鈴なり星

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山路の露6・心中複雑な小君が選択したのは…

 



少し不機嫌な薫の問いかけに、小君は困ってしまいました。
「別人だったとごまかしておくれ」とつらそうな顔で必死で頼んでいた姉上のことを考えると、真実を報告するのがためらわれます。かといって、自分たち姉弟ごときがごまかしたところで、いずれ事情は分かってしまうことでしょう。
結局小君は、大将の君のご命令に背かないようにするのが一番だと考えました。何より、大将の君の信頼を失いたくありませんでしたので、小君はためらいながらも小野の庵での出来事をそのまま正直に報告しました。
浮舟の近況に関しては、横川僧都の話と小君の話は一致していました。ですが、思いもよらぬ浮舟の本心を小君から聞き、薫は、
「別人だったとごまかして欲しい、か。彼女がそんなことを考えていたとは」
と驚きました。
「尼の姿になってしまわれて…あのお綺麗だった姉上が、と悲しくなるくらい、すっかり面変わりなさっておいでです」
「おまえがそんなにしょげかえるほど、見苦しい様子になっておられたのかい?」
「以前の姉上とはまるで別人のようです…」
そう答える小君の目には涙があふれていました。こぼれそうになるのをうつむいて誤魔化すしぐさは、思わず微笑みたくなるようないじらしさです。
「ところで、母上にと託された手紙は、今持っているか?お返事がいただけなかったのだから、せめてその手紙は私に見せなさい」
小君は素直に手紙を取り出し、薫に渡しました。
落飾した者にふさわしく、青鈍の紙がつつましく巻かれています。地味で目立たない、とても簡素な手紙です。けれど、これが欲しくて欲しくてたまらなかった浮舟の手紙。たとえ、自分宛てでないにせよ、彼女の手蹟が、気持ちが書かれているのです。
いくら彼女の手紙が見たいからといって、他人宛てのものまで盗み見するなんて、我ながら情けないな…薫はけしからぬ行為に苦笑しつつ、手紙に目を通しました。

いとひつつ捨てし命の消えやらでふたたび同じ憂き世にぞふる
(こんな命、と思って捨てたのに死ねもせず、同じ憂き世をおめおめと生きています)

まよはせし心の闇を思ふにもまことの道は今ぞうれしき
(心の闇に迷っていた人生を思うにつけても、今、仏の道を歩めることがうれしいのです)

なつかしい手蹟。きっと一生懸命考えながら書いたのでしょう、墨付きも途切れがち、思い乱れながらの心の跡がはっきり見て取れます。
悲しみや喜び、さまざまな思いがこみ上げてくる薫の頬には、耐えに耐えていた涙がいちどに流れるのでした。



ほのぼのと明け行く東の空の光を受け、静かにたたずむ薫君。落ち着いて思索的な風貌は神がかった美しさで、独特な気品に満ちたこの主人を「なんてすばらしい御方なんだろう」と、小君はあこがれのまなざしで見つめていました。
薫さまがこんなに想ってくださるのに、姉上はどうして嫌がっているのかな、尼になんかならなくてもよかったのに、と残念に思いながら控えています。
「少し考えがあるから、この手紙を母上に渡すのは2、3日してからにしなさい。それまで私が預かろう」
薫はそう言って、手紙をふところに隠してしまいました。

もう待てない。逢う。今夜必ず逢いに行く。こんな人づてじゃなく、他人宛ての手紙じゃなく、浮舟自身と話したい。少しでいい、彼女の胸の内を知りたいのだ。

薫は、日が経てば経つほど、悲しさも恋しさもいや増す我が身に耐えられくなっていたのです。
「大事な手紙を横取りするなんて、とおまえは怒るだろうけど、誤解しないでおくれ。
今夜、小野を訪ねようと思っているんだよ。軽々しい夜歩きと思われようともかまわない。おまえもその心づもりで、今日の夕方もう一度来るように」
薫は小君に凛とした声で命じました。
小君は複雑でした。薫の君からの信頼を守った代わりに、姉上からの信頼を失うこととなったのです。
「人違いでしたと言っておくれ」と泣きながら頼まれたのに、お味方できなかった申しわけなさ。しかも母上宛ての手紙は取り上げられて。その上、今度はあんなに嫌がっている薫君が、小君を同行させて小野の庵に出向くというのです。どれほど恨まれることでしょう。
ぼく、とてもじゃないけど姉上に顔なんて合わせられないな…薫の言葉をうけたまわりつつ、小君は心の中でそうつぶやくのでした。