にお便りのひとつ出していないそうだな。吉日を選んで、女二の宮付きの女房にお手紙を出すようにしなさい」
父大殿のこの言葉に狭衣は、生きている甲斐さえ見つからないというのにさらに重荷を背負わされる思いがしてうんざりする。
「帝はそこまではお考えにはなってはおられないでしょう。ことおおげさに考えて、馴れ馴れしく女二の宮さまに近づくのもどうかと思われます」
と暗に全く興味のないことをほのめかし、父の御前を下がっていった。

 


父君は私のこととなると、とかく盲目的になられる。女二の宮の件だって、御母君であられる大宮がたいそう心外なことだとおどろいておられるそうではないか。帝にしても、あの天人来臨の夜、ご自分が強く強く私の笛を求められたことを反省なさって、つい、あんなご降嫁の話がお口からすべってしまわれたに違いないのだ。しかし帝の口からでた言葉は取り消しができない、ともいう。いったい、私はどうしたらよいのだ。



日が暮れて、狭衣は宮中へ参内に向かう途中、以前宮中からの帰途に往来で歌を交わした蓬の女を思い出し、随身に尋ねた。
「あの翌日に私がその家を見ましたら、蔀(しとみ)が固くおろされていました。隣の家人に聞いてみましたところ、宮仕え人がしょっちゅう出入りしている家だそうで。もともとあの家は長門の守の持ち物でして、その妻の一族に中務卿の姫君の御乳母がいまして、方違えなどによく使っているそうですよ。その乳母の名前は少将と申しまして、少将の子が五節の舞姫に選ばれたそうで」
と答える。狭衣は、「五節の舞姫に選ばれるくらいなら、身分に反してずいぶん可愛らしいのだろう。その女が私に文をくれたのだろうか」と考える。


狭衣に迎えられ、中宮は実家に戻った。母君である坊門上は大変な喜びようである。
内裏からの御使者が次々やってくる。中宮にお仕えする女房たちも威勢がよい。だが主人である中宮は物腰など慎み深く思慮深く、中宮方の全体の雰囲気は主人に似て落ち着いていた。大殿も大変満足げにあれこれ世話している。
洞院上は大殿の三人の北の方の中では一番年上で、一番早くからの夫人でもあったが、中宮のような娘がいないからか、自分の容姿に気を使い、ことさら派手に現代風にふるまって、他の御方々に劣るまい、と自分自身を自慢している。陽気な性質からか、少し変わった物好きも、人には憎まれないようである。