鈴なり星

平安古典文学の現代語訳&枕草子二次創作小説のサイト

プレッシャー その3

 


俊賢の出て行った方角を見ながら固まったままの斉信に、行成が声をかけた。
「あのう、中将様?」
「…ああ、行成殿。『斉信』でいいよ。行こうか。女房たちがお待ちかねだ」
二人は立ち上がった。
かなり動揺している斉信ではあったが、行成に知られてはまずい。背筋を無理にしゃんと伸ばすと、いつものやわらかな微笑が戻っていた。
「少し女房方の話をしていこう。大回りにはなるが、庭に下りてぐるっと回ろう」
階を下りながら斉信が言うと、行成が尋ねてきた。
「ずいぶんと後宮の女房方を警戒しておられるようですが」
「いや、警戒してるわけじゃないんだ。何といったらいいのかな…油断ならない、というか」
「警戒してるも、油断ができないも、同じ意味ですよ」
それを聞いて斉信は、思わずぷっと笑いが漏れた。行成の方を見れば、彼も生真面目な顔はしているが目は明らかに笑っている。
「君も、俊賢殿からいろいろ叩き込まれたんだろうねえ、女房と接する時の心得とかさ。女御付きの女房や今上付きの女官と円満に対応できるという事は、職務も円滑に進められると言う事だ。それだけで我々の仕事は6割がたうまくいく。そりゃあ気も使うってものさ。嫌われないように、かといってナメられてもダメだし…」
最後の方がヘンに愚痴っぽく聞こえたことに気が付いて、斉信は言葉を止めた。すると、歩きながら、何やらカサコソと音がついてくる。行成の袍の中からどうやら聞こえてくるようだ。
「行成殿。君、何か袖の中にいれているのかい?」
行成は、左腕を少し上げて応えた。
「ええ、薄様を十枚ほどしのばせています。俊賢殿に言われたものですから」
「え。なんで?」
斉信は不信に思い聞いた。
「斉信殿は、一日に何十枚も女性あてにお文を書かれると。『足りなくなったら、いつも私が貸してあげてたんだが、すっかり私の予備の薄様をあてにしている。だから行成殿もそのつもりでいてもらいたい』と、俊賢殿に言われました。恋文用の薄様と、普通の白い薄様。今の季節ではちょっと重ねには使えませんが」
さらっと行成に言われ、斉信は思わずその場に倒れそうになった。
俊賢殿!あんた彼に何を吹き込んだんですか!
そういえば、俊賢殿、一人で先に後宮で挨拶済ませたって言っていたな。これでは私のことを何と言ったかわかったもんじゃないな。しっかりしろ俺。
「いろいろなことを俊賢殿はおっしゃったと思うが、…全部がほんとではないぞ」
「もちろんです。…実をいうと、俊賢殿は、私が内心緊張しているのがおわかりになったらしくて、紙の音に中将が気がつかれたらこのように言え、とアドバイスしてくださいました。それで気持ちがときほぐれたり、リラックスした会話のとっかかりができるだろう、と。
…昨日までは、よそから仰ぎ見ていたお方である中将様のお助けをして、帝をお支えするわけですから。昼過ぎに陽明門の後ろでたたずんでおられた中将様をお見かけしてから、ずっとアガッていた次第です」
うろついてたのも見られたのか。
斉信は、すじ雲のどかな青空を仰いで、はぁ、とため息をついた。
しかし。
少し頬を赤くして照れたふうに、でもまっすぐにこちらの目を見て答える行成の言葉に、斉信は何だかさっきまでの気張った心が緩んでいくのを感じた。師とも思っていた俊賢が去り、先輩としてがんばらねば、と必要以上に自らにプレッシャーをかけていたようである。行成は、見れば桔梗のような線の細い風貌だが、青竹のようなのしなやかなもの言いで、相手を信用させてしまう何かを持っているようだ。この私にすっかり、気のおけない態度をさせている。
そうだ、苦労して一人で背負い込む必要なんてないよな。
斉信は先ほどまでと違った、軽くなった心で行成に言った。
「『斉信』でいいよ行成。ヨシ、今日は用意してくれた薄様を二人で全部使い切るつもりでいておくれ。対応した女房すべてにお文を書く覚悟でな。さあさあ行こう。後宮の女房がどれほどアクが強くて2枚舌で、かつ上手に隠してるか見に行こう」
「斉信殿。誰かが聞いてつげ口でもされれば、差し障りが…」
顔を青くしてあわてている行成の二の腕を組んで、斉信ははな歌を歌いたくなるような気分で、足取り軽く後宮へと続く庭を歩き始めた。


(終)