鈴なり星

平安古典文学の現代語訳&枕草子二次創作小説のサイト

いちご狩り その1

 

 

霞に煙るおだやかな三月のある日。
観桜の宴を数日後に控えて、準備に追われていた頭の中将斉信は、参内を終えてようやく内裏から解放された。
観桜の宴は原則として、宮中の桜が満開寸前に行われる。従って、毎年行われる日程が違うため、陰陽寮の気象予報係が毎年胃の痛い思いをして予測を立てている。それに従ってイベントを指揮する側もまた、けっこうつらいのである。
準備が忙しすぎて、こっちは桜をゆっくり観るヒマもないよ。
斉信は、立ち止まって大きく伸びをした。背中がバキベキ鳴る。ああ気持ちいい。
桜はまだ四分咲きか…。建春門あたりに植え込まれている桜たちは、ようやくつぼみから開きかけようかどうしようか迷っている風だ。桜のご機嫌に関しては拝むしかないな。頼むよ。
斉信は、ぽんぽんと桜の幹をたたいた。
空を見上げると、のどかな春が広がっている。
ほんのり暖かく湿った風が、今日の春日和を約束してくれる、そんな一日であった。



斉信が、陰陽寮の前を歩いていたとき、松の木の根元に5、6人の男たちがかたまって、なにやら楽しげに騒いでいるのが見えた。よく見るとその中には斉信のパートナー、蔵人頭行成の姿もあった。
斉信の顔がみるみる緩んでいく。
行成は、斉信のお気に入りなのだ。
司召の除目で、俊賢の後任が行成に決まった時、ちょっとしたハプニングが縁で、行成の前では何事も心を割って話せる、そんな信頼を持っている斉信だ。
「どうしたんだ?ずいぶんとにぎやかだが」
「あ、頭の中将殿」
輪の中にいた左衛門尉や右中弁などが一瞬姿勢を正して一礼した。しかしすぐにまた、もとのくだけた様子になった。
「いえね、今みんなで白粥のつけ合わせのおかずは何が一番か、ということを話し合ってまして。」
修理亮が答えた。
「もうすぐ観桜の宴がありますので、食材の準備にいそがしいんですけど、我々がもし、おえら方の宴に混じって一品つまみ食いできるなら、何がいいかなぁという、まあ、そんなしょうもないことを話していたんですよ」
気さくで、身分官位を問わず、平等に楽しく対応する頭の中将斉信に、皆がざっくばらんに話しかけた。
「フナの包み焼きなんかどうだ?俺が今まで食べた中で一番ぜいたくなヤツだけど。包んだ葉を開けると、柚子の香ばしい香りが広がって、たまらんぞ」
修理亮がうっとりした顔で、皆に言う。
「紅鯉の鯉味噌もいいぞ。紅鯉の切り身に味噌をつけて」
「いや、鯉なら燻製だろう」
「どっちにしたって白粥三杯はいけるな」
食べ物の話となるとにぎやかなものである。
その中で、行成がひかえめに皆の話を黙って聞いてるのに斉信は気が付いた。
「どうしたんだい行成。君は宴に参加するんだから、希望料理を言ってごらんよ。あんまり静かだから、ここにいることに気が付かなかったよ」
斉信、一番最初に行成を見つけてるくせに、これである。
「影がうすくて悪かったですね、斉信殿。鯉味噌もフナの包み焼きも近江のカモの照り焼きも若狭のカニもけっこうですが、やはり、宴が果てたあと、我が家でホッとくつろぐときに食べる芋粥。これが一番しみじみきますね」
それを聞いて、輪を囲んでいた男たちがドッと破願する。
「そうだよな!気を使ってくたびれ果てて、ようやく家に帰った時に食べる芋粥、いいよな。フーフーズルズルいわせていそがしく箸でかっこむのが最高だよな」
「甘葛煎(あまずら)の汁をかけて甘くしたのなんか、もう、身も心も大満足だよな!」
左衛門尉や右中弁などはもううっとりだ。
「いいトコつくねえ行成。当日どんな料理がふるまわれるか、みんな楽しみにしておいてくれ」
「美味しいものがお下がりでくることを祈ってますよ、中将殿」
右中弁の言葉で、にぎやかだった輪もおひらきになった。
帰ろうとする行成に、斉信は声をかけた。
「行成。今日はもうヒマかい?」
「は。何も予定は入っていませんが」
と行成は答えた。
「ならウチにこないか?いちごがちょうど熟れ頃なんだ。一緒に食べないか?」
行成は突然の誘いに少し面食らったようだったが、YESと返事した。
そして斉信は、訪問時間を約束した。



未の時刻(午後三時頃)、夕方にはまだ早い時。斉信の屋敷の中門に牛車がとまる。牛車から降りた行成は、「到着するのが少し早かったかな」と思いながら、寝殿へ案内された。