鈴なり星

平安古典文学の現代語訳&枕草子二次創作小説のサイト

雪だるま

 

 

「…予想はしていたが、無断欠勤だらけだねえ」
出勤した殿上人のあまりの少なさに、斉信がぼやく。
四日ほど前までの春のようなのどかな天気から一変、北西からの強い風が吹いてきて、湿気をたっぷり含んだ雪雲を山の彼方から連れてきた。なんともいえないほど寂しい灰色の雲が太陽を隠し、降りはじめた雪は終日止まず、底冷えの今朝、とうとう宮中の庭には五、六寸(15㎝程)の白雪が降り積もってしまった。
「一尺(30㎝)も積もれば立派な言い訳ができるというものですが、これはちょっと…」
行成が、苦笑しつつ答える。
「積雪のため牛車が動かせないって?ははは、悪路をついての参内は、誰だって気が進まないものさ。私なんかはね、仕立てたばかりのこの濃緋の袍の艶やかさを、後宮でほめてもらいたい一心で参内したようなものなのに。
さて、陣定(じんのさだめ。閣議のこと)ができるくらいの面子はそろったのかな」
それまで部屋の隅に控えていた蔵人が、2人の蔵人頭に近づき、申しわけなさそうな顔で本日の参内状況を報告した。
「普段でさえきちんとそろった事がないと言うのに。
某(なにがしの)権中納言風邪。もうおひとりも風邪。某大納言は娘の看病。右大臣は屋敷の修理の指図。なんだそれは。雪の重みで半壊でもしたのか?
あとは全員無断欠席か。どうせ今頃は自邸で雪見の宴会でもしているんだろ」
定数に満たないのなら本日の陣定は中止だ。ほんの数日前には、まさかここまでの大雪になるとは誰も想像できなかった京の都の白い一日である。


「だからといって、なにも童のマネをして、雪を転がさなくてもいいでしょうに」
しゃがんだ濃緋の背中に行成が声をかける。二人がいるのは弓場殿の南、安福殿の庭の、雪の積もった射場だ。
「文句があるなら、私たちをヒマにさせたエライさんに言えばいいだろう。ああ忙しい忙しい」
濃緋の男は大きな雪のかたまりと格闘している。一体何が楽しいのやら、フンフンとハナ歌を歌いながらご機嫌な様子で、ふかふかに雪が積もった場所を探しては、丸めた雪を転がし、それを繰り返していくうちに、彼の両手の中の雪のかたまりはどんどん大きくなってゆく。そのかたまりの大きさに比例して、斉信の横顔もほころんでいくようだ。
雪の冷たさで手を赤くしながらも、「よいしょ」とうれしそうに動き回っている斉信の姿を眺めていると、行成もなぜか楽しくなってゆく。
吹雪の降り止んだわずかな間、屋根も簀子(すのこ)も池も木々の枝も、どこもかしこも白雪に隠されて、見渡す限りの白銀の世界に閉じ込められたよう。誰も知らない、二人だけのわずかな時間。こんなひとときを過ごすのも、斉信となら案外悪くないのかもしれない。「しもやけになってしまいますよ」と声をかけたかったが、自分のほうから二人きりの時を中断させるのはためらわれる。階(きざはし)近くの高欄のそばに立って、しばらく様子を伺うことにした。



