鈴なり星

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仮面の女 その2

 


「もし他殺で、犯人が公卿なら、黙殺するかどうかを大臣殿と相談して決める」
「冷たい奴だ。おまえは昔からそういう男だよ」
「騒ぎ立てても詮ないことだろう。かえって馬鹿をみる。周防守もはらわたが煮えくり返る思いだろうが、そのへんはよくわきまえているさ」
「自害の理由が思いつかないのか」
「それは佐や大尉(だいじょう)らが当たってくれている。聞き込みが終わり次第、報告にやってくるはずだ」
「殺した相手がもし公卿なら、物の怪の仕業で気がふれて、で片付けられるんだろうなあ。よく知っている女官なだけに哀れでたまらないよ」
昨夜の遺体を思い出してしまい、斉信はまた口を扇でふさいだ。
検非違使佐が到着したとの先触れがあり、しばらくして几帳の向こうから佐が顔をのぞかせた。
「ご苦労。どうであった?」
「いやあ女官というものは、同僚の事を部外者に話すとなると、口が一気に固くなるものなんですねえ…うわっ頭中将どの?」
またあなたですか?といわんばかりに佐はあからさまにゲンナリした表情を見せた。
「まあまあ、乗りかかった舟というだろう?昨夜のことは他言無用、との約束は守ったし、何もしないし言わない。聞いてるだけだからさ」
「こいつをいっさい見るな。視界から追い出して報告してくれてかまわない」
はあ…とつぶやきながら、佐は話し始めた。
まず親である周防守にあたってみたところ、さる殿上人の婿取りをほのめかしていた事が分かった。このことは、周防命婦の両隣の局に住んでいる女官も証言しており、その結婚を彼女が非常にいやがっていたこと、親から強要されて真剣に悩んでいることなどを打ち明けられた、と隣の局の女官は言っていたという。
「結婚を悲観しての自害か?宮仕えにでた有力受領の娘の結婚となれば、相手の男は周防守の財力目当てだったのかな」
「おまえは何もしゃべるんじゃない。それで?」
「ええ、後宮内の聞き込みはとりあえずそれくらいなんですが。大尉が放免どもからちょっとした話を聞きまして」
「なんだ?」
「放免どもが、あれは首吊りで死んだんじゃない、と申しているんです。
彼らの経験によると、あんな細い紐で首を吊れば、紐が一気に締まって、窒息するより先に心の臓が止まってしまうらしいんです。なのにあの女官の顔の頬や目のまわりには、針でつついたような点状の出血がたくさんありました。あんな溢血点は、窒息でしか現れない、と放免どもは申してます。女官の足は床から相当離れてましたから、体重が完全に紐にかかっていたとみていいでしょう。中途半端に床に足がついて苦しんだ挙句の窒息なら話は別ですが。
放免の現場経験は確かです、皮肉ではありません」
放免は犯罪のエキスパートだ。追い剥ぎ、強盗、ばくち打ち、人買い、放火。今は検非違使庁の下っ端でも、かつてはそれらの罪を犯して獄に入っていたヤカラばかりだ。刑期を終えたあと、貴族たちが口に出すのも嫌がるような汚れ仕事をしている。しかしこのような者たちがいないと都の治安事情がさらに悪化してしまうのもまた事実であった。
「絞め殺されたあと首を吊り上げられた、ということなのか?」
「それは何とも申し上げられませんが、特に指の痕など何も見受けられませんでしたので、直接口や鼻を塞ぐか、あるいは幅広の帯などで首を締めたか…そんなことを放免どもは言っていた、と大尉は申しております」
「なんとなく予想はついていたが、いやな方向に事件が走り始めたな。他殺が濃厚なのかねえ。しかしあの命婦を恨む者など信じられないな。いつも晴々とした顔で、楽しそうにしていたのに」
もう斉信が口をはさんでも、公任はとめようとはしなかった。


翌日の陣定(じんのさだめ)での決定事項が多くて、今上に奏上するのに時間がかかり、斉信は公任とは私的な会話はできなかった。だがその夜、公任から屋敷に来て欲しいと要望があり、差し向けられた牛車に乗って、斉信は公任の屋敷に向かった。
「やあ、お招きありがとう。珍しいじゃないか。おまえがわざわざ車を寄こしてくれるなんて」
いつもの公任ならば、こんな斉信の軽口に、やはり嫌味ギリギリの軽口で応酬するのが普通だが、今夜は様子が違った。
「女の一件で進展があったんだ」
斉信は、内心少しばかり驚いていた。最初あれほど自分が顔を突っ込むのを嫌がっていた公任が、経過を教えるとは。
「今朝、大尉が知らせを持ってきた。周防命婦は宮中の女官筋の間では、有名な高利貸だったそうなのだ。大尉の愛人に某女房がいて、周防命婦は生前、女官たちに金貸しの斡旋をしていたと証言している」
周防命婦の意外な裏の顔だった。
「そんな話は初耳だ。あの命婦は砂金集めが趣味だったのか?金に振り回されているような女には見えなかったが」
「どおりで宮中の女官たちの口が固いはずだ。仮にも同僚が宮中内で変死したのに、少なくとも表面上は噂にのぼりもしないとは、おかしいと思っていたんだ。周防命婦に金の斡旋をしてもらった女官たちは、さぞ複雑な気持で過ごしているだろうな」
「……」
「婿取りを嫌がっての自害のセンも捨てきれないが、金貸しのトラブルによる殺害の方が濃厚か?もう一度、佐や大尉に、周防命婦の周辺の女官を聞きこんでもらおう。それでいいと思うか?斉信」
「思うかって…珍しいじゃないか。おまえが私に方針を相談するなんて。それが私を呼んだ理由かい?」
「そうだ。私は今朝大尉から周防命婦の裏の顔を聞かされて、正しい判断ができる自信がない。だから乗りかかった舟だと思って最後まで立ち会ってほしい」
「ああ。なるべく口ははさまないように眺めておくよ」


佐の聞き込みの結果、親である周防守は娘に結婚をそれほど強要してはいないことがわかった。
確かにほのめかす程度のことはしたが、宮廷女官という重要ポジションを辞めさせてまで、実家に連れ戻そうとは思っていなかったようである。親の言葉を信じるなら、結婚を悲観しての自害のセンは怪しくなった。では結婚の強要を悩んでいた、という両隣の女官の話はどうなっているのか。