2023-01-02から1日間の記事一覧
今日は内裏の物忌の明ける日。重臣である薫君は慣例どおりに参内し、帝に拝謁し、自邸に戻った後は、北の方である女君(女二の宮)のもとに参ります。邸の女主人は、萩の重ねに紫苑色の内袿をたいそう優美に着こなしてくつろいでいました。まるで秋の野に咲…
これからお聞かせすることは、かの光源氏の御曹司、薫大将と呼ばれる御方の『その後』のお話でございます。その後、と申しますのは、死んだと思われていた浮舟の消息を小野の里に聞いた後の、お二人の切れそうで切れない不思議な縁のお話なのでございます。…
中務優れた心ばえの紫の上はまた、痛ましい方でもあられたと思うわ。ご境遇を考えるとねぇ。実の父宮に顧みられず継母にも嫉妬され、源氏の君に心から愛されていたとはいえ、女性関係に悩み、正妻の地位も与えられず。心労で亡くなられるなんてねぇ。 少納言…
中務まずは『源氏物語』よ。今さらだけどほめる言葉しかでてこないわね。よくもまあ、こんな物語を作ってくれたものだと思うわ。神か仏が憑依したとしか思えないくらいね。『源氏』以前はあっても、『源氏』以後はなくなっちゃたと言っても言い過ぎじゃない…
老尼私の見聞きしたことなど、世間並みの事には及びませんけれども、16、7歳のころ、皇嘉門院(崇徳天皇の中宮聖子)さまの御母君であられる北の政所さまにお仕えしておりました。こう言うと、私の歳がどれほど見苦しいものであるかはおわかりいただけま…
もうアタシも83歳。考えてみれば、この歳までたいしたこと、なーんにも無かったわねえ。人間と生まれたからには一つくらい、ここ一番のハイライトってのがあってもよさそうなもんだけど、そんな思い出になるようなものもなく、トシとっちゃったから出家しち…
291段 行成の子孫行能が音楽堂の額を依頼された事 法深房(藤原孝時)は、管弦の道場として自分の持仏堂を開放し、そこには同好の士たちが絶えず出入りしていた。ある日、堂の名『阿釈妙楽音寺』を書いた額を作製するべく、建長3年(1251年)8月13日、三位入…
285段 尺牘の書疏は千里の面目なる事 手紙や書状の筆跡が上手な者は、千里の先までその名が称賛される。文字の達人は、永久不滅にその名が歴史に残ると言ってよい。あらゆる芸術の中で、『書』はとりわけ優れた芸道である。 286段 嵯峨天皇、弘法大師と手蹟…