鈴なり星

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山路の露5・真夜中の火事騒ぎと小君の困惑

 


主人の薫に急いで戻るよう命じられていたのに、深夜になって屋敷に到着した小君一行。
門は固く閉ざされ、誰も起きている気配がありません。
姉上の事は明日参上してお話しよう、今夜はもう帰ろう…疲れていた小君は、家に帰って早く休みたいと思いましたが、薫に「昨夜はいくら待っても戻って来ずに、どこに言っていたのだ」と機嫌の悪い声で問い詰められるのもイヤでしたし、こんな夜中に家に帰って母上に「まあまあこんな遅くまでいったい何のご用事を言いつかっていたの」と根掘り葉掘り心配されるのもイヤでした。そもそも本当のことは言えないし、あれこれ聞かれても何て答えていいのかわからない…真っ暗な門の前で、小君はとても困ってしまいました。
「とにかく、薫さまにまずご報告申し上げて判断していただこう。それから母上に姉上のことを話そう。ぼくが勝手なことしちゃいけない。でも、みんな寝ているのに、門をたたいてわざわざ開けてもらうのも悪いなあ。どうしよう」
小君がしばらくあれこれ思いあぐねていると、それほど遠くでもないところで大勢の人たちのあわてふためいている声が聞こえてきました。怒声やら何やら、明らかにただ事ではない様子にびっくりして騒ぎの方向を眺めると、屋根の向こうに炎が見えます。
空気もきな臭くなり、煙が辺りに立ち込め始めました。どうやら薫の屋敷のある町のすぐ近くで出火しているようです。何と恐ろしいことでしょう。風向きによっては、薫の屋敷も炎に包まれてしまうかもしれません。けれど屋敷は静まりかえっていて、まだ誰も火事に気づいてない様子。これはぐずぐずしていられません、小君と守護の武士たちは門をドンドンと力いっぱい叩きました。その荒々しい音に屋敷の宿直の者たちはようやく目を覚まし、すぐ近くの燃えさかる炎に家中が大騒ぎになりました。
「ああ、よかった!どうして今夜に限ってこんな厳重に門を閉めていたんですか!」
小君たちが門番にそう叫ぶと、
「今日が殿(薫)の物忌みだったのをすっかり忘れておられて、あわてて閉めて回ったんだよ!なんだこの火事は!せっかく物忌みでこもった甲斐がないじゃないか!」
と門番の男が怒鳴ります。凶日を避けるために家にこもって精進していたのに火災がすぐ近くで起きているなんて。何としてでも類焼は免れなければなりません。侍所にいる男たちも迫りつつある火の手に混乱しています。
「こりゃあとんでもないことになりそうだぞ」
「皆を起こせ、早く集まるんだ!」
大騒ぎしていると、御殿に火事近し!の一報を聞きつけた知人の家来たちが馬で駆けつけ、火の粉と煙と大勢の野次馬と共に、辺りはもう大混乱になってしまいました。
火勢はますます激しく大きくなり、皆はいったいどうなることかと固唾を飲んで炎を見守っていましたが、ふいに風向きが変わり、風下だった薫の屋敷に向かって広がりつつあった火の手が止まりました。
このまま火の勢いが収まってくれれば…皆の祈りが通じたのでしょうか、どうやら火事の炎は薫の御殿を避けてくれそうです。
「奇跡だ」「神仏の加護だ」と集まった人々はたいそう驚きながら帰っていきました。



火事の恐ろしさを目の当たりにした一夜がようやく明けようとしています。薫の屋敷は類焼を免れ、何とか騒ぎも収まりました。地上での混乱などまるで知らぬふうに、いつもと変わりのない明け方の空の美しい色彩の変化が、渡殿に立つ薫の頭上に広がっています。
落ち着いたところで、薫は小君を呼びました。
「昨夜は小君に待ちぼうけをくらってしまったよ。いつの間に戻ってきたのかな」
「遅くなって申しわけありません。夜中の火事騒ぎの時に戻りましたので、参上しようかどうしようか迷っていました」
「それで、どうだったかい?――またいつもと同じの、不愉快な返事なのだろう?」
薫の問いかけに、小君はとても困ってしまいました。