「ずいぶん変わった趣向の雪転がしですね、縦に乗せるとは。これが最近の流行りなんですか?」
「いやだなあ行成君、私のオリジナルに決まってるじゃないか」
すこぶる機嫌よく答える斉信、袖も袴も雪まみれだ。
二人の目の前には、真っ白な雪のかたまりが完成していた。しかも二つも。ずいぶん大きい。二つ目は体力を持て余した勢いで作ったとしか思えない。だがなぜ乗せるんだろう。立ちはだかる、と言ったほうが正しいような大玉となった。
「まあ見ていてくれよ。私の独創性に、君は感服するに違いない」
腕を組んでじっと見ている行成にそう声をかけて、斉信はスタスタとどこかへ行ってしまった。しばらくして戻ってきた時には、両手にくれ竹のやや太めの枝と、南天の赤い実が幾つもついた枝を握っていた。
「それはもしや清涼殿の庭のくれ竹…よく切ることを許してもらえましたねえ」
「不恰好にのびすぎた枝を、少しばかり手入れしただけさ。さて」
斉信は、抱えていた竹と南天を下ろし、南天の宝珠のような小さな赤い実を枝からはずし、上側の雪玉のやや右あたりに何粒かまとめてはめ込んだ。少し離れてはめ具合を「ふむ」と眺めていたが、先ほどはめ込んだ南天の左側に、残りの南天の実をを同じくはめ込む。そして地面にしゃがみこんで、ほうきのようなくれ竹の枝を手に取って、今度は下の雪玉の両端に、上向き加減にざっくり挿し入れた。
「すばらしい」
感に堪えないといった様子で、斉信はため息をついた。
唐突にできあがった目の前の物体に、行成は愛想笑いをしようかどうか迷っていた。同じく「すばらしい」と相づちを打てばいいのだろうか。何と言っていいのかわからない。
「ああ!どうして今までこんなに楽しい遊びを誰も思いつかなかったんだろうな。雪だるま。雪玉を積んで、人に見立てるんだよ。両目と両手をつけるだけで、こんなにも人にそっくりになるなんて」
いい年こいた大人が息を切らせながら、大きな雪玉をつくること自体を恥ずかしいとは思っていない、そんな相棒の神経こそが恥ずかしい…そう言いたい気持でいっぱいの行成だったが、できあがった雪だるまの体型は、エライさんたちにそっくりだった。白くのっぺりとした顔、でっぷり出た腹、一日じゅう座りっぱなしであごで下っ端をこき使う、そんな誰かさんたちを彷彿とさせる。
「そうだ、ちょっと待っててくれますか。私にも良い考えがありますよ」
そう言って、行成が台盤所から持ってきたものは、木の古びた柄杓(ひしゃく)と竹炭の小片だった。両目に見立てた南天の上に竹炭をはめ、まじめくさった顔付きで、鼻と口の位置に、それぞれを縦と横にはめる。
最後に柄杓を逆さにして、てっぺんに伏せた。
「ほら、これで、より人間らしくなったでしょう」
「すごいぞ行成。そこまで思いつかなかったよ」
斉信が目を丸くして答える。はたから見ると、実にくだらない光景だ。
「久しぶりに張り切ってしまったよ。ヒマになったおかげでこんなに楽しい遊びを発見できた」
「大雪もまた楽し、ですね。そうだ、今度は皆に見てもらいませんか。次は私も一緒に転がしますよ。こんな大きな雪だるまを清涼殿の東庭あたりにこさえたら、きっと黒山の人だかりになるに決まってます」
「え、いいのかい?」
いつもなら、周囲の目が集まる場所でそんな大人げもない真似事などできるわけないでしょう、とムスッとした顔でそっけなく言われてしまうのに、予想もしない返事に思わず面食らった斉信だ。
「せっかくですから、つれづれのおなぐさめに今上にもお見せできたらと思いついたんですよ。どうでしょう。それとも冷え込んできそうだからもう帰りますか」
「いやなわけないだろう。よし行こうすぐに行こう!」
君の気が変わらないうちに!という言葉が出るのをすんでのところで飲み込んだ斉信。そんなことを言ったら、行成は我に返ってしまって「やはりいい年した青年男子が童のようにそんな」と逃げていくだろう。
「ようし、気合いを入れてもうひとがんばりするぞ」
腕をぐいと引っ張られ、濃緋の男に引きずられていく行成。
誰もいなくなった雪の射場には、運動不足で腹の出っ張った大宮人が…もとい、ひどくいびつな格好に仕上がった雪だるまが、赤い瞳で遠くの空を見つめていた。


(終)