鈴なり星

平安古典文学の現代語訳&枕草子二次創作小説のサイト

いちご狩り その2

 


「やあ、いらっしゃい。待っていたよ」
斉信が機嫌のいい声で迎えた。
「お招きにあずかりました。斉信殿」と言いながら、行成は斉信の出で立ちを見てビックリした。斉信はなんと、桜萌黄の直衣を麻縄でたすき掛けにくくっている。
「斉信殿…」
二の句のつげない行成に、斉信は縄でくくられた袖を上げて言った。
「ああこれか?今ね、いちご狩りの準備をしてたんだ。一緒にしようと思ってさ。東の対の屋の裏手に家庭菜園を作っててね。日当たりのいい場所だよ。で、いちごが真っ赤っかになっててちょうど食べ頃なんだ。
ほら、行成の縄もあるよ」
斉信は、行成の胸先三寸のところに麻縄を突き出した。
「直衣が汚れるって従者にしかられるからね。ゆるく結べば直衣もシワにならないし。
私は結ぶの上手いよ。収穫に慣れてるし」
屈託のない調子の斉信に、行成は困ってしまった。
私の目の前にいるのは本当に斉信殿なのか?今朝今上の御前にクールな顔で控えていた?頭の中将の?
脳内にクエスチョンマークが乱舞する。
縄結びに慣れてるって、慣れてるって?
固まったまま何も言わない行成の様子を了承ととった斉信は、しゅるしゅると行成の柳重ねの直衣に麻縄をおどらせて、手間を取らせることもなく同じたすき掛けにした。本当に慣れているようだ。


小半時後、二人は母屋の外側の孫廂(まごひさし)に座っていた。
先ほど二人で収穫したいちごが台盤所からもうすぐやってくる。


本当に土いじりさせられるとは…しかしよく手入れされた菜園だったな。そんなに大きくなかったから、あれはきっと、斉信殿の趣味の一環で作っているのだろう。はかり知れないお方だ。このお方と共に今上のそばで仕事するようになってから、驚かされることばかりだ。
まだ私が蔵人頭になる前、このお方を内裏でお見かけしていた時の印象は、殿上人がお手本にしたいような優雅な物腰で颯爽としていかにも外交上手な感じだった。しかもポイントを絶対はずさない仕事ぶりは常に冷静で、相手の気持ちを敏感に感じ取って柔軟に対応する切れ者と聞いていた。一緒に仕事をするようになってから、その思いはますます深まった。若々しい態度、やわらかな笑顔。端が少し上がり気味の形よい唇が、不思議な魅力で相手の眼をとらえる。なのに、このような無邪気な一面もあったとは。
しかしまあ、いちごを摘み取る指先だけを見つめる作業というものは、なかなかいいものだ。何も考えなくてすむし。

最近のわずらわしい気遣いでいっぱいになっていた行成の心は、いつのまにか余裕を取り戻していた。


やがて、女房がいちごを持ってやってきた。いちごは、中ぶりな白瑠璃の碗にきれいに盛り付けられている。半透明な器に赤い色が輝いて、食欲をそそる。
「ああ、全部ヘタをとってくれたね。これなら手が汚れないな。さあ、我らが手ずからとったいちごだ。どんどん食べよう」
土汚れはよくて果物の汁はダメなんですか、と行成は突っ込みたいところだったが、一礼して黙って食べ始めた。
「どうだい美味いだろ。冬中ムシロで覆ってたんだ。ああいい香りだな」
そう言いながら斉信は小さな一粒を口に放り込む。行成も一粒食べると、多少酸っぱかったが、口の中から鼻腔へすばらしく甘い香りが突きぬけてゆく。
自邸にと誘いを受けたとき、何か内々の相談事でもあるのかと思ったが、この分だとそんなものはなさそうだ。ただ単に食べて世間話でもしたかったらしい。行成は、何だか拍子抜けした。
しかし行成は、これも斉信流のくつろがせ方かも知れないな、と思う。
どうやら自分は始めての観桜の宴の準備でここのところ気が張りつめていたようだ。去年まではおえら方の様子すら拝む事も出来なかったのに、今年は今上の側で侍らなければならない、と。敏感に察して立ち回れる斉信殿のことだ、こんな自分に気を遣ってくれたのだろう。多少腰は痛いが、肩は少し軽くなった気がする。重く張っていた心が、発散してゆくようだ。斉信殿の、少し低いけれどよく通る声が、耳に心地よい。


斉信としては、単に自家菜園で一緒に収穫して、一緒に食べたかっただけなのだが、彼の人と成りを相当曲解した行成の中で、さらにお株があがったそうだ。
斉信君ラッキー、である。


(終)