鈴なり星

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仮面の女 その3

 


「とにかく、周防命婦に借金をしていた女官たちを挙げるのが先だな」
公任がため息とともにつぶやく。
「特に、まだ借金したまま返済していない女官を見つけないとね。これはなかなか口を割らないだろうなあ」
金の弱みを握られた者同士の結束力は固い。口裏をわざわざ合わせなくとも、自分たちに不利な情報を流す女官など誰一人としていなかった。斉信が後宮に仕事で出向いても、女官すべてが自分をにらんでいるような気になる。自分がこの事件に顔を突っ込んでいることなど、誰も知るはずないにもかかわらず。女官全てが周防命婦に金を借りていたように見えもしたし、また、誰も借金などしてないようにも見えた。つまり斉信は、女人の本当のはらの中の心情など男にはうかがい知ることはできはしないのだ、と実感していたのであった。


周防命婦に借金をしていた女官のとっかかりは、意外な方面からつかむことができた。
検非違使佐たちが命じて、東西の市の盗品を扱う店に放免どもを出向かせ、いかにも高価な逸品を誰かが売りにきたら、店主が放免に知らせて、検非違使庁に引っ立てていく、という作戦をとったのだ。怪しげな売り主たちが迷惑そうな顔で、放免に連れられてきては、また帰っていった。
ほとんどがこの事件には無関係な者たちばかりだったが、そのなかの一人が持っていた、銀の鏡がなかなかの逸品であった。その売り主が、周防命婦を仲介とした金貸し業者であることを白状するのに、さして時間はかからなかった。
「鏡の背に描かれてある水辺の菖蒲。それにカササギ。周縁は独特の菱形。持ち主を知っている者がきっと見つかるはずだ」
その鏡は、生まれは良いが、両親が亡くなり落ちぶれて零落してしまった某女蔵人の母方の伝世品であった。その女蔵人の局を訪ねた事のある者なら誰でも目にしているその鏡。その自慢の鏡が質流れしている、ということは。
「すぐに取り調べます」あたふたと佐が部屋を出て行った。


ひとりのしっぽをつかまえて白状させれば、あとは芋づる式に金を工面してもらった女官たちがわかった。
いつ工面してもらったのか、何のためなのか、そしてその裏づけがとれれば、おのずと借金に振り回されていた女官が分かる。あろうことか、借金による生活苦を強いられていたのは、周防命婦の両隣の女官だった。生活の基盤をおびやかされていた者も数名いた。
隣部屋の女官を佐が問いつめても最初は知らぬ存ぜぬを通したが、佐たちの手によって、検非違使庁に連れて行こうとした途端、泣き崩れて犯行を認めた。内裏と実家という、狭い世界しか知らない女人にとって、検非違使庁という所は、死体が積まれ、腐臭に満ち、犯罪者たちとともに拷問を受ける恐ろしい所、という認識しかなかった。その女官は、検非違使庁で話を聞きます、と佐が告げただけで震え上がり、「私だけじゃない」と三名の女官の名を口にした。かわいそうに、白状したところで連行されることには変わりないのだが。
佐たちの取り調べた結果、周防命婦の口と鼻を背後から塞ぎながら、裳の引腰という幅広の帯で思い切り宣旨の首を締めたらしい。宣旨がこと切れたあと、紐を天井の梁の上に通し、皆で調度類の上に乗って、輪になった紐に宣旨の首を差し入れた。力の入らない大人の身体は、持ち上げるのにたいそう苦労したそうだ。四名のよってたかっての犯行だった。周防命婦の何をそこまで憎んでいたのかと問えば、たしかに返せないような金を工面してもらった私たちも浅はかだったが、返すあてがないのなら子供をもらっていくと脅されたという。
宮中の女官たちのこんな弱味を握っているから、あんなに朗らかに強気に振舞っていられるのだと思うと、皆がくやしさと生活をおびやかされる恐怖でどうにかなりそうだった。
借金に追いつめられた者同士が沈黙し続ければ、時間の経過とともに事件がうやむやになっていくだろうと期待していた。なにせ借金していたのは自分たちだけではないのだ、誰も彼も命婦殺しについて口を閉ざしてくれるに違いない。事実そうだった。あの女蔵人が借金の返済に質に入れた鏡からアシさえつかなければすべてうまくいったのに、と最後は錯乱状態の取調べだった。


