鈴なり星

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狭衣物語19・今上の譲位、そして出家

 

 

夏になって、帝はご気分がすぐれない日が続いて病がちになった。
譲位をほのめかすようになり、退位後は出家して、嵯峨の小倉山のふもとに造営しておかれた御堂にて静かに勤行したいものだと思われる。次代の東宮になるべき一の宮(坊門上と堀川大殿の娘である中宮の御子)もおり、不安な事は何もないが、それでも堀川大殿は賢帝の譲位を残念に思う。
帝は、御世代わりに心乱している中宮に、
「あなたはやがて東宮に立たれる御子の御母后であり、堀川大殿という、もっとも有力な後見にも恵まれておられる。私はまもなくさまを変えて嵯峨にこもりますが、あなたは心根をしっかり持って、一の宮をお守りしてください」
と言い聞かせた。
故大宮の御子である女宮(女一の宮・二の宮・三の宮)たちのことが気がかりで、帝はその方面の世話を、堀川大殿にくどいほどに頼まれる。
「女二の宮は出家してしまったが、身の行く末を私はずいぶんと気にかけていたものだ。斎院(女一の宮)はその職ゆえ、世間知らずで戻ってくることだろう。だが、女三の宮と若宮のことこそが一番心配だよ。女二の宮と狭衣の婚儀が破棄となった今、実は代わりに女三の宮を狭衣に与えようと考えているのだ。婚儀後は、二人にそのまま若宮を託そうとも思っている。
狭衣に、若宮を我が子と思って、どうか後見をお願いしたい」
堀川大殿は、
「今上。私の目の黒いうちは、宮さまがたを決して見離すなどありません。命の限りお仕え致します。狭衣も、何事も悲観的な性質ではありますが、今上のたっての仰せをどうしておろそかにしますでしょうか」
と力強く答えた。
その後二人はお互い心にしみいる事などを語り合い、帝は頼もしく思うのであった。


「女三の宮をこちらにお迎えする準備を一日でも早くはじめて、帝に安心していただこう」
と堀川大殿は思い立ち、急いでお部屋の準備にとりかかる。
「今度は女三の宮だと?
以前女二の宮のもとに忍び込んだ時の三の宮は、気高さや奥ゆかしさでは、二の宮より劣っていたような気がする。二の宮は不満な点は何も無く、決しておろそかにできるような方ではないと思ったが、その点では三の宮はどんなものか、期待できないなあ。
源氏の宮への恋慕を持て余して女二の宮をずいぶんと冷淡に扱ってしまった。子までなすほどの前世からの縁の深さだったのに。ほんの少しでもいいから二の宮に心のうちを聞いて欲しい。しかし出家されたのだからそれはもう無理だな。二の宮と三の宮は御姉妹なのだから、結婚したら、三の宮と私の睦まじい様子が二の宮には筒抜けになってしまうだろう。それは何としても避けたいことだ。
女三の宮には、ただおそばで仕えるような形にして契りを結ばないようにしよう。妻を持って安穏と暮らしている、と二の宮に思われたくない」
屋敷内が女三の宮をお迎えする準備で忙しい中、狭衣はそんなことを考えていたのだった。


その年の八月十日、嵯峨の御堂にて、帝は剃髪するとともに、譲位されてしまった。これより嵯峨院と呼ぶ。
普通の人の出家でも見るにつけ聞くにつけ悲しいものだが、ましてや帝の出家ともなると、万感胸にせまるという言葉も足りないくらいで、中宮などは取り乱して泣かないようにするだけで精一杯だった。
そんな姉・中宮を狭衣は慰めながら、中宮腹の一の宮が東宮に立たれたこと、その東宮の後見を、堀川一家に任されるめでたさなどを考えていた。
御譲位・新帝の即位の儀式などで忙しさが立て込み、世間が落ち着いてから狭衣と女三の宮の婚儀を行おうと、堀川大殿は考えていた。
嵯峨院は退位するとともに気分もすっかり落ち着き、女宮たちに対面するべく嵯峨の御堂に呼び寄せる。出家した女二の宮には特に伝える事が多く、あわれ深い事柄などを心を尽くして話された。
女宮たちは、
「御逝去ではなく、御出家のお姿をお見上げできることを、何よりのなぐさめとして、最期の時には父院に遅れをとらずに死にたいものでございます」
と父嵯峨院に泣きつく。
院は、以前の御治世の憂悶を思い出すことなくさっぱりと住みこなしていたが、一の宮と女三の宮を帰らせた後、無聊のなぐさめにと、同じく出家した女二の宮を留まらせ、嵯峨の美しい景色の中で勤行を共にする。
初夜(午後六時~八時)・後夜(午前四時~六時)の念仏も怠ることなく二人で行い、院は「後の世も共に」と女二の宮をなぐさめるのだった。


その頃都では、新帝即位後初めての大嘗会(だいじょうえ)の女御代を源氏の宮がつとめ、そのまま入内なさるであろうとのうわさに、狭衣が打ちのめされていた。