鈴なり星

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狭衣物語1・美しい従妹姫への長年の恋心

 


『ともし火を背けては、ともに憐れむ深夜の月。
   花を踏んでは同じく惜しむ、少年の春』

過ぎ行く春は留まらないもので、もう三月の二十日過ぎになってしまった。狭衣中将の邸の庭の木立も、どことなくのどかに青みがかってきた。
池の中島で咲き誇る藤の花は、春の終わりから初夏の季節を迎え、山からやってくる時鳥を待っている様子。そして池のほとりの山吹は、今が盛りに咲き誇っている。

…光源氏が朧月夜の君のために折った藤の一枝も、こんなに見事であっただろうか。

狭衣はいつまでも飽きずに見続けていたが、やがて、側仕えの小君に、藤と山吹を一枝ずつ折らせ、対の屋に住んでいる従妹の源氏の宮の方へお渡りになった。
源氏の宮の御前には、中納言、中将などの女房が侍っていて、つくり絵などをしていた。宮は脇息に肘をついて寄りかかり、女房達の様子をながめている。

「この藤の花が夕焼けに照り映えているのは、たいそう見事ですね。東宮も、『盛りの時には必ず見せよ』とおっしゃっておられましたが、今すぐお見せするわけにもいかず、さて、なんとかして御覧に入れたいものですね」
と狭衣は、先ほど手折った藤の枝と山吹の枝を源氏の宮に差し上げる。源氏の宮は脇息から体を起こし、それらの花枝をながめた。
藤の枝を見ている源氏の宮の目元やふっくらした頬。狭衣は、花々の美しさにずっと勝っている源氏の宮の美貌を見るにつけ、たまらなくせつない想いに駆られる。花枝を持つ宮の小さな桜色の手が愛らしく、狭衣は、思わずその手を自分の方へ引きつけて抱き寄せてしまいたい想いを抑える。


源氏の宮のいる対の屋から自室に戻った狭衣は、母屋の柱に寄りかかって座っていたが、心の中は源氏の宮への想いでいっぱいだった。
なに、いつものことだ。
しかしどれだけ恋心をつのらせようとも、その想いを彼女に伝えることはできないのである。



堀川大殿と申し上げる大臣は、おそれおおくも今上および一条院と呼ばれる上皇と御兄弟である。
御母君も皇族の筋で、父母のどちらの方面からいっても尊い御血筋で、並みの大臣と申し上げるのも恐れ多いけれど、大殿は、前世で何の罪を犯されたのか、現世ではただ人となられた。まだ今上や大殿が若かった時亡くなられた故院が、当時の帝(現上皇)にご遺言として、若かりし大殿を臣下に降ろすよう伝えたのだった。

その後、大殿は二条堀川の辺りに大邸宅をかまえ、四つに区切り、贅を尽くして飾られたそれぞれの御殿に北の方を三人お住まわせになった。
堀川寄りの南北二町分という広大なお邸には、故院の御妹であられる前斎宮の御方が住んでいる。洞院と呼ばれる北東の一町には、太政大臣の御女であり上皇の后の御妹でもあり東宮の御叔母でもある洞院上が住んでいる。そして、坊門と呼ばれる東南の一町には、式部卿の宮の御女が坊院上として住み、みなそれぞれ美しく平和に住みこなして栄えていた。
坊門上は、三人の中では身分がそれほどすぐれてはいないので気の毒なはずであるが、女の子を一人生み、大切に育てて、今では入内して中宮としてたいそうときめいている。中宮は、今上の一の宮をお生み申し上げ、坊門でお育てしているので、東南の一角はかぎりなくめでたいご様子であった。

三人の北の方は、それぞれの町を仕切る築地壁を隔てて住み、堀川大殿はそれぞれに通っている。
こうした三人の中でも、大殿は、気立てもよく容貌も美しい前斎宮の御方をことのほか愛された。
この前斎宮の御方を堀川上と申し上げる。
やがて大殿と堀川上の間に男の子が生まれた。
それがこの物語の主人公、狭衣の君である。
そして先に出た源氏の宮というのは、故院をまだ今上と申し上げていた頃に、院が某中納言の女に生ませた姫宮である。
父院は、人生の終わりにたぐいなく美しい宝物を手にいれたことよ、と思われたが、まもなく姫宮が三つの時、父院も母御息所も相次いで亡くなり、幼い姫宮は気の毒な身の上になってしまった。
狭衣の母である堀川上がこの姫宮をたいそうかわいがっていたので、すぐにお引取りになり、実の子の狭衣と同じ心で愛し、わけへだてなく大切に慈しんだ。
幼い狭衣と源氏の宮は、御簾も几帳も取り払われた中で仲良く育った。
堀川大殿も、故院からお預かりした御子だけに、実の娘の中宮より心をこめて、特別な配慮を加えてお世話していた。