その後、宮中では女官たちのちょっとした入れ換えがあり、顔ぶれが少し変わった。ただそれだけだった。表面上は相変わらずなごやかで、新入りの女官たちが、あちこちの先輩へ挨拶に回っているのも、斉信のよく見慣れた風景であった。


公任の屋敷へ行くと、検非違使佐が公任と対面しているところだった。佐は斉信の姿を見て、「あああの、結果報告は以上です」と言いながら、そそくさと公任の前を辞して行った。斉信は「やあご苦労さま」と声をかけたが、佐は眼を伏せながら「失礼します」と礼を失さない程度に早歩きで通り過ぎる。見送る斉信の目に、佐の背中が「どこまでいっちょかみしたら気が済むんですか」と泣いているように映った。
「佐君はずいぶん疲れているようだな。まあムリもないか」
「おまえが来るとの知らせを聞いた途端、倒れそうになっていたぞ」
「なんで。こんなにひかえめにおまえたちの動きを見守っていたのに」
軽いやりとりをしているうちに、女房が酒をもってきた。そのまま人払いを命じると、離れていた使用人たちも下がってゆく。
瓶子を傾けて酒を注いだ公任の袖口から、目立たない小さな数珠がのぞいている。
周防命婦のことを聞いてみたかったが、「何年も前の話だ」の一言で片付けられてしまうだろうと思い、やめた。
捕らえられた女官たちの処理とか、新参の女官たちの素性とか、今回の事件の帝へのご報告はどのようにしたとか、そういう事務的な会話が続く。
「特に内裏の秩序が乱れるような事件ではなかったけど」
「そうだな。政治向きの私怨がらみが原因だったら、もっと大変なことになっていた」
「とことん冷静なやつだな。周防命婦のために泣けとは言わないが、その手にしている数珠くらいの心は持ってるんだろう。それともなにか?まだ半人前だった周防に和歌や立居振舞のほかに、儲けの機会を見逃さない貪欲さまで教えたのか?」
「周防を汚すような言い方はやめろ。いくらおまえでも、そんなふうに昔の周防を詮索するのは許さない」
公任の声が鋭く飛ぶ。
斉信は黙った。今の一言に、公任が本気で怒りそうになっているのが伝わったから。
「悪かったよ公任、少し言い過ぎた」
「……」
「……」
「誰に蓄財のうまみを教わったかは知らないが、借金のカタに子供を売り飛ばすような腐った性根の女になっていたとは知らなかった。本人に見合った死に様だ。殺される時の周防はもう、私の知らない周防になっていたんだ。そう割り切って、別当としての職務を果たしたまでのことだ」
公任はそれっきり黙りこんでしまった。
公任が、何年も前に関係のあった周防命婦に、いまだ特別な感情を持っていたとは思わない。宮廷人というものはそれほどウェットな性格ではないし、ただ季節季節の何気ないやりとりくらいならやっていただろう。それはまあ、息をするような気楽なものだし、公任の性格からして、一度別れた女と何かを発展させようなど思うはずもない。
公任のプライドを、斉信はそのように信じて疑わない。
『おまえの考えている事を当ててみせようか、公任。
おまえはな、腹を立てているんだよ。周防命婦にも自分にも。自分がかつて入れ込んだ女が金に魅入られて腐った性根になリ下がったことに。そんな変化に気付いてやれなかった自分に』
…なあんて言ったらどんな顔して怒るかなあ。
黙ったまま酒を口に運んでいる公任を眺めながら斉信はそう思っていた。
こいつは心の内を吐き出すのが本当にヘタだよ。仕方がない、「もう帰れ」といわれるまでつきあってやるとするか。
斉信は、遠くに下がっていた女房に瓶子の追加を頼んだのだった。


(終)