鈴なり星

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小夜衣38・民部少輔、恋心をつのらせる

 

 

さて、対の御方(山里の姫)の周囲の人たちが心痛めて心配している間にも、御方を軟禁している民部少輔は恋心を悶々と募らせています。
一言でもよいから恋心を訴えたいのですが、何と言っても相手は後宮女房。そう簡単に気持ちを打ち明けられるような女人ではありません。
「ううむ。問題は我が妻だ。何とかして追い出してしまいたいが、下手に出ると大納言家に駆けこんで『お探しの姫君がいらっしゃいます!』と告げ口されてしまう。それだけはまずい」
こんなことばかりを考えて過ごしているので、いつもぼーっとしています。妻は、そんな夫の内心が手に取るようにわかっているのでとても不愉快なのですが、表面上は知らんふりを装っています。
ところで、この民部少輔には五歳くらいの男の子がいました。民部少輔と先妻との間の子で、閉じ込められている姫の心を少しでも慰めようと、朝夕の食事の膳を時々運ばせている子です。
ある日民部少輔はその子を呼んで、
「この手紙をあのお姫さまに渡しておくれ。お母さんには内緒だぞ」
と言いつけました。子供は素直に結び文を対の御方のもとへ持って参りました。
子供から結び文を受け取った対の御方が手紙を広げてみると、
「おもひあまり今書き流す水茎の流れあふ瀬の契りともがな

想いがつのるあまり、こうして書き流しております。この水茎の筆の先で、契る機会があれば…と。
あなたさまを想う心に堪えきれず、ぬけぬけと手紙を差し上げたことをお許しください」
なんともぎこちなげな手蹟の手紙に、
「何が言いたいのかしら。気味悪いわ」
そう言って対の御方は手紙を遠くへ押しやってしまいました。
侍従の君が手紙を拾い上げて見、内容にびっくりして、
「まあ。これは誰が書いた手紙なの?姫さまに差し上げなさいと言ったのは誰?」
と男の子に訊ねました。男の子はもじもじして、
「お父さんが『お母さんには内緒で持って行け』って」
と返事しました。あきれかえる女房たち。対の御方は、
「生き永らえているばかりに、こんな情けない目に…」
と突っ伏してしまいました。
「残念ながらここの姫さま宛ての手紙ではないようね。
持ってお帰りなさい」
「でもお父さんが」
「早く持って帰りなさいと言っているでしょ」
女房にぴしゃりと断られ、男の子はうなだれて帰りました。


せっかく書いた手紙を突っ返され、民部少輔はイライラしています。
「わずかな時間でもいいから妻が出かけてくれれば、こっそりあのお姫さまに会うことができるのにな。それでもし妻がカンづいたら、即刻お姫さまを逃がそうか」
妻が家を留守にして、首尾よくお姫さまに会えて、なおかつ妻がそのことに気付かない…そんなうまい計画ができるだろうか、民部少輔はそればかり考えています。
「たとへばや 君が心は 池水に おもひ入るより 袖の濡るれば

(姫さまの心は池の水のよう。姫さまのことを思い浮かべるだけで、袖が濡れてしまうから)

ああ、妻をあの部屋に閉じ込めて、かわりにあの部屋から姫さまをこちらへ連れてきて、思う存分お世話申し上げてみたい。
しかしなあ、一緒にいる女房たちが何をしでかすかわからないし、逃げられても困る」
恋に浮かれた男の妄想は果てしなく続くのでした。