鈴なり星

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狭衣物語41・恋しい人の移り香する猫が羨ましくて…

 

 

話は一品宮に戻る。
常磐の尼君の娘が、故飛鳥井女君の子に付き添って、一条院に上がり女房となった。その娘は一条院では小宰相の君と呼ばれている。狭衣は、亡き飛鳥井女君を懐かしがりたい時や子どもの事が話したくてたまらない時、他の女房には目もくれず、小宰相に会ってはくつろいで話して行くのだった。そんな二人に、顔をしかめてささやきあう女房たち。一品宮も、
「女人であれば誰でも良いようですわね、あの方は」
と不快な気持を隠そうともしない。けれどこんな嫉妬をする自分がとてもみじめで、一日も早く出家して下劣な物思いと縁を切ってしまいたいものよ、と明け暮れの勤行に身を入れ始めるのだった。
狭衣が来ても、宮は部屋に出向くこともなくなり、彼はこの院ではすっかり孤立し、独り寝の身となってしまった。
一条院にも堀川邸にも居たくない時の隠れ場所にしていた一條の宮も、若宮が堀川に移ってしまった今となってはそれほど行きたいとは思わない。若宮の居る堀川邸に居たくても、それでは一品宮の降嫁を許した帝に顔が立たない。
「そなた、ぐずぐずと自分の部屋に引きこもってばかりで、一条院へはどうしたのだ。今上に申しわけないとは思わぬのか」
と父大殿にもせっつかれる。
「私の居場所など、この世にないというのに…父君は私に、この世に居るなと言わんばかりのようだな」

狭衣はとうとう源氏の宮のいる斎院へと逃げ込んでしまった。


例年より雪やあられが多く晴れ間の少ない冬景色は、斎院という場所柄、さらに心細く感じさせる。参上した狭衣は斎院(源氏の宮)に対面した。小さな几帳の向こうに菊の模様を浮き織りにした蘇芳がさねの衣装を着た斎院が座っている。豊かな髪が肩を流れて衣装の裾にたまりこんでいる具合がことさらすばらしい。
斎院が衣装にたきしめた薫りがあたりに満ちる中、ああこのような方をさしおいて一品宮などという何もかも劣った人と結婚してしまったことよ、と狭衣はすっかり卑屈になってしまっていた。
斎院の懐で寝入っていた猫が、目を覚まして隔ての几帳をめくって出ていく。その一瞬に狭衣と斎院の目と目が合う。狭衣は少し赤くなりながら、首をかしげた。斎院はその様子を見ながら、相変わらず光るようなお美しさであること、とうっとりする。一方の狭衣はといえば、源氏の宮が斎院になった日からの自分の情けない日々を痛感していた。自業自得であるには違いないが八方ふさがりなのだから。
狭衣は斎院の元から出てきた猫をとらえて引き寄せると、斎院の移り香がして思わず猫を抱きしめた。そのまま狭衣の懐に入ろうとする猫のしぐさがたいそう可愛らしい。一品宮との冷たすぎる結婚生活より、猫と暮らす方がどれほどましだろうか…そう思った狭衣は、
「この猫をしばらくの間私がお預かりしてもよろしいですか」
と聞いてみた。斎院のそばに控えていた宣旨の君が、
「ま、ご冗談を。女人より猫をお求めになるなんて。一品宮さまを誠実に待遇しておられると聞いておりますよ。猫など引き取られると宮さまが気詰まりに思われるのではございませんか」
と笑う。
「とんでもない。私と宮の仲は、岩間をすり抜ける水さえも洩れることが出来ないほどの親密な間柄ですとも」
これほど白々しいウソもあったものではないが、狭衣はそう返答する。女房たちに自分の本当の懸想人を知られてはならないのだ。

『かつ見るはあるはあるともあらぬ身を人の人とや思ひなすらん
(本当に恋しい人とは夫婦になっていないのは、生きていないのと同じだ。なのにあなたはそんなことをちっともご存知ないのですね)』

そんな歌を書き散らした紙を、猫の首に結びつけ、
「さ、寝てばかりいないで、主のもとにお帰り」
と言うと、猫は人間の言葉がわかるかのようにしなやかに斎院の御簾のうちに入ってしまう。
好きなだけ斎院と睦まじく出来る猫でさえ、今の狭衣には羨ましくて羨ましくてしかたがなかった。