鈴なり星

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第9段 杜若&旅の僧&都鳥にムカ男の消息を聞く

 

 

杜若の精の話
ええ、他のお供の公達が目に入らぬくらいの、それは凛々しい貴公子だったわ。女心をわしづかみにする風情ってああいう容貌のことを言うのかしら。
ここ美しい景色でしょ。見渡す限りの湿地が私たちの棲む場所。この静けさの中、風に身を任せて揺れているのが好きよ。
あなたが訊ねている貴公子はね、そこの橋のたもとに座って私たちを眺めていたわ。そうね、どう見ても楽しい楽しい物見遊山なんて雰囲気じゃなかったわねえ。
「身をえうなきもの」に「思ひなして」ですって。お気の毒にね。生きてて何が一番悲しいかって、
『自分は誰からも必要とされてないのかも…』
そう感じる瞬間よ。あの方、どうしてそんなつらく寂しい心を抱くようになっちゃったの?世間でいろいろ取り沙汰されたからなの?そんなはっきりしたことじゃないんでしょ?結局、真実は本人しかわからないのにね。みんなホントに勝手よねえ。
でもね、傷ついた心を抱いての旅と言ったら聞こえはいいけど、実際、都の人が旅するとなったら、かなり苦労するんじゃないの?徒歩か馬か知らないけど、ちゃんとその日の食事が確保できるかとか、日が暮れないうちに宿のある所へたどり着けるかとか、途中で盗賊や追い剥ぎとかにも遭ったりするし、土砂降りになった時の避難場所とか、そんな心配の連続らしいわよ?旅するのって。ここにやって来る人間がみんなそんな事を口にしてる。
都から、ぶらり傷心旅行してみたはいいけれど、実際旅してみると、野宿を強いられるわ食事もろくにできないわで、そうとう疲れてたんじゃないかしら。
へーあの方ここを出た後、もっと遠くへ旅立ったのね。あんな少ない人数で。よほどの覚悟と根性がないと、なかなかできないことよ。だって、「どけどけ国主さまのお通りだぁ」そういうんじゃないんでしょ?盗賊に背中からいきなりバッサリだってありえるわけだしね。
それであの方は、自分の生きる意味と、自分がありのままで居られる場所を見つけたのかしら。心境が知りたい気もするけど。
まあ、人間の処世術なんて、私たちにはどうでもいいことね。


修行僧の話
そりゃあもうびっくりしましたよ。京の都からはるか離れた駿河国の、それもこんな山の中ですよ?宇津の峠といえば有名な難所。蔦や楓がうっそうと生い茂り、暗く寂しい急斜面が延々と続く、そんな山道なんです。
最初、うす暗い山道の向こうから落ち葉を踏む足音が聞こえてきた時、私てっきり山賊が何かかと緊張しました。隠れようか逡巡していますと、木々の間からちらちらと上品な狩衣が見え隠れするではありませんか。明らかにお疲れのご様子でしたが、こざっぱりとした衣裳からは、隠れようもなくにじみ出る高貴のオーラ。
一度お会いしたら忘れられない、まさしくあのお方です。
まさかこんな地の果ての山の中で、都の貴紳に出会おうとは。懐かしさのあまり、目の玉が飛び出かかっていたかもしれません。おいたわしいことに供回りもごくわずか、宇津の峠は徒歩で越えるにはたいそう難儀する急峻な峠なのです。どれほど心細かったでしょうね。
ええ、あちらも目を丸くして驚いておられましたよ。ひどい山道によほど怯えてらしたようで、こんな物の数にも入らぬ私に、まるで頼もしい身内にすがるように、それはそれは親しくお声をかけてくださり、お知り合いの方への手紙まで預からせていただきました。
目の前でさらさらと和歌を書かれるのをチラチラッと拝見しておりましたが、

駿河なる宇津の山べのうつつにも夢にも人にあはぬなりけり
(今は駿河の宇津を旅しているよ。うつつ(現実)だけでなく、夢の中でさえもあなたは現われてくれないね。
ひょっとして、もう私のことなど忘れた?)

