鈴なり星

平安古典文学の現代語訳&枕草子二次創作小説のサイト

箱の中身 その2

 

 

次の日の早朝。
「こんなところに汚らしい沓が置き捨ててあるわ!一体誰なの、こんなひどいことなさるのは!」
ひとりの女官がけたたましく騒ぎ立てている。
小兵衛の君だ。
食事の準備が整った御膳を置いてある棚に、箱が一つあるのを一番に見つけた彼女は、中に汚らしい沓が一揃い鎮座しているのを汚物をつまむように扱い、騒ぎを聞きつけてかけよってくる他の女官たちの前に、その沓を突き出していた。
「非常識もいいとこだわ!食べ物をのせる棚を下足入れと間違えて、こんな粗末な箱に沓を入れたまま忘れてゆくような粗忽者は一体誰なんでしょう」
眉をひそめた不快顔で、肩を震わせながら小兵衛の君が文句を言っている。本当に不愉快そうだ。彼女を落ち着かせようと、周りに集まった皆が、
「一体、どなたのでしょうねえ」
「まあまあ、犯人の追及をせずとも、そのうちに取りにやってきますよ」
「手を清め直して仕事に取りかかり直しましょう」
などとなだめている。
と、そこへ方弘が元気よくやってきた。
「やあ、これは私の沓ですよ。お騒がせしました」
「方弘さん、あなたの沓だったの。なんて非常識な方ですの。ここは下足入れではありません!神聖な御膳棚なんですよ。さっさとその、汚らしいものを持ってってくださいな」
なにもそこまできつい言い方しなくても、と周りの女官たちが方弘のことを思いやるほど、小兵衛の君はプンプンに怒っていた。
方弘はといえば、この場の険悪な雰囲気に全く気がつかないふうで、目をパチクリしてまわりを見渡している。


「…これはまた、手ひどく振られてるなあ」
事態の一部始終を庭の植え込みの中で眺めていた斉信たちが、ため息とともに苦笑する。
「沓を置く、とは方弘め考えたな。だけど直球勝負すぎたなあ」
方弘が求愛のアイテムとしての『自分の沓』を選んだことは、鋭いところを突いた考え方だが、御膳棚は少し行き過ぎだ、たとえ想い人の職場だったとしても。
「小兵衛どのとやらは、笑っていれば確かに可愛らしいでしょうが、あんなにつんけんとした物言いの顔を見てしまったら、興ざめですよ」
「求愛表現としては、我々にはマネできないセンスですよねー。ある意味すごいですよ。あーあ、向こうの戸の陰で信経が涙目で覗いてますねー」
「女官たちの何人かは、沓を置いた意味がわかってるふうの者も幾人かいるようですが、肝心の小兵衛自身がプロポーズされたことを理解できてないようでは、見込みは全くありませんねえ」
植え込みの中で、宣方と道方が声を殺して騒ぐ。
「相手の女官が鈍感なんだよ。方弘は悪くない」とは斉信の返事。
周りの女官たちは、むしろ方弘を気の毒がっているようだ。斉信たちも同様だった。
確かに場の空気は読めないし凡ミスもしでかす方弘だが、腹黒さも二枚舌も持っていない人物であり、元来陽気な彼を嫌っている人間はそうはいない。仕方のないうつけ者だなあと苦笑はするが、ただそれだけなのだ。
「結果的には方弘の恋をぶっつぶしちゃったわけですねえ、悪い場所に居合わせてしまったなあ」
「あんな気の強そうな女よりは、のんびりおおらかな女の方が方弘には似合っているさ…と方弘に会ったらなぐさめておくしかないな」
「こっぴどい言葉を投げつけられて、傷ついた方弘殿ってのは想像つきませんけど」
「そりゃそうだ、しょぼくれた方弘なんて、見れるものなら見てみたいぞ」
「あいつわかってるのかな…振られたってこと」
もはや失恋した同僚をなぐさめるというよりは、方弘を『酒の肴』にして、どのように酒盛りしようかと計画し始めている連中なのであった。

(終)