鈴なり星

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僕が左遷された理由(わけ) その1

 

 

藤原行成の蔵人頭としての評価は、公卿たちの間では大変高い。
精励を極めた勤務ぶり、事務処理の要領のよさ。清廉潔白な人柄は、常にひかえめな黒子役に徹する態度から押し測れようというもの。
就任当時、『地下人が、どのようなコネを利用して俊賢殿にとりいったものやら』といった声にならない声が、水面下でうねっていたものだったが、もはや誰一人、そのような中傷をささやく者はいない。帝と公卿トップの間は、奔走する彼の働きで万事なめらかに事が進み、活気に満ちた、明るい内裏となっている。東三条院(詮子)の信任もあつく、帝と公卿、そして母后の連携が極めて順調なのも、現在の蔵人の頭たちの努力のたまものだと評価されている。

そんな蔵人頭の両翼の一端を担っているもうひとりの人物は、ここのところずっと悩みを抱える日々を送っていた。
ぱしぱしぱし。右手に持った扇を、威勢のいい音をたてて左の掌に当てている斉信。落ち着かない心を持て余すかのように、時折こんなふうに扇をもてあそんだり、簀子(すのこ)を右に左にウロウロしたり、ヤケになったように急に琵琶を弾いてみたりする今日この頃だ。
陽気な社交家で、己がペースを決して崩さない好青年が、なぜ上達部の必須とされている優雅さも忘れて、イライラしたそぶりを見せているのか。


「行成…いつになったら打ち解けてくれるんだっ!」

おっとつい本音を叫んでしまった、と斉信はあわてて扇を口に当てた。


蔵人頭を一緒に組むようになってからずいぶん経つ。お互いウマが合うと見え、慌ただしいこの仕事も、実に無駄なくさばけている。もちろん、各々の才能の高さもあるが、他の殿上人には決して言えない気苦労も極秘情報も、二人きりになった時には、ぐちぐちとハラを割って語り合い、暁まで飲んだくれた事も五回や十回ではない。しかし行成は、そんなくだけた席でも私に対して絶対に敬語を忘れない。もちろん彼は冗談も言うし、与太話も好きだ。最近になってようやくきまじめな丁寧語が抜けて、軽口の敬語になってくれた。それだって私が再三『そんなかたい言葉は私にだけはやめてくれ、お願いだ』と、懇願にも似た口調で頼んでいるからだ。しかしその都度行成に『最低限、わきまえねばならないこともありますから』と笑顔でかわされる。これでも以前に比べたらマシになった方だ。最初の頃は、『教えていただかねばならないこの身で、どうして軽い気持ちでいられましょうか』ときたもんだ。
ちょっと前まで低迷してたとはいえ、家柄だって十分なものじゃないか。君の実力は、あの道長殿も東三条院さまも一目置いてるし、誰にも遠慮なんてしなくてもいいのに。
年齢差か?たった五つ、それがどうした。少なくとも私の前では『素』の君を見せて欲しいよ。それは私のわがままか?どんな状況にいても、彼は決して理性を捨てようとしない。
ああ、一度でいいから『斉信殿』ではなく『斉信』と呼び捨てされたい。


後宮で、御簾の前をため息つきながら通り過ぎる斉信を、これまたうっとりとため息をつきながら見つめる女房たち。熱い視線が御簾のスキマを越えて斉信をがんじがらめにしているが、今の斉信は気付きもしない。頭の中はもう行成だらけ。もっとふざけた態度をとってほしい。斉信、と呼び捨てされたい。嗚呼。
私にだけは心を許したつきあいをして欲しい。馴れ馴れしくして欲しい。
私にだけ…?
そうだな、それすっごくいいな。他の誰にも節度ある態度を崩さない行成が、私にだけはハメをはずしてくれる。あのストイックなオーラを消してくれる。
最高だ。そのまま私は死んでもいいね。

ネジのゆるんだ頭の中はおかしな想像でいっぱいいっぱいであるが、立ち居振舞いはいたって涼やかなものである。床に額をこすりつけんばかりに、行成に乞うている願いがあるなど、だれが気付こうか。

自邸で脇息にもたれながらも、やはりネジのゆるんだ頭は行成のことにだけフル回転だ。まるで女人に恋い焦がれているよう。イヤイヤ恋なんかであるものか。大体恋というものは、異性にするものだろう。第一私は、女人に呼び捨てにされたい、など思ったことはないぞ。女人とタメ口で話をしたいと思ったこともない。彼と真に親しい親友になりたいんだ。四六時中、一緒にいたい。本気で心を突き合せたいんだ(友情超えてる気持に気がつかないらしい)。


こうなったら自爆覚悟で強制的にでも敬語を使わせない方法を考えるか、と斉信は決め込んだ。
「とは言ってもなー」
より仲良くなれる方法。女人相手とはわけがちがう。だいたい敬語というものは、身分の低い者から高い者へ使用される言葉である。
「じゃあ私のほうが、位階が低くなればいいのか?」
すごく名案な気もするが、どうしたら減階(げんかい)できるのかわからない。そんなこと考えた事も無かった。
減階。
でもそれで、行成がわたしに敬語をやめてくれるのなら、減階のひとつやふたつ、ゼンゼンOKだ。
有職故実に明るい斉信の知識を持ってしても、減階の先例は思い出せなかった。位階はそのまま、何かの事件や不祥事で遠国に飛ばされる、という例はあるが。
『飛ばされる?』
斉信の頭にひらめくものが。
そうだ!除籍、除籍処分だ。昇殿の資格を失うような失態をしてしまえばいいんだ。帝のお叱りでも勤務怠慢でも、失策でも何でもいい。殿上の間にあるあの板から、私の名前を削ってもらえば、みごと地下人のできあがりだ。ついでにどこぞの遠国の権守に飛ばされればパーフェクト。そんなヤツに敬語を使おうなどとは思うまい。
斉信は我ながらの名案に、小躍りしたくなるような思いだった。
さて不祥事は何にしようか、と斉信は腕組みして考える。
何でもかまわないが、頭中将のプライドにかけて、失策という手段だけは避けたい。
無能というレッテルだけは貼られてたまるものか。ゆるみかかったネジを締めなおして、必死で考えをめぐらす。
時間がどんどん過ぎていった。
やがて、傾きつつある西日に照らされた斉信の顔がニヤリと笑った。少々不気味だが、相当な名案が浮かんだらしい。斉信はスックと立ち上がり、
「馬を用意してくれ!俊賢殿の屋敷に行く!」
と家来に叫んだ。
待っててくれ行成!私の計画は完璧だ。絶対に除籍処分になってみせるぞ(頭おかしいよ)。