鈴なり星

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僕が左遷された理由(わけ) その2

 

 

「だんなさま!大変でございます。頭中将さまが、血相変えてこちらに向かってきております。…ああっ来られました。先触れに中将さまが追いついてしまわれて」
女房がこけつまろびつ大あわてで俊賢に取り次いだ。
ここは源俊賢の屋敷。今夜は特に予定も入っていないので、俊賢はなじみの囲碁仲間と一局設けている最中である。
「何!?頭中将が!」
俊賢は身構えた。帝の近侍である頭中将が、それほど大急ぎで参議である自分のもとへ飛んでくる理由。宮中で何かとんでもない大事件が起きたのか。俊賢は背筋をのばす。
「一体何が起きたのでしょうか。検非違使庁には何も報告のようなものはなかったと思いますが」
そばで検非違使別当、藤原公任も不安そうにつぶやく。公任は俊賢の囲碁仲間で、二人は仲良く対局の真っ最中なのであった。
公任の言葉が終わるやいなや、パーンと勢いよく几帳が倒され、そこにはハァハァと息のあがった斉信が立っていた。
ぎょっとするような必死の面持ちである。あまりの真剣な顔に俊賢と公任は身構える。
帝になにか大事が?あらゆる不吉な事態が頭をよぎった。


「俊賢殿!わたしを左遷してください!!!」


は?今なんて?あんなに緊張しまくった頭の中を、ひよこが歩き出した俊賢。隣の公任も口をパクパク死にかけの金魚のようにあえがせている。
左遷。させん。サセンという言葉は俊賢の頭の中の辞書には、
『左遷=低い官職に下げること ←→ 栄転』
というような単語しかないが。その『させん』のことを斉信は言っているのか?あまりの唐突な発言に二人ともついていけない。
「…おまえ、何かした…のか?」
態勢を立て直すのが、俊賢より若干はやかった公任が、かすれ声で斉信に尋ねた。彼は斉信のひとつ年上。家柄も似通っており、気の合う友人なのだ。
斉信が何か言うより早く、俊賢が立ち直った。
「血相変えて飛んできたというから、何事が起こったかと思えば…この、この痴れ者が!寝言は寝て言え!」
緊張しきっていただけに、この落差は大きい。顔を真っ赤にして怒りまくっている。
斉信は心の中でほくそ笑んだ。
うん、うん。想定したのと全く同じ反応だな。
何も言わずに左遷させろなどと言っても、却下されるだけだ。ふふん、公任も同席してる。飛んで火に入る夏の虫とは公任、おまえのことだよ。検非違使別当殿が同伴なんて、わたしはツイてるなぁ。今この計画を実行することは正しいと、神仏に背中を押されているってことだな。おっしゃ。
「わたしは、わたしは減階して欲しいだけなのです。
いざ俊賢殿、お覚悟あれ―ッ」←(無双キャラ風)


言うが早いかか斉信は左足を浮かせ、一本足打法で俊賢の烏帽子を笏で打った。あわれ俊賢の烏帽子は、囲碁の盤上に落ちて、盤面の碁石がバラバラと床に散らばってしまった。
帝から拝領した笏で、他人の烏帽子を叩き落とす。
礼儀にうるさい公家社会でこれほどの非礼があろうか。
以前、行成のカンムリを、歌人の藤原実方が池に放り投げたことがあった。その時に帝が御不快を示され、彼は遠く陸奥の国へ飛ばされてしまったのだ。
『母上、ご覧下さい。今日、市で家司にももいろのひよこを買ってもらったんですよ。ホラ、こんなにたくさんヨチヨチと。かわいいでしょう。でも不思議だな、数えていると、なんだか眠たくなって…』
烏帽子を思いっきり打ち飛ばされた俊賢は、亡き母の幻を見ながらアワを吹いて倒れてしまった。元結でかたく巻かれた髷(まげ)が、衆人環視の中で恥ずかしそうに黒光りしている。騒ぎを聞きつけた屋敷中の家来や女房たちが大あわてで人事不省に陥った主人を介抱する。
これなら絶対うまくいく!
「さあ夏の虫、もとい、検非違使別当殿。現行犯だ。つかまえておくれ。参議殿に言われのない侮辱を与えてしまった。逮捕してくれ、疾(と)く!」
公任は、斉信の信じられない狂態を目の前にして、冷静さを保つのに必死だ。自分が聞き間違えたのではなければ、『減官してほしい』などとほざいていたようだ。それでこの狼藉か?理由がさっぱりわからない。しかし、俊賢殿の屋敷の大多数の人間がここにいる以上、隠すことはもうできない。
仕方がない。自分は別当だ。規定の任務は遂行せねば。
「減官させろ、とかいったな斉信。本当にいいのだな。皆が見ているからどうしようもない。内裏にこのまま通報するぞ」
「ああ、たのむよ。望んでいることだ。疾く疾く」
「よし、では引導渡したるわ!
参議殿への狼藉発覚。検非違使の佐(すけ)をただちにここへ。右衛門督に委細を宮中へ伝えるよう。頭中将は自邸へ牢籠。宣命がおりるまでそのまま籠(こ)め置きよ!」