鈴なり星

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小夜衣10・東雲の宮、意にそぐわない結婚への苦悩

 

 

婚礼も間近ということで、両家は準備で大忙しです。大宮は、
「今まで一度も先方へお手紙を差し上げていないなんて、どうしたことですか。早くお手紙を書きなさい」
と息子を催促するのですが、まったく気の乗らない宮は聞く耳をもちません。母宮の小言を聞き続けるうちに、早くも婚礼の儀の前日になってしまいました。
呆けたような有様で自室に閉じこもっている息子にイライラしているうち、とうとう婚礼の日がやってきてしまいました。




何だか立たせられているうちに、何やら自分のまわりを女房が動き回り、薫物の染みついた着慣れない衣裳を着せられ、母上の「さあさあ時間がないわ」と叫ぶ声がする…
もの思いで魂も抜け出しそうな東雲の宮は、茫然自失の状態で、突っ立ったままそう思っていました。
宮はヨロヨロと這うように両親の前に参上しました。泣きはらした目元の息子を見た大宮は、
「こんなにも嫌がっているのに、わたしたちは強引に押し通してしまったのだわ…」
と後悔しましたが今さら後には引けません。御前に控える女房たちも、
「意にそぐわぬ結婚は、上つ方の宿命とはいえ…」
「今からこんなでは、先が思いやられるわねえ」
「関白家のお姫様も、背の君が最初からこんなではねえ…」
としきりに同情しています。
その一方で、事の次第を憂鬱な思いで眺めている宰相の君は、ここで軽率に山里の方へ事実を伝えると、どれほどがっかりするかが目に見えるようでしたので、面倒なことを避けたい気持もあり、婚礼のことは山里の方には黙ったままです。
やがて、関白家の令息である三位中将や弁少将が、冷泉院の屋敷へ東雲の宮をお迎えに上がり、呆けたように立ちつくしている宮は、令息たちにさらわれるように車に乗せられて関白邸へ到着したのでした。
関白家の姫と先帝の子息の婚礼という、世の中の耳目を全て集めた慶事に、あまたの公卿や殿上人は関白家にすべて参集し、大げさに華やかにお祝いの言葉をのべます。関白家の大殿も東雲の宮が背の君とは願ったり叶ったりなので、なんとか気に入ってもらえるようにと室内の調度類も女房たちも最上を揃え、前例にないほどの念の入れようです。
肝心の二の姫はというと、もう少女という年齢ではなく、今が盛りの美しさに加え、奥ゆかしくなかなか教養もありそうな様子。たちまち心惹かれてもおかしくないのですが、東雲の宮は、山里でやるせない思いで過ごしている姫君のことが気になって仕方ないのです。さあどうぞと用意された恋愛よりも、障壁のある恋愛の方が、恋の炎も燃えさかるというもの。宮は新婚の枕を涙で濡らし、
「こんな姿を誰かに見られたら。いつまでもごまかしも効かないだろうしなあ…」
と寝ることもできず、短い夏の夜が明けるのも待たずにそそくさと帰ってしまったのでした。
新郎新婦を世話する女房たちは、心ここにあらずといった様子の宮に、ただただびっくりしています。




自邸に戻った宮は、自分の部屋に寝転がって、愛しくてならない山里の姫君のことを思い浮かべていました。やおら硯を用意させて手紙を書いている様子に、お付きの女房たちは、
「関白家へのお歌を熱心にお考えになっておられるようね」
「あちらの姫君を気に入られたのかもよ」
とささやきあっていましたが、その手紙は山里の姫君に宛てたものなのでした。


『心にも あらずへだつる 小夜衣 かさねし袖の かわくまぞなき
(逢えない事態は本意ではないのです。あなたとかさねた袖は、今は涙に濡れて、乾く間もありません)』


筆を持ったまま、宙を見つめる東雲の宮。水茎(みずぐき)の跡も鮮やかなその手紙を届けられた山里の家では、姫君が泣きじゃくりながら返事を書きました。


『小夜衣 移れば変わる ならひとて 憂き身にしらる 袖の涙を
(殿方の心移りが、愛を終わらせるものだと教わりました。それを今実感しています。袖を濡らしながら)』


珍しい直筆の返事に、姫君の切羽詰った嘆きがひしひしと伝わってくるようです。
「私の結婚を聞いたのかな。どれほど憎まれているだろう」
悲しくて、また折り返しの手紙を書きます。


『年ふとも 変わらじものを 小夜衣 ふかくもおもひ 染めし色をば
(私の衣は年を経ても変わらないはず。あなたを想う色に染めたのですから)』


大そう豪華なもてなしをいただき関白家から戻ったというのに、書く手紙は関白家の姫君宛てではなく、古びた山里に住む姫宛てばかり。女房たちも、
「いい加減にあきらめなさったらいいのにねえ」
「この期に及んでまだ未練があるのかしらね」
と憎らしそうに言い合っています。
山里からの返事は、


『ふかかりき 色とはいかが 頼むべき あさくも染めし 小夜の衣を
(色あせないなんて信じられるのでしょうか。私の衣は淡い色にしか染まっていませんのに)』
祖母君から教えられたであろう美しい文字で、素直な自分の心を表している歌を何度も見つめる東雲の宮。しかしいつまでもそうしてはいられません。一刻も早く関白家に後朝の手紙を出さなくてはならないのです。なのに、書く気も起きずに放っていると母宮が、
「まだお手紙を差し上げていないのですか!」
と怒りの口調で催促してきます。
仕方がないので特に深くも考えず、型にはまったような歌をさらさらと書き流しました。


『ほどもなく 明けぬる夜半の つらさをも 同じ心に 君はおもはじ
(あっという間に夜が明けましたね。短か夜のつらさ、あなたは私ほどじゃないでしょう?)』


関白家では、東雲の宮からの手紙を今か今かと待ちわびていたので、手紙が到着した時どれほど安堵したことでしょう。皆で手蹟の見事さをほめたたえ、さっそく姫君にお返事を促します。しかし姫は、
「あまりの御手の美しさに、気後れがします…」
と恥ずかしがっている様子。そこで母君が代筆し、


『身の憂さを おもひしらるる 暁は 鳥のねともに ねぞなかれぬる
(憂き身を知らされる暁は、一番鶏の声に合わせて私も泣いてしまいました)』


包み文にして、使者である蔵人佐に碌(ろく)とともに渡します。碌は、菖蒲かさねの一揃い、紅の五重衣に唐撫子の袿です。蔵人佐は作法どおりに被いて、晴れやかな様子で戻ってきました。
返事を読んだ東雲の宮は、老成した書きぶりに、「母親の代筆か」と多少不満でしたが、「まあ、本人の返事を見て幻滅するよりはマシか」と思い直すのでした。



これより、山里の姫君を「小夜衣の姫」とお呼びします。