鈴なり星

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小夜衣26・今上、小夜衣に迫りまくる

 

 

対の御方に逢えない寂しさに耐えかねて、わざわざ御方の局に出向いた今上。その今上の目に飛び込んできたのは、つややかな紅梅襲の小袿に梅の唐衣と、華やかさが匂いたつような着物に身を包んだ対の御方でした。
こんなにも美しく着こなしているのに、全く自覚していない当の本人はすっかりしょぼくれ、脇息にもたれてぼんやりしています。
先触れも何もない突然のお渡りでしたから、今上のお越しにようやく気づいた対の御方はあわてて一礼をすると、逃げるように奥に行こうとしました。けれど今上はそれを引き止め、御方の横に腰を降ろします。
「何も恐がる事はありませんよ。あなたがいやがるような振る舞いは決してしませんとも。世間の並みの男ならいざ知らず、無理矢理あなたの心の扉をこじ開けて壊すような真似はしません。ただ、薄情なあなたを恨んでむせび泣いている、哀れな男の話を聞いて下さればよいのです」
と一言おいてから、
「一目惚れとはこういう気持ちを指すのでしょうね。しかし、私の立場上、表立ってあなたとどうこうできないのが悔しいです。私はいつだってあなたのことを考えているのに、あなたときたらまことにそっけない。かわいそうな男よと思っては下さらないのですか?どれだけ気位の高い姫君であろうとも、ここまでつれない素振りはしませんとも。
こんな恋愛譚もあったのだ、と後世にも語り継がれるような恋をしてみたいとは思いませんか?」
と仰せになり、じりじりと間をつめてきます。
対の御方は、間近に見る今上が恐ろしくてたまらず、
「いいえ、いええ、そのようなお振る舞いをなさらずとも、周りの者たちはとっくに存じております。後宮のあちこちで今上さまとこの私の事が噂になっているのです。私は恐ろしくてなりませぬ」
そう言うなり泣き出してしまいました。
「なんと。それは初耳です。何を証拠に、皆が当てこすっているというのでしょう。世の中のお手本になるべく日々努力している私を、皆が疑っているとは。愛しい人を目の前にして、こんなにもおっとり構えている男はそうそう居ないものですよ。それなのに…」
とささやきながら、さらに迫ってくる今上。
そのうち局の向こうから人声がしてきました。今上は、かたわらでわなわな震えている御方がかわいそうになり、局を出ようと立ち上がりました。部屋を見渡すと、小さい机の上に色とりどりの手紙がありました。その中に、梅襲のいわくありげな手紙が紛れています。手に取って見ますと、


あさかりし 色とうらみし 小夜衣 ふかくはたれか 染めまさるらん
(私との縁が浅いと泣いたあなた。今頃は誰と深い縁とはぐくんでいることだろう)


やはり意味深げな歌がかいてあります。
誰からの手紙だろう、この薫りといい筆跡の見事さといい、とても並みの貴公子のものとは思えない…今上は、手紙の主が誰なのか知りたくなって、じっと眺めていると、
「お許しくださいませっ」
と涙を浮かべた御方が大あわてで手紙を奪ってしまいました。
「やれやれ、あなたが冷たい理由がこれでわかりましたよ。


あさくこく なにに染むらん 小夜衣 いづれの色と いかでしらまし
(あなたはどんな色に染まっているのですか…染めた相手はいったい誰なのです)


いったい誰からの手紙なのですか」
返答に困った対の御方は、


「あさきこき 色とも知らず うき身には 涙にくちし 小夜の衣を
(物の数にも入らぬ身にとって、浅いも濃いもわかりません。涙に朽ちた夜の衣、それだけなのです)」


とだけ返しましたが、あせった様子の対の御方があまりに可愛くて、この期に及んでけしからぬ振る舞いをしてしまいそうな今上です。しかし外の人声は次第に近づき、今上はしぶしぶ帰途についたのでした。


清涼殿に戻った今上は、対の御方と既に想いを通わせている貴公子がいることはショックでしたが、
「私と対の御方の関係は、既に皆の知るところだったのか。なんだそれなら話は早い。もう隠しておく必要がないのだからな。
そうとも、私は何をしても許される身なのだ」
とすっかり開き直ってしまったのでした。



一方、昼下がりの今上の訪問の一部始終を、息をひそめて見守っていた梅壺女御付きの女房達は、女主人の御前に参上して、口々に言い合いました。
「昼の間じゅう、ずうっと御方の局でお過ごしでした」
「やっぱり!よくも今まで知らなかったことよ」
女御の御乳母とも話し合い、今後のことも含めて女御の母君の今北の方に相談しました。
こんな事実を知らされて、今北の方は怒り心頭です。
「誰もが振り返るような美人だから、後宮で浮ついた噂が立ちはしないかと不安だったけど、よもや今上のお手が付くとは。才ある人だから、女御の母代わりとして、楽や手蹟の師匠として、頼みにもしていたのに。何不自由ない生活の恩を仇で返すとはまさにこの事」
按察使大納言の数人の妻のうち、一番愛されていたのはあの山里の娘の母親だったことを、今北の方は思い出しました。
「いつもあれの母親に嫉妬していた気がするわ。女御も、あの頃の私と同じ嫉妬心を抱いているのかしら。ああ、なんてお気の毒な」
継子のせいで、我が女御がみじめな気持ちで暮らしているかと思うと、かつての自分の苦労も思い合わせて、今北の方は山里の娘が憎くてなりません。
「内裏を下がらせて、山里へ追い返してしまおうかしら。いえいえそんなことをしても、今上と通じ合っていたとしたら、あの娘のゆかりの地を捜して、きっと連れ戻しなさるに違いないわ。
我が女御への今上のご寵愛も深く、たくさんの女房にかしずかれ、華やかに幸せに暮らしているものとばかり信じていたのに、これでは飼い犬に手を噛まれたようなものだわ、なんとかしなきゃ」
と女御の御乳母からの相談を受けてから、今北の方はこのことで頭がいっぱいです。
あれこれ考え抜いた結果、ある決断をしました。
「そうだわ、私の乳母子の民部少輔(みんぶのしょう)に預けよう。信頼できる男だから大丈夫」
この民部少輔という者は今北の方の乳母子で、日ごろから親しく付き合い、今北の方の所有する領地などの管理も任されている者です。
今北の方は民部少輔とその妻を呼び出し、事情を説明しました。
「…ということなのです。ですからしばらくの間、その娘を預かってはもらえませんか。出入りなどさせないよう、きっちりと見張って下さい。気合を入れて監視してくださいね。うまくゆけば、お礼ははずみますよ」
と言い、特に民部少輔の妻に対しては、
「同じ女なら、この私の気持ちはわかるでしょう?夫が他の女に目を奪われる悔しさ。
女御がそんな嫉妬の心に胸を痛めているかと思うと、腹が立ってどうしようもない、そんな女親の気持ちをわかってくれますわね」
涙ながらに訴えるので、民部少輔夫妻は断ることもできないのでした。