鈴なり星

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山路の露4・姉弟の再会と浮舟の願い



簀子の端に座る浮舟と、下の庭に控える小君。
実の姉と弟はやっと対面できました。
小君は、主人の薫の手紙を渡すより何より、まず姉の姿を確かめました。
久しぶりに見る姉は昔と変わらず小柄でとてもきれいで、ただ、豊かだった髪の長さだけが以前とまったく違っているのが悪い夢でも見ているようで、薫君の御文を差し出しながら、涙をぽろぽろとこぼして泣くのでした。
浮舟も、もうすっかり忘れたと思っていた遠い記憶が懐かしく思い起こされ、まず母親のことを一番に訊ねようとしていたのに、胸がいっぱいになり言葉が詰まって出てきません。
しばらくの沈黙のあと、ようやく落ち着いた浮舟は、小君に話しかけました。
「私はこの世からいなくなってしまったものと皆さま思っていたでしょうが、こんな我が身にも仏さまのご加護かあったのか、生き延びることができました。でもまだ記憶がはっきりと戻っていなくて。
最近ようやく人心地がつき、それにつれてまず母のことが気がかりでなりません。お母さまはどうしていらっしゃいますか?」
「姉上が行方不明になられてからというもの、母上は正気もなくすかと思うほど泣いています。気が狂ったように嘆いているのを見かねた薫の大将の君が、本当によくして下さって、
『自分のような者まで気にかけて下さる大将の君の御心ざしが身にしみるほどありがたく、それゆえ何とか正気を保っています』
と母上はいつもおっしゃっています。けれどやはり姉上を思うあまり、母上はずいぶん呆けてしまって。元気でしっかりしていたあの母上はもういません。姉上が見つかったと教えていただいた時、すぐ母上にも知らせねばと思ったのですが、薫さまが、
『今しばらくは誰にもこのことを洩らさないように。他言無用だよ』
と何度も何度も念を押されたので…それで今まで黙っていた次第です」
小君は素直なもの言いで答えました。
「その薫さまのことです、私が聞きたいのは。
私が生きていることを何故お聞き及びになったのか。それが残念でなりません。一番知られたくない方だったのに。どうか『あれは別人でした』と申し上げてくれませんか」
それはできません、と小君が答えると、浮舟は、
「こんな情けないさまですが、何よりもまずお母さまに、私が生きていることを知らせたいのです。できることなら今一度お会いしたい。このお文をお母さまに渡していただけませんか」
そう言って、几帳のそばから手紙を取り出し、目の前に置きました。小君はその手紙をふところに丁寧に仕舞い、
「殿さまへのお返事はどうしたらいいですか。大将の君へのお返事がなくては、京のお屋敷には戻れません。本当に一行でもよいのです。姉上の自筆のお手紙をいただけたら帰れます」
と言いました。
「小君…何て情けないの。以前のおまえはそんな子じゃなかった。
血のつながった身内の願いより、主人のご機嫌の方が大事なの?ぶざまな姿をさらしてただ息をしているだけの哀れな姉のことを、『この世の人のようにはとても見えませんでした』とごまかしてやろうとは思わないの?みじめな姉を隠してやろうと思ってくれないの?
手紙なんか書きません。おまえも、私がここにいることを決して伝えないでちょうだい」
そう言って、浮舟はもう筆を取ろうとはしませんでした。
家族姉弟の絆より、主人すじの薫の命令が大事と考えている弟に、非難の言葉を投げつけてしまった浮舟と、目をそらして返事もできない小君。もともと無口な性質(たち)で、はきはきと自分の意見を言わない浮舟ですが、幼い頃からこの姉弟は他の弟妹たちよりひときわ仲良く育ちましたので、他人に言えない胸の内を小君にだけは素直に話せるのでした。


「すっかり遅くなりましたが、今夜は京に戻るのですか?」
「通いなれた山道も、夜ともなればたいそう心細いものですよ。今夜は泊まったほうが安心ではありませんか?」
姉弟水入らずの対面がひととおり終わったと思われるころ、庵主や尼僧たちが現れて小君に声をかけました。
「いえ、殿さまへのお返事をいただけたので、すぐに戻ります。月が出ていますから、『道たどたどし』にはならないと思います」
と小君は答え、いそいそと帰り支度を始めました。
「かわいらしいわねえ。大人ぶって万葉集の歌で切り返すなんて」
老尼僧たちは、年若い少年がうれしそうに返事するしぐさがあまりに可愛らしくて、「えらいわねえ」「よかったわね」「またいつでもここに立ち寄ってね」と取り囲むように話しかけました。
名残惜しそうにしている老尼たちに見送られつつ、小君は、薫の大将が用心のために付けてくれた腕利きの武士数名に守られて、暗い夜道を京へと帰ってゆきました。