鈴なり星

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狭衣物語34・事態はどんどん狭衣の望まぬ方向へ

 



それからしばらくたった六月のある暑い昼下がり、狭衣は嵯峨院の御子である若宮(真実は狭衣と女二の宮の子)と一緒に、若宮の住む一條の宮で遊んでいたとき、急に荒れ模様になったことがあった。
雨に打たれる柏の木を若宮と二人でながめていると、入道の宮(女二の宮)への未練が今も残る自分に気付く。
狭衣は、夕立に濡れて倒れた撫子の花を手折り、結び文をつけて、嵯峨院に住む入道の宮に贈った。

『恋わびて涙に濡るるふるさとの草葉にまじる大和撫子
(私の涙に濡れているこの撫子は、あなたもなじんだ一條の宮の撫子ですよ。あなたとのかわいい御子と一緒にいる、私のことを思ってはくださらないのですか)』

そのような和歌が書いてあったが、宮からの返事などあるはずもなかった。





狭衣と一品宮との結婚は八月十日に決まった。
堀川大殿と女院が表面上を上手に取り繕ったため、世間の人は「今までずっと狭衣大将が独身なのが不思議だったけれど、このような身分の高い御方を望んでおられたからだ」と誰もが納得した。
狭衣はすっかりイヤ気がさして、若宮のいる一條の宮にこもりっきりだ。
入道の宮が自分を見限ってさっさと出家してしまったから、こんな望んでもいない結婚を強いられるのだ…と、入道の宮の出家は全て自分の責任である事などすっかり忘れ、うらめしく思い続ける狭衣だった。
「このたびの一品宮との結婚を入道の宮はどのように思われていることだろう。今すぐにでも入道の宮に対面して、『こうなったのも、全てあなたが出家したせいなのですよ、私を捨てて』と言い苦しめたい気分だ」
そう思えば思うほど、だんだん気持が抑えきれなくなり、中納言典侍を呼びつけて愚痴を言いたくなった。
中納言典侍が参上した時、狭衣は不機嫌そうに廂(ひさし)の間の柱にもたれかかっていた。
「この世がイヤでイヤでどうしようもないからあなたに来てもらった」
「なんと申してよいやら。若宮はお元気でいらっしゃいますか」
「その若宮がいらっしゃらなかったら、私は何をよすがに生きていったらいいんだい。
うっとうしい話も持ち上がっていることだし、もう本当に今度こそ出家しようかと考えている。ただ、この若宮だけが心残りでね」
「たしかに、以前はつらい事もあったとは存じますが、今はこの若宮のお可愛らしいらしいご様子に気も紛れてお心を慰められましょう。出家なさるなど、まったく心外なことでございます。このたびの一品宮さまとのご結婚もひかえておりますのに」
「ああうるさい、うるさいね。世間では以前から関係があったとか言われてるけどね、そんなことあるはずないってことはあなたが一番知っているはずだ。忘れてしまったかのような冷たい言い方をするんだな」
確かにお気の毒だとは思うものの、またいつものくよくよなさるお心よ、と中納言典侍は少々あきれていた。
「このたびの結婚を入道の宮はどのように思われているのかな。何か聞いてはいないかい?」
「つい先日入道の宮さまにおめもじしましたが、特には。
宮さまは我慢強いご性質でいらっしゃいますので」
「私は入道の宮のお姿やお声はおろか、わずかな琴の音しか聞いていないんだ。情けないことだよ。こうなったら最後の手段だ。朝に夕に、勤行されている宮の仏間に忍び込んでしまおうかな」
「まあ、なんて恐ろしいことをお考えでいらっしゃいますか。それに、なまじ宮さまにお会いになると、さらにつらいお気持になられるかもしれません。
こう申してはなんですが、ひどい仕打ちで入道の宮さまをお見捨てなさったのは、狭衣さま、あなたさまの方なのですよ。今となってはあなたさまがどのように望んでも、宮さまがあなたさまにお逢いなさるはずがございません。ですから、あなたさまを宮さまのもとへご案内することはご勘弁くださいまし」
「情けない物の言い方だねえ。たしかに言い訳はできないし、自業自得だと言われたら返す言葉がないけれど、入道の宮に一度でいいからお逢いしたいという気持だけで生き長らえているわが身なんだよ」
「情けないと仰られましても…本当に、あなたさまが入道の宮さまとご関係を持たれた初めの頃に、今のようなお気持でいてくださいましたらどんなによかったことでしょうか。どなたも不幸にならずに済みましたものを」
こうして、恨んだり慰めたりしながら夜は更けていった。
明け方に狭衣は入道の宮への手紙を書き、典侍に渡して、
「中納言典侍が私を見捨てずにいてくれるなら、必ずこの手紙のお返事をいただいてくるように」
と念を押す。典侍は、
「まあ困りましたわね。けれど、これが最後のお使いになるんでしょうねえ」
とさみしそうに苦笑しながら受け取った。