屈強な田舎男でさえ辟易する難所にもかかわらず、こんな洒落た歌を思いつかれるあたり、生まれながらにして俗世間に汚されない、高貴な魂を持っておられるのだと感服いたしました。
ちょうどこの宇津の峠を上りきったあたりで富士の山が眺められるのですが、まもなく盛夏になろうという時期にもかかわらず、富士の山頂は鹿の仔の背中のような白い残雪が見られるのです。あの方は、その美しさに圧倒されながら、

時知らぬ山は富士の嶺いつとてか鹿の子まだらに雪のふるらむ
(今が夏だと気がついてないのかねえ。富士山というやつは。見たまえ、てっぺんに雪が降っているよ。季節を知らないとはこのことだな)

と、お笑いになったのです。確かに摩訶不思議な取り合わせですね、夏景色と富士の嶺の雪景色。しかも、比叡山の何倍もありそうな雄大な富士山の山頂は、真夏でも冬の空気に包まれている、と土地の者が言うておりました。あのお方は、「真夏なのに、山頂に雪が降っている!」と驚かれてましたが、それは冬に降り積もった雪が一年中融けずに残っているからで、今降っているわけではないんですね。
それを説明申しあげますと、「冬の名残りか。残雪がこんな時期まで…そうだったのか」と非常に感動しておられましたよ。


都鳥の話
え?ぼくに声かけてくれた人?うん、覚えてるよ。
遠い北の国からようやくこの地に渡り終えて、みんなでひと休みしていたところにあの男の人が近づいてきたんだ。
あの人旅人なの。お友達がいたね。2、3人。ぼくたちいつも集団行動してるからさ、独りになるのは怖いよ。でもお友達が一緒ならさみしくないね。
ぼくたちミヤコドリって呼ばれてるの?どうして?くちばしと脚が赤くてお洒落に見えるからなの?エヘヘうれしいな。そんでもってミヤコってどこ?へえ、もっともっと西なの。ぼくたちはこの武蔵国の隅田川止まりだけど、琵琶湖まで渡ってる仲間もいるよ。へえ、その琵琶湖の近くにミヤコってトコがあるの。
あの人、そのミヤコってトコからここまで来たの?何しに?人がたくさんいる、ミヤコの生活に疲れちゃったの。そうだね、旅行したら身も心ものびのびできるもんね。あることないこと、かげぐち言われたら苦しいよね。
あの時ぼくたちちょうど晩ごはんの時間でさ、みんなで川魚を捕ってたんだけど、舟着き場にその男の人がいたんだよ。
舟で川を渡ろうとしてたらしいけど、いつまでもぐずぐずお尻を上げないものだからさ、舟頭さんに怒鳴られててさ、
『とっとと乗っとくれ!なんべん言わせたら気が済むんじゃ!』って。
それでもぜんぜんへこたれない人でさ。怒鳴り声なんてどこ吹く風~みたいな?舟頭さんもすっかり扱いに困っちゃっててさ、ミヤコのエライ人ってみんなあんなカンジ?「夕暮れ時の川景色も風情あるよ」ってのんびり言われてもぼくわかんない。頭を川面に突っ込んで、お魚捕るのに必死だもん。
そうそう、それで必死で晩ごはんさがしてるときに、その男の人が近づいて来たんだよね。

名にしおはばいざこと問はむ都鳥わが思ふ人は在りやなしやと
(「都」という名にかけて聞くがね、いいかい?
都鳥。
私の恋人は、都で無事でいるのかな。
…思い出させたのは君だ、都鳥)

ぼくもう目がテンになっちゃった!知ったこっちゃないよ!って。ぼくごはん食べてるだけ!捕った川魚を急いで飲み込んで、そのまま逃げちゃった。舟頭さんは、
『何をいつまで鳥相手に話しとるんじゃ!はよ荷物持ってここ座れ!』
って怒鳴ってるし。こわかった。
ぼくに話しかけたあと、ようやく立ち上がって舟に乗り込んだみたいだけど、ミヤコの人ってみんなああなの?のんびりしすぎ。