鈴なり星

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狭衣物語37・狭衣、温和な妻一品宮にモラハラ行為

 

 

狭衣は一品宮には後朝の手紙は贈らなかったが、宮の母君である女院には手紙を贈った。


『まだ知らぬ暁露におき別れ八重たつ霧にまどひぬるかな
(起きてあなたのもとから別れての帰り道は、あなたへの想いが幾重にも重なって、道に迷うほどでした)』


「まあ見事な読みぶりだこと。ずいぶんあなたに好意を示したお手紙ですよ。こんな場合のお返事は、熱意を込めて書くのも体裁が悪いので、さらりと形式的にお書きなさい」
一品宮は当惑していた。
母君のもとへは流麗な和歌が贈られていても、自分のもとへ後朝の手紙は来ていないからだ。
困った宮は、用意された料紙に何も書かず、ただそのまま引き結んで下に置いた。包み紙と料紙、それと女房装束を、堀川邸からの使者は洗練された態度で受け取り、帰っていった。
使者の帰りを今か今かと待ちわびていた堀川大殿と母宮は、狭衣も同席させ、急いで返事を見る。もちろん何も書いてない。
「まあ、なまじっか平凡な歌が書いてあるよりは、白紙の方がよいということもありますよ」
「何を言うのです狭衣。白紙の返事は人の忌み嫌うものです。訳の分からないことをなされたものね、あちら方は」
不愉快そうに母宮はつぶやいた。
婚礼三日めの祝宴はまことに華やかだった。高貴な身分同士の婚礼の宴はかくあるべきというような、格別すばらしい祝宴だった。
婚礼四日めの朝を、狭衣は一品宮のもとで迎えた。
えも言われぬほどなまめかしく優美な男君の様子に、一品宮に仕える女房たちは、顔を合わせることすら恥ずかしく思っている。一方の一品宮はややお年を召された御方。女房たちは、それを心配していた。御床の様子も手触りも若い女人とはまるで違うのだから。
狭衣も彼女の年齢のことはわかっていたが、やはりがっかりしていた。
――楽しみといえば、飛鳥井の女君の忘れ形見だけか。なんてつまらない新婚生活なのだ。しかもいまだその子のことを言い出せない…
これからこんな毎日が続くのかと、朝の明るい陽射しの中、うっとうしい気持でいっぱいだった。



このように、結婚してからも不満を抱き続ける狭衣は、一品宮のもとへあまり立ち寄らなくなり、実家の堀川家に泊まりがちだった。父大殿はたいそう心配し、
「いつまで我ままを言っておるのだ。相手はそんな我を通せるお方ではないことぐらいそなたもわかりきっているであろう」
と口うるさく言う。狭衣は適当に聞き流し、大殿が不機嫌な日は、若宮のいる一條の宮で過ごすようになった。
ごくたまに一品宮のいる一条院に狭衣が来た日など、一品宮は狭衣の若々しい振る舞いやきらびやかな容姿に気後れし、自分の年齢を思い知らされるように遠慮しているが、狭衣はそんな宮の悩みに全く気付かないふうに冷淡な態度で居続けた。
そのうち、宮にお仕えする女房の中にも「今上の妹宮とも思わないようななさりようだ」と不平を感じる者も出るようになった。
一品宮は気高く温和な心の持ち主だったので、「狭衣さまとの結婚は前世から決められたこと」と考えることにし、彼を冷淡で薄情だと思わないようにしていた。
そんな狭衣の態度を堀川夫妻は苦々しい思いで見ていたが、厳しく諌めて自分の息子が「出家」を持ち出すのが恐くて、強いことは言えなかった。



久々に一条院に行った狭衣のもとに一品宮が渡る。
しかしうつむき加減でじっと黙っている宮に対して狭衣は、
「おや珍しい。そこにおられるのは『我が妻』のようですが、めったにお会いしないのではたして見間違いかな、どうなんでしょうね。ハハハ。
顔を背けるなど、相手に対して失礼なことですよ。私などに対面したくないお気持、わかりますがね」
ずいぶん冷酷な言い方もあったものである。
ひどいいやみに堪えかねて、衣を引き被って突っ伏してしまった宮を、狭衣は少し気の毒に思った。どうしてあんなひどいことを言ってしまったのか、と。
しばらくすると、向こうの方でなにやら幼い子供の声が聞こえてきた。
「もしや」飛鳥井の女君の忘れ形見ではないか、と狭衣は子供が見たくてたまらなくなった。
「宮。こちらに幼い姫がいると伺っています。どうして見せては下さらないのか。どうかこちらへお連れしていただきたい」
「…何かの折に、お目にかからせることもありましょう。あなたのお心をほぐす子供とも思えませんので」
「子供はいつ会ってもいいものです。それとも私ごときに急いで会わせる必要はないと?あなたの悪いお心癖ですね。そうやっていつも私を疎遠に扱われる。とにかく見たいのです」
「あまり馴れ馴れしくすると、あとで後悔するといいますし」
「新古今のお歌ですか。やれやれ何でもかんでもよくご存知の宮さまだ」
歌を引用してさりげなく断ろうとする宮にうんざりしながらつぶやくのだった。