鈴なり星

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プレッシャー その2

 

 

夜になった。猟官合戦でふるい落とされた者たちがいなくなり、殿上の間はようやく落ち着きを取り戻した。上達部たちとのあいさつも一通り済んだ斉信はようやくひといきついた。あとは新蔵人頭と対面して、後宮の女御さまやら女房方に挨拶回りして…と考えていた時、渡殿の方から俊賢が殿上の間に入ってきた。若い男が一人、その後ろに控えるようについてきている。
「斉信殿。遅くなって申し訳ない。あちこちに挨拶してまわっておると、ずいぶん時間がかかるものだな。これからは後宮にもそうそう来れなくなるゆえ、自然とあいさつにも熱がこもってしまい、いやはや」
斉信は居住まいを正し、参議に昇任した俊賢卿に心をこめてお祝いの挨拶を述べた。
斉信より五つ年上の元・仕事仲間。左大臣源高明の三男として将来を約束された身であるはずだったが、ずいぶん苦労なされた方だ、しかしそのおかげか、清濁あわせもつ職務ぶりはほんとうに勉強になったよなぁ…と斉信は思った。
「斉信殿。こちらが新蔵人頭、行成殿だ。故義懐殿の甥に当たられる。行成殿、斉信殿は何事も心得ておられるから、安心してください」
と俊賢が紹介する。
ともかく行成殿にも挨拶だ。斉信は居住まいを正した。
「待ちかねましたよ、行成殿。斉信です。よろしくお願いいたします」
「わたくしのつたないお願いをお聞き下さいまして、まことにありがとうございます。一向に世間を知らぬふつつか者ですから、これからは何かにつけて中将殿の足手まといになることが多いと思いますが、遠慮なく教えてくださり、この行成を一人前にしていただきとう存じます」
おだやかだが、存外強い声だ。
「謙遜するな行成殿。斉信殿、この行成殿は精励という言葉を絵に描いたような男でな、自分を売り込む、という言葉を知らないような勤務ぶりで、ただただ己の職務に忠実に励んでおったところを、私が後任をお願いしたのだ。無理をきいてもらって感謝している。行成殿は、見た目はこのようにひかえめに見えるが、何、外見にだまされてはいけないぞ。剛直な仕事ぶりにすぐ驚かされるようになる」
俊賢殿が笑顔で言う。


小半時ほど、三人で自己紹介がてら談笑した。その間斉信は、行成を見るということもなく観察していた。ずいぶんおとなしそうな男だ。確かに、『猟官』とは縁が遠そうだな。後ろ盾がない分ずっと地味な生活だっただろう。しかし、蔵人頭を兼任するのならば、これからは正式な職のほうも、ぐんぐん昇っていくに違いない。ひかえめな話し方だが、頭の回転は悪くはなさそうだ。だって、あの俊賢殿の後任なのだから。並みの男では器量不足だ。
以外に好感のもてる新蔵人頭に、斉信はホッとする。


やがて、俊賢が立ち上がった。
「では、これで引継ぎを終了しよう。斉信殿、ここにくる前に、行成殿にはほぼ仕事内容をレクチャーしたのだが、もっとも大事な場所にまだ連れていってはおらんのだ。そなたに案内してもらおうと思ってな」
「と、いいますと…」
「後宮だ。女房たちにまだ紹介してはおらん。引継ぎの挨拶は私一人で行った」
「!それを私にせよと…」
「ああ。きっと待ちかねておるぞ。新蔵人頭とのコンビをな」
斉信は狼狽した。前任後任一緒に後宮に行って、とっくに挨拶したものと思っていたからだ。新蔵人頭の人柄を値踏みしようと、鵜の目鷹の目で待ってるに違いない。女房たちの興味津々の視線や口攻撃から、後宮初体験の行成殿を守ってやらねば。きっと女性不信に陥って彼は泣きながら後宮を飛び出して行ってしまうだろう。自分だって、動揺せずに笑顔であしらえるようになるまで何か月もかかったんだ。
斉信はハラをくくった。いつのまにか左脇に差していた飾り太刀のつばを握り締めていたようで、俊賢はそんな斎信の様子を見て、ニコニコと笑っている。
「いやはや、そなたのあせった顔を、これからはそんなに見られないからな。その口をへの字に結んだ顔、次に後宮に行ったときの、話の肴になるな」
あっはっはと景気よく笑いながら、俊賢は殿上の間を出て行った。