鈴なり星

平安古典文学の現代語訳&枕草子二次創作小説のサイト

空の贈り物 その3

 

 

「…やはりタチの悪いタヌキかイタチが化けたのでは」
安堵しているのか不安なのかよくわからない声で則光が言います。
「ははは。それならそれでもかまわないさ。とにかく花びらのような雪を約束してくれたのだから。
さて、ずいぶん道草を喰ってしまった。山の上の僧庵まではあと少しだ。急ごう」
二人は馬の腹を足で軽く蹴り、山頂目指して進み始めました。
「泉の精とやらはいつ願いを叶えるのか教えてくれませんでしたな」
「降れ降れと、念が足りていればそのうち降るだろうさ」
この口調からして、結局斉信も願い事など戯れ半分だったようです。

ところが。

しばらくすると氷のような冷たい風が急に吹いてきました。
陽射しがあるにもかかわらず、気温がどんどん下がっているのが肌でわかります。
空気がキンキンに冷え込んで、履いているワラの靴の中で、足が寒さに悲鳴をあげています。
「寒い寒いっ寒いっ!なんなんだこんなに急に!」
「(ガクガクブルブル)頭中将どの!お体大丈夫ですか!念のために雪中かぶりものなど用意するべきところを失念しておりました!早く、一刻も早く僧庵へ」
寒さで二人は歯の根も合いません。周囲の木々はいつしか氷をはり付かせ、木いっぱいに白く透きとおった花を咲かせたかのようです。
早く寺へ辿り着かないと、このままではあっという間に見事な樹氷ならぬ人氷の出来上がりだ…あまりの寒さに意識が遠のきそうな斉信です。

と、そのとき。

風が弱まったかと思うと、天からチラチラと舞う雪が見え始めました。
見慣れた淡雪とは明らかに違う、小さな小さな、まさに水晶の砕けたような雪でした。
その小さな雪に、弱々しい日の光がキラキラと当り、息を飲むほどの幻想的な光景を目の前にした斉信は、ずるずると落ちるように馬から降り、地面にひざまずいて天を仰ぎました。
斉信は、自分の黒い袍にさらさらの粉雪がいくつも降りかかっているのに気がつきました。よく見ると、小さな雪のひと粒は、もっと小さな雪の欠片が幾つもくっついてできているのでした。さらにその雪の欠片はといえば、扇を六つ広げたような、あるいは針葉樹の葉のような、信じられないほどこまかな細工がほどこされているのがわかりました。まさに神が創ったとしか思えないほどの精緻きわまる透きとおった六弁の花に、寒さも忘れてしまうほどです。黒い袍に降りかかる雪の花は、花びらの先からみるみる融けだし、丸みを帯びていきます。小指の爪にも満たないこんな小さい結晶が、雪の本当の姿なのだということを、斉信ははっきりと悟りました。
「見たまえ則光、この雪の花びらを。雪の奥に、こんな美しい素顔が隠されているとは」
「なに呆けているんですか!どう見たって我々は吹雪の真っ只中ですよ!しっかりして下さい頭中将!こんなところで寝てしまっては、生きて京には戻れません!関白人事で苦しんでおられる今上のため、身を粉にしてサービスに努めると誓ったではないですか!」
則光は、涙を凍らせて叱咤激励します。幸せそうに口を半開きにして笑っている上司の左腕を肩に背負い、愛馬にまたがらせる則光。大の男一人を馬上に持ち上げる…このときほど自分の腕力をありがたいと思ったことはなかったでしょう。寒さに全身わななかせながらも、ようやく大比叡の僧庵に馬は向かい始めました。しかし行けども行けども雪野原。
緩急ついて地吹雪が襲い始め、降る雪と舞い上がる雪と空の白さが一体となって、あたりは白一色。もはや僧庵はおろか、ふもとへの方向も距離もわからなくなってしまいました。
「やはり我々、キツネにたぶらかされたんですよ…」
「…それが正解かもな。神さまはここまで過剰な演出はしないだろう」
一寸先の視界もきかない二人です。
「これは辞世の句を用意したほうがいいかもしれないぞ…則光、何か言うことはないか?」
「…わたしめは歌は…歌を詠むくらいなら死んだほうがマシと思うほど苦手でございまして…」
「とても冗談に聞こえない状況だぞ…じゃあ私が詠むからしっかり聞き届けてくれよ。

大比叡雪のしろきにおののきてここはどこかときみに問ひける

…ダメだ、頭の中までぼんやりしてきた」
「辞世になっとらんですよ、中将さま…

雪の中すべてがご飯に見えてきたもう最期かと助けを待つ身

…一番マシな句を、命の終わりに詠めるとは」
たがいに万感迫るものがあったのでしょう。念仏を唱えながら、二人は手を取り合ってそのまま力尽き倒れてしまったのでした。

 


日当たりのよい暖かな南斜面の枯れ泉のすぐそばで、枯れ草やら竹の葉やら獣のフンにまみれて気を失っている二人を、到着時刻が過ぎてもやって来ないのを心配した小坊主が見つけたのは、これよりすぐ後のことでした。合掌。

(終)