鈴なり星

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狭衣物語35・入道の宮、狭衣のすがる思いを破り捨てる

 



嵯峨院にさっそく参った中納言典侍は、朝の勤行に専念している入道の宮のいる御堂に向かった。
返事があるとは思えないが、とにかくお見せすることだけはしなければ。ようやく昼ごろ、入道の宮が文机で硯をお取りになったついでに、狭衣からの手紙をそっと置いた。
宮は「誰かがこの手紙に気付いたら」と迷惑なことこのうえなかったが、はっきりと苦情を言う人ではないので、黙ったままその手紙を広げて見た。

『一品宮御降嫁のお話をお聞きになりましたか。
私が今何を考えているのか、あなたは何も聞いてはくれないのですか』

見事な手蹟でそんなことが書いてあった。
中納言典侍が、昨夜の狭衣の嘆きようや語った言葉、若宮を慈しんでい様子などを伝える。
「どうか一言だけでもお返事を。もし下さらないなら、世をお捨てになられるおつもりでございます」
たしかに胸が詰まるような手紙だ。若宮への配慮も、正直言えば大変ありがたいと思っている。心残りな若宮の後見なのだから、嵯峨院の手前、本当は誠意を見せる言葉のひとつもさし上げねばならないのに…なのに、どうしても許せないことだってある。
そう思った宮は、狭衣からの手紙の端っこに、

『夢かとよ身しにも似たるつらさかな憂きは例もあらじと思ふに
(私ほどつらい思いをする人はいないと思っていましたが、あなたさまは今度は一品宮さまを同じ目にあわせるおつもりなのですね)

身にしみて秋は知りにき荻原や末越す風の音ならねども
(あなたが私に飽きたこともよくわかったのです)

下荻の露消えわびし夜な夜なも訪ふべき物と待たれやはせし
(露の命も消え入るばかりに嘆いた夜々も、ついにあなたは私をかえりみようとはしませんでした)』

この三首を汚く書き重ねてビリビリと破ってしまった。
しばらくしてやってきた中納言典侍に、それらを「捨てよ」と命じた。中納言典侍はひとまとめにして片づけたが、どんなにひどいことが書かれてあっても狭衣さまは返事をもらって来いと仰ったんだもの、とその切れ切れになった紙くずを狭衣のもとに持って行った。
狭衣は、今朝別れたときのそのままの姿でぼんやりとしていたが、中納言典侍の持ってきた紙くずを、あわてて貼り合わせようとする姿がたいそう痛々しかった。


なんとかして、一品宮との結婚から逃げられる手立てはないものか、といろいろと願をかけていた狭衣だったが、その効果もなく、どんどん結婚の日は近づいていった。
出家遁世する本気の気力も持ち合わせていないのを、「そんなことをすれば親や一品宮側に迷惑がかかる」という理由でごまかしてしまうこの当代一の貴公子にも、ついに八月十日、結婚の夜がやってきた。