鈴なり星

平安古典文学の現代語訳&枕草子二次創作小説のサイト

狭衣物語36・狭衣、一品宮と正式に結婚

 

 

狭衣と一品宮の婚儀の当夜。
大殿と堀川上が心を配り、狭衣の支度を終えた。衣装にたきしめた極上の香の薫りが華やかな衣装をさらに引き立てる。しかし出かける時刻がとっくに過ぎても、かんじんの狭衣は魂が抜けてしまったかのように、ぼんやりと部屋の端のほうで横になっている。
いつまでたっても姿を見せない狭衣に、大殿たちはしびれを切らしていた。
狭衣は、自分のとっている態度のなんと大人げないものよ、と情けない思いだったが、どうしても入道の宮のことがあきらめられない。
しかし出発時刻はとうに過ぎている。
ようやく重い腰をあげ身なりを整え、父母の前に進んだ。
笑顔ひとつないわが息子の様子に母上は、
「こんなにいやがっているとはねえ。無理に縁談を進めた私たちが悪かったのかしら。
でも、いまさらあとには引けないもの」
と胸が痛んだ。
狭衣一行が一品宮のもとに出かけてしまった後、女房たちも「気がかりですわ」「一品宮さまの為にも、お気の毒なことにならなければいいのですけれど」などとささやきあっている。
「なんの物語でしたっけね。よく似たお話がありましてよ」
「こういうお話は、よく物語に出てきましてよ。『葦(あし)火たく屋』なんかが特にそうですわね」
「そのお話の男主人公の少将は、結局は強引な親に従っているのよね」
「そうね。物語でさえ親が子の意に反する縁談を強いるのは、よくないことなのにね。
こんなにいやがっている縁談を進めて、世間の人は堀川家をどう思っているのかしらねえ」
最後のつぶやきは、堀川上である。


ようやく到着した狭衣を待ちわびていた一条院では、一品宮の並々でない準備をすっかり整え終わっていた。
三十路を過ぎた一品宮は、こちらが恥ずかしくなるような成熟した気高さで狭衣を迎えてくれた。
しかし彼の心は全く動かされない。
――源氏の宮への恋心ゆえに、女二の宮(入道の宮)にあんな薄情な態度をとってしまった。そんな仕打ちをした罰を、私は今宵受けているのだ。愛のない結婚という罰を。

あるのは後悔ばかりの狭衣だった。



一品宮と過ごした夜。
狭衣は早々に一条院を辞し、若宮のいる一條の宮へ逃げ込むように帰ってしまった。
まだ夜は深く、誰も起きだして来ない。狭衣は自ら格子を開け、まだ明けない空を渡る雁を眺める。

『聞かせばや常世離れし雁がねの思ひのほかに恋ひてなく音を
(私があなたから離れて、恋い慕って泣く音を聞かせたいものよ)』

そのあと違う和歌を手紙にしたため、狭衣は嵯峨院にいる入道の宮へ届けた。


同じ時刻、嵯峨院の入道の宮は、持仏堂の妻戸を押し開け、立ち込める朝霧を眺めていた。そのうち嵯峨院もやってきて、陀羅尼を読み合わせ始める。
次第に女房たちも起き出し、御前の花の枝の手入れなどしていたところ、中門のほうになにやら来訪者の気配がする。女房が取り次ぎに出ると、某兵衛らしき使者が、「狭衣大将のお手紙を持って参りました。中納言典侍にどうかお取次ぎを」と頼む。嵯峨院はそれを聞いて、
「不思議なこともあるものだ。狭衣は昨夜、一品宮のもとに行ったのではなかったか。今朝はまず何をさしおいても、一品宮へ後朝の手紙を差し上げなければならないはず」
と首をかしげる。
院は何が書いてあるのか興味がわき、使者から手紙を受け取った。
大変まずいことになったと真っ青の中納言典侍。
院は典侍の目の前でその手紙を開けた。

『思ひきや葎(むぐら)の宿を行過ぎて草の枕に旅寝せんとは
(入道の宮が住んでいた一條の宮を通りすぎて一品宮のところで仮寝しようと思ったことはありませんよ)』

「ほう。見るたびますます立派になってゆく手蹟だな」
と院はしきりに感心するのみ。
中納言典侍が手紙を見ると、美しい和歌がひとつふたつ書かれているだけだった。
よかった、やはり狭衣さまは思慮あるお方よ、はっきりと言質をとられるような手紙は書かれないもの、と中納言典侍は胸をなでおろした。
「新婚の今朝は、狭衣は一品宮に夢中で他のことには気が回らないはずなのに、なんと思いやりのある心使いよ。彼が書いてよこしたものを、女房の代筆などでよいものか。
この返事は、宮、あなたご自身でなさい」
嵯峨院の、入道の宮と狭衣の関係など全く知らない善意からの言葉であった。
「このように風情のあるお歌の返事に、髪をおろしたわたくしのような者が書いては見苦しいに決まっています」
入道の宮はかたくなに筆を取ろうとしない。仕方がないので、返事は嵯峨院自らが筆をとった。

『故郷は浅茅が原に荒れ果てて虫の音しげき秋にやあらまし
(あなたが一品宮のもとへいってしまったので、かつて住んでいた一條の宮は荒れてしまって、我が物顔で虫が鳴いていますよ)』

院の返事を見て、狭衣はますます入道の宮に思いが募るのだった。