鈴なり星

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狭衣物語2・狭衣の君、光源氏の再来ともてはやされて

 


狭衣十八歳。今は二位の中将である。
普通の若公達はこれくらいの年頃には中納言にもなるようだが。この狭衣の中将、光源氏もかくやと思われる位、万事にすぐれ過ぎており、かえって禍のもとになるかと両親はひどく心配している。和歌に音楽に手蹟に、類まれなる才を持ち、容貌はいうまでもない。
両親は、二位の位階さえ、まだまだ早過ぎると、幼い子供を見るような気持ちで不安がっている。才能あふれすぎる狭衣が、普通の殿上人のように宮中勤務するのが気の毒との、今上のご配慮で二位になったのだが。
狭衣の母君などは、「わが子ながら狭衣は、天人の生まれ変わりで、この世にかりそめにとどまっているだけなのではないだろうか」と心配し、狭衣の一挙一動をいちいち気にして、心休まる暇はなさそうである。雨風の強い日も、月影さやかな夜も、「狭衣に天からの迎えがあるのでは」と母君は不安なこときわまりない。狭衣自身も、幼い頃から両親にこのようにいつも心配されて育ったため、
「いつもうつうつと心重くつらく思うこの身は、いずれ天上からの迎えがあるからなのか」
と、たえず悩ましい気分だ。
世間の人も、狭衣のことは普通の人とは思っていず、「狭衣こそ、末法の世に現れた仏の化身ではなかろうか」と手をすり合わせ涙を流すほどだ。
狭衣に会う人は誰でも、わが身の心配も悩みもすっかり消えてゆく心地がする。父大殿も母堀川上も、たとえ狭衣がけしからぬ事や過ちを犯したとしても、自分たちの諌める言葉が狭衣をほんの少しでも傷つけ不愉快に思われるのが恐ろしく、決して逆らうような事はしない。
光り輝く御かたち。心ばえや学問は、高麗・唐土にも類なしと、人々はもてはやす。道風や行成の筆跡と比べてみても、狭衣の手蹟は今の時代の好みに合うのだろうか、古の名筆家より勝っているとの評判だ。
また琴・笛の音につけても雲居に響き澄み渡り、鬼神も涙するというほどの才能をしめし、「不吉なほどでは」と両親を心配させる。狭衣も心得たもので、それほどの才能を持ってはいても、父母になるべく心配かけないようにと、万事につけて無風流で無趣味な様子で過ごしている。漢詩を朗詠し、催馬楽を詠い、法華経を読むさまは、すばらしく魅力的でなつかしいご様子であり、人々はそんな狭衣を見ると、身の憂いも忘れ、命が延びる心地がするのである。
このように何ごとにもめでたい有様の狭衣ではあるが、父大殿や母堀川上は、愛息子の身の上がひどく気がかりで危ういものとしていつも心配していた。



狭衣は、世間の男によくあるような軽薄な心は持ってはいなかった。
それどころか、普通の男に比べ、女に対して興味がない様子で、そんなつれない態度がかえって女たちの気持ちを煽らせた。狭衣がごく稀に一行も書き損じた筆跡を、宝物のように大切にする女たちも多く、狭衣がでまかせに、もののついでに言われた一言も、女たちのほうは味わい深くひどくうれしいと思い、ましてや狭衣と一晩共に過ごした女などは、暁の別れに身も心も消え入るような思いをし、袖口を涙で濡らす。


そうした女たちと一晩を明かしても、誰一人源氏の宮のかわりになろうはずもなく、いよいよつまらなさがつのって行くようであったが、狭衣は、身分の高い方々に関しては、おだやかに情愛こめて丁寧に扱われ、季節折々のお文なども心を尽くし、どなたのところにも平等に訪れる様子は、まるで蜻蛉が飛び回るようである。女の方は稲淵の滝のように想いがつのるが、女の恋心がつのればつのるほど、狭衣の方は冷めていく。



幼い頃からたいそうかわいらしかった源氏の宮ではあったが、十五になる頃には、すばらしい美貌の持ち主に成長していた。
狭衣も、源氏の宮の幼い頃からそれこそ本当に几帳も取り払った中で一緒に育ち、幼い姫とはまあこんなにかわいいものよ、と思う毎日であったが、この頃は、その人柄と美貌に触れる度、この源氏の宮のような御方と結婚したい、結婚できないならば生きてる甲斐もない、と深く思い込んでいる。その想いがあって、他の女性にはどうしても本気になれないのであった。しかし、いかに本気になれないとはいえ、
(一度くらいは垣間見たいものだ、ああこんな時、『隠れ蓑』という物語のような蓑があれば、どんな高貴な姫君でもこっそり見ることができるのに)
と、けしからぬ想いを抱いている。しかし、たまにそのような高貴な姫君への手引きが叶い逢ってみると、やはり源氏の宮の方がずっとずっと魅力的だ、と、あらためて源氏の宮を恋しく思う狭衣であった。



切なくつのる恋心を表に出す事も出来ずに、うつうつとした毎日を送る狭衣中将の様子を両親が御覧になって、「沈みがちな、いつものお癖ですこと」とますます心配する。


それからしばらくして、そんな美貌の源氏の宮を、東宮がご所望になられるという噂が立った。
本朝第一の麗人と噂される源氏の宮を、いずれ東宮が入内をお望みになられるのは、誰もが予想していたことであった。今上も、ご自分の血縁関係にあたられるこの源氏の宮を、「よくも今までよそよそしく、お世話もしなかったことよ」と気がかりに思し召され、かといって軽々しく対面することもかなわぬ身であったので、この縁談を大層喜んでおられる。
一方、育ての親である堀川大殿は、「まだ早い。もう少しお年頃になってから、お目にかけたいものだ」とは思っているものの、どうしたものかと、心に決めかねているようだ。
そんな事情もあって、狭衣は、いくら源氏の宮と親しくお話しようとも、恋心を打ち明けるそぶりさえ許されないのであった。